雨が降ってきた。
アカちゃんのスマホがぶるぶると震えた。
「もしもし。どうしたのよ蜜柑?
え!? 傘を持っていくのを忘れた!?
あなたはどうしてそんなにオッチョコチョイなの」
× × ×
「――というわけで、蜜柑に傘を渡しに行く羽目になっちゃったわ、愛ちゃん」
アカちゃんは非常に申し訳無さそうだ。
「ごめんなさいね。なるべく早く帰ってくるから」
そう言ってから、ハルくんのほうを見て、
「ハルくん。ちゃーんとお留守番してるのよ?」
「なんでコドモに念を押すみたいに」
と言うハルくんの笑いは若干呆れ笑いだ。
「だってあなたコドモっぽいじゃないの」
と、ハルくんの彼女たるアカちゃんは。
「ひどいなあ」とハルくん。
「ひどくない」とアカちゃん。
息が合ってるわね。
「本当にごめんなさいね愛ちゃん。あとでしっかりと蜜柑を叱るわ」
「そんなに謝らなくっても。アカちゃん『ごめんなさい』って2度も言ってるわよ」
「『ごめんなさい』2個分は謝るべきだと思って」
「面白い表現ね」
「……とにかくわたし急ぐから」と言い、クルッと玄関方面に向くアカちゃん。
わたしは「焦らないのよ」と言ってあげる。
アカちゃんはわたしとハルくんのほうに向き直って、
「もしかしたら……愛ちゃんあなた、ハルくんと2人きりで待ってるっていうシチュエーションになったら……」
こらこら。
「こらこら。そんな心配する必要なんて無いでしょ」
「ホント……?」
「だってハルくんなのよ? いくら2人きりだからって、緊張感なんて産まれる余地も無いシチュエーションでしょ」
そう言ってわたしは、ハルくんに流し目。
× × ×
さて。
アカちゃんがアカちゃん邸(てい)を出ていき、ハルくんと2人きりで向かい合うシチュエーションになった。
「雨が少し強くなったわね。気温が下がりそう。ようやく秋に近づくのかしら」
わたしの座るソファの背後の窓を通して雨音が聞こえてきている。
窓の外の天気を素材にして、季節の変わり目について真向かいのハルくんに話を振っていく。
「愛さんは季節に敏感なんだね」
えっ。
「おれ、季節感無くってさ」
マズいかも。
天気の話だとか季節の話だとか、日常会話の基本のはずなんだけど……もしかしたらハルくんには、その「基本」が通用しない……??
「そ、そうなのね。季節感が無いっていうのも……それはそれで」
「『それはそれで』の続きは?」
ぐ。
てごわい。
「は、ハルくんは、それでいいと思うのよ!? なんというか……あるがままで、ステキなんじゃないかしら」
「すごいタイミングでホメられたな」
苦肉の策でホメたみたいなものなのよ。
分かってないみたいだけど。
× × ×
なんだかアカちゃんの外出が長引きそうな予感がする。
アカちゃんと蜜柑ちゃんが帰ってくるのが遅くなるならば。
「……えっと。
ハルくん?
アカちゃんと蜜柑ちゃんの帰宅まで時間がありそうだし……。
『中身のある話』、してもいいかな」
「お説教かな」
な、ななっ。
「ど、どーしてお説教だなんて思うの」
「いや、予感というか。『そろそろ愛さんにお説教されるようなタイミングなのかな~』って」
「タイミング……って」
「違うの?」
「……お説教とは少しズレる。あなたへの『問い掛け』ってところかな」
ハルくんの「お説教かな」に戸惑いを覚えつつも、改めて彼の顔を見据えて、
「頑張ってる? ハルくん」
と。
「ずいぶん抽象的だね」
「ぐ……具体的には、学業だとか、部活動だとか、バイトだとか」
「フム」
彼は少し間を置いて、
「どの『頑張り具合』が、きみはいちばん気になるのかな」
わたしも少し間を置いて、
「どの『頑張り具合』も気になる、って答えたら……アンフェアかしら」
「そもそも、なぜきみはおれの『頑張り具合』がそんなに気になるの?」
あなたがアカちゃんの彼氏だからよ。
「あなたがアカちゃんの彼氏だからよ。あなたには努力してもらって、あの子に相応しい男性(ひと)になってもらいたいの」
「真面目だね」
悪いかしら……。
「意外な真面目さだ」
ちょ、ちょっとっ。
ハルくん、ハルくん、あなたまでそんなことを言っちゃうの……!?
た、たしかに。わたしのことを『真面目だ』と思うほうが、『誤った認識』になるのかもしれないけど。「意外な真面目さ」って言われたってことは、つまり。
「……そう。『真面目なほうが意外だ』って認識をあなたも持ってたのね」
わたしは敢えて、
「嬉しいわ」
というコトバを添える。
「嬉しいのかー」
のほほんと言う彼。
彼の『のほほん』が引き金になり、
「わたしという人間に対する理解が正確なほうが嬉しくなるのは、当たり前のことじゃないのよ」
という苛立ち混じりのコトバが自然とこぼれ出してしまう。
「ん? なーんかピリピリしてきてない、愛さーん?」
「否定はしないわ」
「エーッ」
「せっかく『中身のある話』がしたいと思ったのに、話の方向が変なほうにどんどん傾いちゃってる気がするし」
左腕で頬杖をつき、意図的に攻撃性を含ませた視線を彼に向かって差し込んでいく。
「ハルくん!? 進路のことはどうなのよ、進路のことは」
「進路?」
「そーよ!! あなたいったいなにを目指してるの!? 将来の夢だとか」
攻撃的視線を差し込みながら、
「もっと現実的なことだと、就職活動だとか。つまづいちゃったわたしと違って、あなたはたぶん4年で卒業できるんでしょ? もうすぐ3年の後期よね? キャリア設計を始めていかないと、アカちゃんだって安心できない――」
「愛さん、ちょっとタイム」
「野球じゃないのよ。サッカーやってるあなたなら分かるでしょ、『ちょっとタイム』が効かないことぐらい」
「落ち着こうよ」
「イヤよ」
「……今日ぐらいは、落ち着いて欲しいな」
え?
気付けば。
気付いてみたら。
ハルくんの雰囲気が、さっきまでと大きく変わっているような……感覚が。
錯覚?
ううん。
違うわ。
真顔になってる、彼。
真顔といっても、わたしへの反発心からというよりも、すごく落ち着きのある、オトナっぽさに溢れた表情。そんな真顔。
襟を正した、と言うべきか。
事実、背筋もピーンと伸びている。
「ひとつだけ、伝えておくよ」
「ハルくん……?」
「困惑しなくたって」
「す、するからっ」
「おれさ」
「……」
「八百屋さんのバイト、今月で終わりにするんだ」
「!? ひ、ひとつだけ、伝えたいって……そんなこと!?」
「おれにとっては大事なことなんだよ」