「お姉ちゃん、あんまりアツマさんをイジメちゃダメだよ?」
姉は、姉用マグカップを両手で大事に持ちながら、
「だいじょーぶよ。程々にイジメてるだけだから」
あのねえー。
「結局イジメてるんじゃないか。ぼく、アツマさんがイジメられてしょげてる姿を見てると、とっても可哀想なキモチになるんだよ?」
昨日も、
「お邸(やしき)であすかさんとふたりがかりでやってたでしょ、言葉責め。あれは良くないよ。アツマさん、ズーンと沈んでた。ぼくが懸命に慰めたから、少しは元気を取り戻したみたいだけど……」
「どうして利比古(としひこ)は、そんなにアツマくんに献身的なの?」
呆れざるを得ないぼくは、
「アツマさんを尊敬してるからだよ。……アツマさんは尊敬できるけど、お姉ちゃんやあすかさんの彼への接しかたは、正直尊敬できないよね」
「わかってないわねえ」
なななっ。
「愛情を注ぎ込みたいから、強く当たるし、ときにはイジってイジメるの。あすかちゃんだってそーよ。心の底やお腹の底では、アツマくんを大切にしてる……なんてったって、実のお兄さんなんだし」
「無理筋なことあんまり言わないでよ」
「無理筋じゃありません」
無理筋を否定した姉が、真っ直ぐに微笑みかけてきた。
微笑みの目線が、ぼくを射抜く……。
美人の微笑み目線に、やられてしまいそうになる。
言ってることややってることとは、真逆。
それが、姉の容姿の、きらびやかさ。
× × ×
「絶対、中身もキレイになったほうがいいと思うよ」と呟いて忠告するのが精一杯だった。
当然のごとく、姉は忠告を受け流す。
えっと、状況説明。
月曜日の昼下がりである。
ここは、アツマさんと姉のマンション。
アツマさんは当然仕事場に行っていて、姉だけが居るところをぼくは訪ねに来た。
『今日、姉は大学の講義のコマが入ってるんではなかろうか?』
そんな疑問が浮かぶが、真相は藪の中。
ぼくのほうは半日フリーである。
断じて講義出席サボタージュとかではない。
「お姉ちゃんってさ。女子校に通ってたとき、勉強は優秀だったけど、素行は必ずしも優秀とは言えなかったよね。例えば、無断で放課後の音楽室に忍び込んで、勝手にピアノリサイタルをやったりとか」
「誇張があるわよぉ利比古」
「ないよ」
容赦なく否定し、
「先生にこっぴどく叱られてたでしょ。複数の人の証言がある」
と言い、それから、
「まだ、ある。『音楽の荒木先生にカツ丼を作りました事件』。放課後、家庭科室を勝手に開けて、荒木先生にカツ丼を作った。作った理由が、『荒木先生が煮え切らない態度を取るから、尋問したかった』」
「……ずいぶんよく知ってるのね」
「お姉ちゃんが思ってるより知ってる」
荒木先生の『煮え切らない態度』の『理由』って、確か。
いやいや。
深堀りは良くない良くない。
主に……さやかさんのために。
余計なことを考えて、いちばん言いたいことを言えずじまいになりそうで、それは流石にマズいしヤバいので、
「ぼくがなに言いたいかってゆーとねえ」
と、厳しめな口調になって、
「明日はいよいよ、お姉ちゃんの21歳の誕生日で」
と言って、
「21歳だっていう自覚を持ってほしいの、自覚を!」
と言ってから、卑怯としか言いようのないほど整った姉の顔面を見つめる。
「中身もキレイになってほしいってのは、そーゆー意味! 21歳だったら、なにからなにまでオトナになるべきだよ、特にお姉ちゃんは、カラダの内側のほう!!」
「内側~? 内臓のこと~?」
「とぼけない!!!」
「ヒャアッ」
怯えとは真反対のリアクションの姉。
「ココロのことだよ、ココロ!! 性格と言い換えても、いいけど!!」
「わたしは真面目にやってるわよー」
「ど、どーしてそんなに根拠希薄なこと言えるの」
出し抜けにダイニングテーブルの椅子から立ち上がる姉。
バカ。
睨む視線で姉の足取りを追う。
ソファにひょいっ、と腰掛ける。
右腕で頬杖をつき、ニヤリニヤリとぼくに眼を向けてくる。
「きてよ」
澄み切った声で、姉はソファに来てほしいと言ってくる。
睨み続けるのに疲れ、完全に根負け状態のぼくは、椅子から腰を上げるしかなくなる。
トボトボとソファまで歩く。
姉の左隣に座ってしまう。
途端に姉がふにゅっ、としてきた。
カタカナ6文字で言えば、スキンシップだ。
柔らかなカラダを引っ付けてきたかと思えば、ぼくの左肩を抱いてきた。
栗色の鮮やかな髪がぼくのほっぺたに触れた。
どうしようもない。
アツマさんは仕事中だからヘルプも呼べない。
絶望的なほどに美しい姉の、絶望的なスキンシップで、絶望的に追い込まれるぼくという存在……!!