【愛の◯◯】「大きな器は、磨かなきゃ」

 

借りていた本を図書館に返しに、文学部キャンパスまでやってきた。

 

9月になっても、夏休み。

大学ならではだ。

したがって、キャンパスに人もまばら。

 

図書館の開館時間も短縮されているし、

カフェテリアの営業時間も短縮されている。

 

…短縮されてはいるけれども、ちょうど、カフェテリアの営業時間中だった。

せっかくなので、お昼ごはんを食べて帰ろうと思い、本を返却したあと、カフェテリアに直行した。

 

すると、

知った顔の女子学生が、いまにも、カフェテリアに足を踏み入れようとしているではありませんか!

 

紬子(つむぎこ)ちゃん!

 

大きな声で、呼び止めた。

大声すぎたかな。

 

振り向く、古木紬子(ふるき つむぎこ)ちゃん。

彼女は、政治経済学部

政治経済学部なのに、なぜ、違うキャンパスのカフェテリアに赴いているのか……それには、ワケがある。

 

ワケあり紬子ちゃんは微笑して、

「愛さんじゃないの、こんにちは」

「こんにちはー」

「奇遇ねぇ」

「エヘヘ……図書館に、本を返す用事があって」

「ほんとうに読書家なのねぇ」

「そうともいう」

「――あなたも、文カフェ?」

「だめだよ紬子ちゃん。早稲田大学戸山キャンパスのカフェテリアみたいな略しかたしちゃ」

「――かも、しれないわね」

 

わかって、くれたかなあ。

…もとい。

 

「…太陽くんと、きょうも、バトルするのね」

「そうよ」

「紬子ちゃんの舌が勝つか、太陽くんの味が勝つか…」

「私は負けないわ」

 

……この自信。

 

 

× × ×

 

げえっコムギコ

ちょっと!! 失礼ね

 

紬子ちゃんの顔を見たとたん、太陽くんが「コムギコ」呼ばわりした瞬間から、バトルの火ぶたは切って落とされていた。

 

「私は、小麦粉じゃなくて、紬子よ!?」

「けっ」

「名前ぐらい、ちゃんと憶えなさいよ」

 

忠告する紬子ちゃんを、ジロリ、と見たかと思えば――、

 

「――紬子、注文は?」

 

いきなりいきなり、下の名前を、呼んだ……!

 

100%不意を突かれて、絶句したのち、

 

「……馴れ馴れしいわ」

「じゃー、なんて呼べばいい? やっぱ、コムギコのほうがいいか?」

「……いいえ、苗字の、古木で」

「古木、ね」

「私は……『及川くん』って呼ぶ」

「ほほーっ。俺の苗字、知ってんだな」

「知らないほうがおかしいでしょう」

「ほお」

「『ほお』じゃないわよ」

「――で、古木の注文は?」

「……コロッケうどん」

 

 

 

わたしも紬子ちゃんと同じく、コロッケうどんを注文した。

 

美味しくいただいたあと、

「文句のつけようもない美味しさ。サクサクコロッケとコシのあるうどん、そしてお出汁(だし)の奇跡的なハーモニー」

と、食レポのごとく、感想を言ったわたしであった、のだが、

 

「愛さんは――ずいぶん、ベタボメするのね」

 

腕を組みながら、不穏さまんまんに紬子ちゃんが言ってきたから、つらい。

 

 

紬子ちゃんは席を立って厨房の方角に突進する。

 

「なんだよ、文句あっか」

「――麺が、弱点だわ」

「は!?」

「うどんの茹でかたに、工夫の余地があるはずよ」

「し、素人がなめくさりやがって」

「私の舌は――素人じゃないから」

「……この、評論家ッ」

「言わせておくわ……」

 

 

あ~。

泥仕合だ。

 

× × ×

 

食器を返却するわたし。

 

そこに、太陽くんが近づいてくる。

 

「どうしたの太陽くん? 厨房から出てきて」

「――折り入って、頼みがあるんだ」

「え、え、頼み?」

 

ずいぶん突然な。

 

「頼む。――営業時間終わったあとで、もう一度、ここに来てくれないか…?」

 

「――愛さんに、愛の告白でもするのかしら?」

るせぇよコムギコ!! んなわけねえだろが

 

わたしたちの背後からやってきた紬子ちゃん。

紬子ちゃんのからかいにブチ切れの太陽くん。

 

またもや、にらみ合いだ…。

 

「及川くんがあまりにも短気だから――営業時間のあとで、私もここに戻ってくるわ」

「信じられない理屈の不可解さだな」

「だって、及川くんと愛さんのふたりだけじゃ、安心できないもの」

「どういう意味だよ安心できないって……」

 

しかし、若干表情を和らげて、太陽くんは、

「でもまあ……古木も、いたほうが、俺にとっては助かるかもな」

 

「……?」

「……?」

 

紬子ちゃんと、わたし、

ふたりそろって、キョトンとしてしまう。

 

 

× × ×

 

勉強が――したい!?

 

ついつい、驚きの声を上げてしまうわたしだった。

 

「俺、中卒だから。高校でやる勉強に、興味があって――いまからでも、勉強、してみたいと思って」

 

並んで座るわたしと紬子ちゃんをまじまじと見て、

 

「あんたら――かしこいだろ」

 

「……」

「……」

 

「――時間があれば、でいいんだが」

 

「時間なら――いくらでもあるよ」

そう言ったのは、わたし。

 

「マジか愛さん!? …なんだか、俺に勉強教えるのに、前向きみたいだな」

「前向きよ。前向きに、決まってる」

「…どうしてだよ?」

「太陽くんが……偉い、から」

「偉い???」

「偉いというか、凄いというか。並大抵じゃない、向上心よね」

「向上心……」

「勉強に関する向上心だから、『向学心』」

「向学心……」

「天才、なのかも。太陽くんって」

「!? いきなりな」

「わたしは本心だよ。

 料理の才能はもちろんだし、料理の才能以外も、ぜーんぶひっくるめて、あなたは天才的だな…って、思うの」

「……困っちまうよ。いきなり、俺が、天才だとか」

 

「――私は、愛さんとは違って、及川くんが天才だとは、とても言えないと思うけれど」

 

「……なにが言いてぇんだよ。古木」

 

「大きな器(うつわ)、だとは……思うわ」

 

「大きな……器……」

 

「高校の勉強をいまからやってみたい、と思い立つ時点で、並大抵の器じゃ、ないわよね」

 

「ホメてんのか……?」

 

「そういう器ならば……なおさら、磨いてあげなきゃ」

 

「お、俺の質問を素通りすんな」

 

「してないわよ」

 

「は?」

 

「まず、磨くべきは……『読解力』、みたいね」

 

× × ×

 

こうして、わたしと紬子ちゃんは――、

太陽くんの、『先生』に、

なることになった。