アツマさんがお邸(やしき)から仕事場に向かっていった。
それを見送った姉が、リビングに戻ってきた。
タブレット端末を持っているぼくに、
「熱心ね、利比古」
と姉は言い、
「夏休みでヒマだから朝からウィキペディア……ってところでしょうけど。なにを調べてるの?」
「お姉ちゃんだったらだいたい見当がつくんじゃないかな」
「あんたはテレビっ子だから……テレビ番組のことだとか」
「よくわかったね」
そう言いつつもぼくは、
「でも、日本のテレビ番組を調べてたんじゃないんだ」
「えっ?」
「ぼくが今読んでるのは英語版ウィキペディア。アメリカのテレビ番組についての調査をしてたんだ」
「……熱心なのね」
お。
姉が「熱心」って2回言った。
「な、なにゆえ半笑いなの、利比古」
ごめんごめん。
「ごめんごめん。朝からお姉ちゃんが面白いから、つい」
「と、利比古ッ。余計なコトバを付け加えないでっ」
「うん」
素直な弟のぼくは、
「余計だったよね」
と言い、それから、
「ウィキペディアに没頭するのはやめるよ。コーヒータイムにしようか」
× × ×
ぼくは砂糖とミルクを入れ、姉はなにも入れない。
長年変わらない姉弟のコーヒーの飲みかた。
自分専用カップをコトンと置いて姉が、
「あすかちゃんはアツマくんより早かったわね」
「あー、出かけるのが?」
「そ。出かけるのが」
スカートの上で指を組み、
「『八王子まで行く』って言ってたけど、いったい八王子でなにをするのかしら?」
「買い物なんじゃないの」
「行きたいお店が八王子にあったってこと?」
「そうなんじゃない?」
「どんなお店なのかしら。もっと彼女と話しておくべきだったわ」
「気にかけてるね、あすかさんのこと」
依然としてスカートの上で指を組みつつ姉は、
「薄情じゃないもの、わたしは。あすかちゃんのことが大好きだし」
「知ってる」
「『知ってる』じゃないわよっ利比古。あんたなら分かってるでしょ。わたしとあの子は、血が繋がってなくても、仲良し姉妹(きょうだい)なんだっていうことを」
「――たまにケンカになるけどね」
言うやいなや姉はテンパって、
「で、でも、ケンカのたびに絆は深まったし」
「そうだねえ」
「……」
指を組むのをやめて、スカートの膝のあたりに両手を置く。
それから背筋をピンと伸ばす。
美人女子大学生な顔の眼が、珍しく、真面目な眼になる。
軽く息を吸ってから、
「利比古。――あんたのほうが今は、あすかちゃんの様子をよく知ってるでしょう? わたしはアツマくんとふたり暮らしになったけど、あんたとあすかちゃんは一緒に邸(ここ)にいるんだし」
切り込んでくるんだな……お姉ちゃんも。
「思うでしょ?? あすかちゃんの様子が少しヘンだって」
「思う」
うなずいて即座にぼくは肯定する。
「敏感に察知してるよ。一緒に暮らしてるから。ここ2ヶ月ぐらい、あすかさんは本来のあすかさんじゃなくなってる」
「ハタチの誕生日を迎えたあとから、よね」
「ぼくにも、思うことは、ある」
「思うことがあるのなら……」
「言ってみるべきじゃないの、と?」
こくりと姉はうなずく。
「あんたもここが頑張りどころよ。積極性、見せてほしい」
「積極性」
「そう。積極性と、それから、主体性」
「積極性と主体性、か」
「彼女を救ってあげるのよ」
「積極性と主体性でもって?」
「よく分かってるじゃない。そういうことよ」
「難しくてデリケートな問題も絡んでる気がするけどね」
「それはそうだけど、躊躇しちゃダメ。足踏みは良くない。……わたしね、この前あすかちゃんたちのバンドのライブ演奏にサポートメンバーとして参加して」
「うん」
「ライブが終わったあとで……抱いてあげた」
「あすかさんのカラダをハグ……か」
「スキンシップは絶対にすべきだって思ったから」
真面目な表情を変えず、
「あんたは男子だし、あすかちゃんの恋人でもなんでもないんだから、スキンシップはなかなかできないでしょうけど」
と言い、
「繰り返すけど、躊躇(ためら)いや足踏みはNGよ。『踏み込む』ぐらいがちょうどいい」
『踏み込む』か……。
ぼくは、
「どれくらい……踏み込むことができるかな?」
と言う。
姉は、
「あんた次第よ」
と言って、静かに微笑する。
珍しいものだ。
混じりっけのない真面目さで……ぼくを、姉が、後押し。
今日のお姉ちゃんは、外見だけじゃなくて、中身もキレイだ。