麻井律(あさい りつ)ちゃん。わたしの親友の女の子。同い年。身長140センチ台の小柄な子で、無造作な長めの髪がチャームポイントだ。
りっちゃんは、わたしの弟である利比古の高校時代の先輩だ。『KHK(桐原放送協会)』というクラブ活動で、りっちゃんが『会長』、利比古は2学年下の「部下」だった。彼女は当時、利比古に厳しく接していたみたい。
高3の春に利比古をKHKに引き込んでから、いろんなコトを経験した彼女。卒業の土壇場に至るまでいろいろあったのだが、それは今は措(お)いておくとして、現役合格した某茨城県の某学園都市の大学に彼女は進学した。
で、去年の就職活動を経て、彼女は某出版社に内定できた。映画雑誌か文芸誌の編集部に配属されたかった彼女。だがしかし、縁の薄いファッション雑誌の編集部に配属されることになってしまい、少々困っているご様子。
× × ×
りっちゃんの方から『アタシの家に泊まりに来てほしい』という誘いが来た。冬休みには帰省するから東京の実家に居られる。わたしを自分の家に呼べる機会を逃したくなかったんだろう。分かるわ、分かるわよ。
夕暮れ前に麻井家に着いた。玄関で出迎えてくれたりっちゃんは、少し照れ顔になりながら、『両親と兄が、愛さんの顔を是非見たいんだって』と言い、3人が待っているダイニング・キッチンへとわたしを案内した。
やや緊張を孕(はら)みながら、彼女のご両親とお兄さんに対面した。特に、お兄さんと顔を合わせた時に緊張感があった。なぜなら、かつての麻井家は円満とはとても言えない状態で、とりわけお兄さんが荒れていたということを知っていたから。
だけど、お兄さんは予想以上に明るく爽やかにわたしに接してくれた。国立大学の受験失敗を重ねて荒れに荒れていた時期もあったお兄さん。でも、現在(いま)の彼の表情からは、燻(くすぶ)りなども全く感じられなかった。晴れやかな顔だった。専門学校に進路を切り換えてから未来の見通しが立った――そういうことを妹であるりっちゃんから聞かされていた。
ご両親とコトバを交わしていても、麻井家から問題がすっかり拭い去られていることを実感できた。
× × ×
夕食を経た。入浴も経た。りっちゃんのお部屋のカーテンに隔てられたお外は既に真っ暗である。
親友同士、カーペットに腰を下ろし、ゆるり、まったりとお喋りをしたりしている。
「りっちゃん。あなたの本棚をジックリ見てみたいわ」
そう告げた直後にわたしは彼女の本棚と対峙(たいじ)していた。
左横から、りっちゃんが、
「緊張の一瞬だな」
と、わたしの左耳に向けて言ってくる。
彼女の方を向かなくても、苦笑い顔になっているのが分かる。
「そんなに緊張しないで。あなたの趣味を批判するつもりなんか微塵も無いんだから」
「あはは……」
彼女の苦笑い声(ごえ)を余所(よそ)に、視線を高速で本棚の背表紙に走らせていく。
彼女の読書傾向を瞬時に把握する。
「全部把握しちゃった、あなたの読書傾向。それから、読書って枠を超えて――あなたの『スタンス』みたいなのも見えてきてる」
「スタンス?」
訊く彼女。
「物事に対する『スタンス』よ」
わたしは答える。
「それと、あなたの『生活(くらし)ぶり』みたいなモノなんかも、この本棚から滲(にじ)み出てきてる」
「生活臭みたいなモノまで出ちゃってるのか。何だか恥ずかしい」
「ホントにゴメンね。他人の本棚を見る機会があると、ホンキになり過ぎちゃうのよね」
「愛さんには敵(かな)わないな。……謝らなくてもいいよ。それだけ真剣に本棚を観察できるなんて、凄いって思う、アタシは」
「ありがと」
りっちゃんに感謝しながら、りっちゃんの本棚の一角に右手を近付け、2冊の本を抜き取る。
講談社文庫の村上春樹『羊をめぐる冒険(下巻)』と、白水uブックスのサリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』だ。
2冊の小説を左右の手で柔らかく持ち、根っからの文学好き女子として、暖かい視線を注いでいく。
りっちゃんが、
「どうしてその2冊を抜き取ったの?」
わたしは春樹とサリンジャーに視線を注いだまま、
「なんとなくよ。直感よ」
「えー。それじゃ納得できないかも、アタシ」
面白くなりながら、
「テキトー過ぎるわよね。今のわたし、ちゃらんぽらんなのが出過ぎちゃってる」
とわたしは言う。
「個性だな。そういうとこも、眩しいよ」
とりっちゃん。
「眩しい?」
とわたし。
「ちゃらんぽらんなのが眩しいって、変(ヘン)だけど。そうとしか表現できない」
りっちゃんが言う。
そっかあ……。
わたしはさらに嬉しくなる。間違いなく褒(ほ)められているんだから。
× × ×
「さてと」
パジャマ姿のわたしはパジャマ姿のりっちゃんにキチンとした姿勢で向き合って、
「寝るとしましょーか」
と告げた。
告げた相手の喉がゴクン、と鳴るのが確かに聞こえた。
敢えて無言で、緊張の色が濃くなり始めている彼女を味わう。
やがて、
「あのね……」
とりっちゃんが口を開き、
「愛さんは……アタシのベッドに一緒に入りたいんだろうって……そんなふうに……予測していて。……でね、アタシの方も、床に布団を敷いてもらうよりは……ベッドで一緒になった方が……愛さんの手間も省けるし……だから、だからね」
「添い寝してほしいのね」
わたしが言った途端に、りっちゃんの顔が赤く染め上がった。
小柄なりっちゃんは小学3年生みたいに首をブンブン振って、
「添い寝じゃないっ。ちょっと違うっ。寄り添ってもらいたいっていう要望っ」
「寄り添って寝るのは、添い寝でしょうに」
口を半開きにしてボーゼン状態になっちゃう彼女。
かわいいから、
「あったまりたいキモチも強いのよね? 夜は冷えるし」
と言ってあげる。
恥ずかしさレベルがジャンプアップした彼女は、身を縮めて下を向いてしまう。
かわいい……!!
× × ×
そしてベッドの中。
「今夜は『お母さん』よ」
右隣で仰向けの彼女を仰向けで揺さぶる。
「おかあさん!? だ、だれが」
「わたしがお母さん役に決まってるでしょ、ふたりきりのベッドなんだから。だいぶ混乱してるのね、あなた」
彼女が掛け布団の中に潜り込む音が聞こえてきた。
「掛け布団に潜っても、まだ寒いんじゃないかな。エアコン切ってるんだし」
そうやってわたしは『かわいがる』。
沈黙に陥るりっちゃんがとってもキュートだ。
キュートだから、より一層、『お母さん』になりたくなる。
とりあえず、りっちゃんの左肩に優しく触れてみた。
それから、肩から手に向かうラインを撫でていく。ゆっくりゆっくりと撫でていく。
とても柔らかいラインだった。
彼女の手のひらにわたしの右手が触れ合った時だった。彼女の方からわたしの右手を握ってきた。
彼女がわたしの方に横向きになるのが分かった。わたしの右肩に彼女の髪が触れる。無造作な長めの髪が触れる。
横向きになってくれたんだから、こっちも横向きになってあげたい。
横向きの両者が互いに向かい合う構図が出来上がった。
わたしはわたしの左腕を彼女の背中に伸ばした。
包み込んで、抱き込む。
わたしに温もりがやって来る。彼女にはわたし以上の温もりがやって来ているはずだ。
「愛さん」
小さく、ボショリと、
「アタシ、あったかいし、うれしい」
という声がする。
わたしはわたしの肌で、彼女の感情を受け止める。
「愛さんが、ホントの母さんみたいに優しくしてくれるから、アタシ、社会に出る自信が持てる……」
「わたしも、とっても嬉しい。もう少しで社会に出ていくあなたの助けになることができて」
「……愛さん。」
「なあに」
「もう少しで、眠れそう」
「うん」
「おやすみ……」
彼女のフニャフニャした「おやすみ……」という声が、これ以上無く、心地良く耳に響く。
わたしの胸で、彼女のオデコの感触が強くなる。