阿佐ヶ谷駅まで来た。
サークルOGの秋葉風子(あきば ふうこ)さんを待つ。
『わたしんちで忘年会しようよ』
そういうメッセージを彼女はLINEで送ってきた。
『忘年会』という表現を彼女は使っているけど、たぶん参加者は、わたしと秋葉さんの2人だけ。
『忘年会』の3文字に籠められた意味はなんなのかしら。
「やっはろ~~」
右手を大きく振りながら、秋葉さんがわたしに近づいてくる。
「こんにちは秋葉さん。面白い挨拶ですね」
「わたしの声が東山奈央みたいな声だったら、もっと良かったんだけどね」
「……えっ?」
「ごめんごめん忘れて。知りたくなったら『俺ガイル』のアニメを観て」
× × ×
「羽田さん」
横を歩きながら秋葉さんは、
「寒いね」
と。
「寒いですよね。雪が降っちゃうかもしれない」
とわたし。
秋葉さんは、
「雪が降るのは困るな。わたしのココロにも雪が降ってきちゃいそうで」
思わずわたしは秋葉さんの表情を確かめようとした。
「気になるよね。わたしが意味深なコト言ったから」
弱さを含んだような笑顔で、
「続きは、自宅で」
× × ×
ダイニングテーブルの椅子に座り、キッチンのコンロの前に立つ秋葉さんを眺める。
やかんでお湯を沸かしながら、
「インスタントコーヒーしか無くて。羽田さんをガッカリさせちゃったかな」
「いえいえ。むしろ、ガッカリの反対ですから」
「でも羽田さん、コーヒーには厳しそうだし」
「秋葉さんが淹れてくれるコーヒーには優しくしますから」
「面白いコト言うね」
「ひとつだけお願いしたいのは、わたしの分には砂糖もミルクも混ぜないでください、ということ」
「クリープは?」
「だめです」
わたしはこれまで1度もコーヒーにクリープを足したことがない。
「どうしてもブラックがいいんだね」
「ハイ。どうしても」
秋葉さんが2つのマグカップをコトン、とダイニングテーブルに置いてくれる。
わたしも秋葉さんもコーヒーを飲み始める。
秋葉さんはコーヒーを飲むことに専念している。
なにも言わない。
寡黙(かもく)だ。
「あのっ……秋葉さん。LINEでは『忘年会』っていう表現になってましたけど、具体的には?」
彼女は、両手で持ったマグカップに眼を凝らしながら、
「これが、1次会」
「い、いちじかい??」
「まずは、カフェインで景気づけ」
「……コーヒーがお酒の代わりだって言うんですか」
軽く首を縦に振る秋葉さん。
「じゃあ、『2次会』は?」
わたしは問う。
「2次会は、会場を移す」
秋葉さんは答える。
「もしかして、2次会の会場は、秋葉さんのお部屋?」
わたしは訊く。
「ピンポーン」
秋葉さんはチカラの籠もっていない声で言う。
× × ×
「せっかくだから、こんな場所でしか言えないこと、言い合おうか」
両膝を床にくっつけて秋葉さんが言う。
わたしは秋葉さんのベッドに座っているから、秋葉さんを見下ろす形になっている。
それにしても。
『こんな場所でしか言えないこと』だなんて。
「そんなこと言われても、わたし困っちゃいますよ」
「アツマくんに対する不満とかは?」
ぬぬなっ。
「と、とつぜんに、カレシの名前出さないで」
そもそも、
「不満があるんだったら、彼に直接ぶつけますから。そうやって彼とはつきあってきたんですから」
秋葉さんは肩をすくめる。
それから秋葉さんは溜め息をつく。
それからそれから、
「一方通行になっちゃうね。わたしには吐き出したいことがたくさんある。羽田さんだったら相手になってくれると思って。わたしの完全なるワガママだけど。これからわたしが吐き出すことで気を悪くしたなら、遠慮無く言ってね。そこでストップにするから」
「……キユキさんのことですか?」
「違う。わたし、予想以上なくらいに、わたしの彼氏とはうまくいってるの」
「だったら、お仕事の愚痴、だとか??」
「……ぴんぽーん」
× × ×
わたしは、秋葉さんのライター業における不都合を、最後まで聴いてあげた。
「ごめんね。不愉快だったね」
「そんなことないです。『出版業界ではそんなこともあるんだ』って、興味深くもあったし」
「だけど、ほとんどは他人の悪口。本人が居ないところで言ったから、陰口」
わたしは、優しく、柔らかく、
「『止(や)むに止(や)まれぬ』だったんでしょう? そんなときもありますよ。人間誰しも、いつでも他人を尊重できるわけではないんですから。さっきまでの秋葉さんの話は、わたしの中のゴミ処理場で焼却処分しておきますよ」
「聴かなかったことにする、と」
「まさに」
次の瞬間。
ベッドに座るわたしに向かって、まっすぐに秋葉さんが飛びついてきた……!!
押し倒される寸前の勢いだったけど、かろうじて押し留める。
なんとか上体を起こし続け、抱きかかり状態の秋葉さんの背中に右手を当てる。
落ち着かせたくて、秋葉さんを包むようにして、
「ビックリするでしょ? もうっ」
と、優しく優しくたしなめる。
「はねださぁん」
甘える秋葉さん。
「やわらかくて、あったかくて、ほんとうにスキ。あなたのことが」
お母さんにむしゃぶりつく小学校低学年の女の子みたいだ。
わたしは、明確に、お母さん役。
「離れたくないのね」
敬語を取り払って、わたしは言う。
「10分だけガマンして。おねがい」
甘えた彼女は請(こ)い願う。
「10分じゃ短すぎるわよ。30分だって1時間だって、引っ付かせ続けてあげるわ」
彼女と対等になったわたしは、甘え続けるのを許してあげる。
「ありがとう。わたしがコドモになるの、ゆるしてくれて……」
「はいはい」
『そんなとき』があるのは、お互い様。
コドモになっちゃうのは、わたしのほうが、たぶん多い。
お母さん役になるケースのほうが少ない。
だけど……今は、秋葉さんのお母さんとして、秋葉さんを受け止めてあげるべき時間。