蜜柑が淹れたダージリンティーを吟味した紬子(つむぎこ)ちゃんが、
「なかなか腕を上げたわね、蜜柑さん」
と微笑む。
「そうですか?」
「珍しいですね。紬子さんがわたしの腕をホメるなんて」
「そうかしら?」
と、紬子ちゃんは蜜柑をジトッと見て、
「私は本心で言っているのだけれど」
と。
「そうでしたら、紅茶だけでなく、お料理もホメてもらえるのかしら」
そう言って紬子ちゃんと視線を合わせる蜜柑。
甘いんじゃないの?
× × ×
古木紬子(ふるき つむぎこ)ちゃん。
有名レストランチェーンのご令嬢。ゆえに、わたしの家ともお付き合いがあるというわけ。
そして有名レストランチェーンのご令嬢であるがゆえに、食べ物飲み物のお味には人一倍厳しく、調理スキルの高い蜜柑が作るものもなかなかホメない。
そしてそして、なかなかホメてあげないのは、蜜柑に対してだけではなく。
「――紬子ちゃん?」
「なあに? アカ子ちゃん」
「あなた、及川太陽(おいかわ たいよう)くんとは、どうなの?」
問うた瞬間、紬子ちゃんがティーカップを持ったまま唖然となった。
あれっ?
ここまで動揺するなんて。
がちゃん! とご令嬢らしからぬティーカップの置きかたをして、
「め、珍しくないかしら?? アカ子ちゃんが及川くんの名前を出すなんて……」
「確かにそうかもしれないわね。不意打ちみたいになっちゃった」
「どうしてあなた、不意に……」
「だって、気になるんだもの」
ソワソワし始める紬子ちゃん。
今日は珍しく、わたしのほうのペースみたいね。
正面の席の彼女のソワソワに笑い出しそうになりつつも、堪(こ)らえて、
「あなたと及川太陽くんが出会ってから、もう2年半。大学の文学部キャンパスのカフェテリアが出会いの場だった。あなたは利用者、太陽くんは厨房スタッフ。食べる側のあなた、作る側の彼。ただ、出会ったその日その時から、あなたは太陽くんの作るお料理にイチャモンをつけて――」
「……アカ子ちゃん?」
「はい」
「語るのね」
「『これまでのあらすじ』みたいなものよ」
「?」
ここで、わざとらしく、わたしは蜜柑とアイコンタクトする。
微笑ましそうな蜜柑の顔。
――さて、紬子ちゃんは、やや俯き加減に指を揉みながら、
「……そうね。確かに2年半だわ。2年半に渡って、私と及川くんは文学部カフェテリアで『バトル』を繰り広げてきた」
「あなたは政治経済学部で、違うキャンパスからわざわざ『遠征』しに行って」
「するわよ。……屈服したくないのだもの」
「『美味しい』と言ったら――」
「――そこで負け。『悔しかったら言わせてみなさいよ!』って私は常日頃思ってるのだけれど」
「でも、そういう気持ちの裏返しとして、太陽くんのお料理の腕は認めてるんでしょう?」
「認めるのと、舌を唸らせられるのとは、別問題よ」
紬子ちゃんらしいわね。
強情さみたいなものが混じってる気もするけれど。
「最近の太陽くんの仕事ぶりは?」
訊いてみるわたし。
「彼が提供する料理のクオリティのこと?」
首肯するわたし。
「……」と、なにかを言いあぐねるように沈黙してしまう紬子ちゃん。
依然として指を揉んでいる紬子ちゃん。
まっすぐにわたしと眼を合わせられない紬子ちゃん。
猫背気味の紬子ちゃん。
なぜか、レスキューを求めるみたいに蜜柑を横目で見る紬子ちゃん。
そういった困惑が1分間ぐらい続いた。
意を決したように、紬子ちゃんは背筋を伸ばした。
意を決したように、紬子ちゃんは息を吸い込んだ。
だけれど、やっぱりコトバを口から出しあぐねて、もう30秒間ほど視線を泳がせてしまう。
が、とうとう、
「……怠け気味なのだと思うわ、彼」
と、コトバを漏らしてくれた。
漏れ出た声はもちろん、弱々しさに満ちていて。
弱々しさを持続させて彼女は、
「アカ子ちゃんは知ってるわよね……私が及川くんに、高校のお勉強を教えてあげていることを」
『もちろん知ってるわよ』という気持ちを込めて首肯する。
高校を出ていない太陽くんは、『勉強を教えてくれ』と自分から志願したのだ。
「お勉強を頑張るのはいいのだけれど、本職のお料理で手を抜くのも困りものだわ……」
「つまり、お勉強に勤しむあまり、肝心のカフェテリアでのお勤めが疎かになってると?」
「そう。そうよ。私はそう言いたいの」
紬子ちゃんの顔に、わたしはじっくりと眼を配って、それから、
「紬子ちゃん。ハッキリ言わせてもらうわ」
「えっ」
「あなた、自分の想いと反対のことを喋っちゃってるでしょう」
必然の唖然呆然。
彼女は、紬子ちゃんは、唖然呆然状態に陥る運命だった。
視線が激しく泳ぎまくる。
利き腕の右手が震えているのがわかる。
なにかを言いかけようと頑張る。
だけれど、なにかを言いかけようと頑張るごとに、言うコトバを見失ってしまう。
ほっぺたには淡い赤み。
わたしの発言に衝撃を受けてから数分間経過して――ようやく、
「お、お、『想い』って、なに!? は、は、『反対』って、なに!?」
と上ずる声を耳に届かせてきた。
だから、
「太陽くんをホメてあげたいのが、本心。でも口をついて出るのは、反対のことばかり」
とわたしは答えてあげる、のだが、
「ホメてあげたい?? 彼を、ホメる?? ま、まさか、彼を、ホメるなんて、認めるなんて、そんなこと……!!」
うん。
清く正しいツンデレね、紬子ちゃんって。