この邸(いえ)に来てから、最初の大みそかだ。
桐原高校に入学して、KHK(桐原放送協会)の一員になって、ほんとにいろんなことがあったなあ。
来年も――、
いろんなことが、起きそうだ。
いかにも、波乱が待ち構えていそうな気配。
『利比古~、コーヒー飲まない~~?』
姉が、ぼくを呼ぶ。
× × ×
「お姉ちゃんはほんとにコーヒーが好きだね」
しかも、砂糖もミルクもなにも入れないで飲むのだ。
ぼくにしてみたら、ブラックコーヒーなんて、苦くて飲めないんだけど。
「…利比古、バルザックって知ってる?」
「フランスの小説家だっけ?」
「そうよ。
バルザックは、がぶがぶコーヒーを飲んで、小説を書きまくったの。
コーヒーのおかげで、バルザックは19世紀フランスの文豪になった」
「文豪に……」
「ま、コーヒー飲みすぎたせいで身体(からだ)壊して死んじゃったんだけどね」
「……へぇ」
フランス文学について、ひとつ賢くなった。
「お姉ちゃんは、ほんとに文学が好きなんだね」
「まだまだよ、わたしも」
「ほら…部屋の本棚とか、すごいじゃんか」
「あら、そう」
「謙遜する必要ないよ」
「でもねえ…受験勉強のあおりを受けて、読書量が少し減っているの」
「それはしょうがないよ」
「――読みたい本があったら、いつでも貸してあげるよ? 遠慮しなさんな」
「どうしよっかな」
「ただし――」
「?」
「――姉の部屋に入りたいときは、必ず一度ノックすること」
「してるってば、ふだんから」
「ホントか~~?」
「…なんでそんなニヤつくかなあ」
× × ×
コーヒーを飲んだあとで、
姉といっしょに、ベランダに出た。
「寒いねお姉ちゃん」
「もっと寄ってあげようか」
「か、過保護だよ」
「なんで。きょうだいなんだから、べつに過保護とかないよ」
「……スキンシップ、好きだね」
そう指摘したら、
顔を赤くして、スネた。
ぷいっ、とぼくと逆方向を向きながら、
「――KHKは、どうなのよ」
「気になる?」
「そりゃ、合宿やりに来てくれたんだから」
「麻井会長は――2回来た」
家出のときと、合宿のとき。
「りっちゃん、どうしてる?」
「2学期も、毎日KHKに来てたよ」
「会長の座を譲らないんだ」
「そろそろ譲ってもらわないと困るんだけどね」
「だいじょうぶだよ、彼女なら、そこんところ、ちゃんとするって」
「…だと思う」
「――あれからりっちゃんとはデートしてないわけ」
だ、
出し抜けに。
「したわけないでしょ!!」
「誘われないの? あっちのほうから」
「誘われるわけないよっ!!」
「ふぅん。…あんがい、あんたとりっちゃん、似合ってると思うんだけどな」
「先輩後輩っていう関係なだけだよっ」
「年の差カップル、ってのがいいんじゃなーい」
「からかわないでよ」
「年齢も身長も、でこぼこコンビだ」
「…意味わからない」
「ごめん、日本語がかなりあやしかった」
「謝られても困るなあ…」
「りっちゃんは――映画好きなんだよね。映画苦手なわたしとは大違いだ」
「映画だけじゃなくて、読書も好きみたいだよ」
「あー、わかるかもー」
「わかるの?」
「――こんど会ったときは、本の話で盛り上がりたいな」
「そのためには、お互い進路を定めないとね」
「いいこと言うじゃないの」
「ぼくは陰ながら、お姉ちゃんも会長も応援してるんだよ」
「受験を――」
「受験を。」
「…『陰ながら』じゃなくったっていいじゃない」
「たしかに」
「もっとあんたには強気になってもらわないと」
「うん……」
「あんまり弱気だとわたし、怒っちゃうゾ☆」
アハハ……。
姉は、怒ると怖いからなー。
「じゃあ、いま、強気になっていい?」
「――え、どういうことよ、利比古」
姉の顔をまっすぐにジーーーッと見る。
ドギマギする、姉。
「お姉ちゃん。
ぼくは……アツマさんに負けないくらい、
お姉ちゃんのことが、好きだよ」
× × ×
姉がキッチンに引きこもってしまった。
「愛はどうしたんだ?」
コタツの部屋で静かに読書をしていたら、アツマさんが姿を現した。
「ひたすら蕎麦(そば)を茹でて、ひたすら天ぷらを揚げているそうです」
「……年越しソバにはまだ早くないか」
「いいじゃあないですか。大みそかなんだし」
「ま、きょうあすは、特別だわな」
「羽田家では、年越しソバを食べるのが早くて」
「ほお」
「16時にはもう、食べ始めてました」
「ふむむ」
床に腰を下ろしてアツマさんは、
「――恋しいか? ご両親が」
「いいえ。心配ご無用、です」
「強いなあ」
感心したみたいに、
「愛は……中等部のときとか、ちょくちょくホームシックになってたもんだが」
「……みたいですね」
「そういうとき、母さんやあすかに任せっきりで、おれはほとんど、なにもしてやれなかった」
「……過去形でしょう?」
「だな」
「アツマさん。甘えんぼな姉ですけど、これからもよろしくおねがいします」
「おう」
年末の挨拶っぽく、なったかな。
アツマさんは不敵に笑って、
「なあ利比古、来年は、愛の秘密をもっと教えてくれよ」
「秘密ですかー、たとえば?」
「小学生時代のこととか――」
アツマさんが言いかけた途端、『ガラッ』と引き戸が開け放たれ、
腕を組みながら仁王立ちしている姉が、視界に飛び込んできた。
「なーにをはなしているのかなー」
「…べつになんでもねえよ」
「なんでもないですよね、アツマさん」
「あまりわたしをイジメるなっ」
「イジメてなんかないよ、お姉ちゃん」
「――利比古も、アツマくん色(いろ)に染まってきた?」
「染まって不都合あるの」
「そうだ、利比古の言う通り。利比古はおれの影響を受けてるんだぞ。もちろん――いい意味で、な」
「ふ、ふ、ふたりともイジワル」
姉の声が、ふるふると震えてくる――。
「とりあえず、アツマくんは今夜のチャンネル選択権剥奪(はくだつ)」
「なんじゃあそりゃあ」
「と、利比古はっ、イカの天ぷらひとつ没収」
「? どゆことお姉ちゃん」
「あんたの年越しソバの天ぷらがひとつ減るってことよっ!」
「――それで許されるんだ」
「ゆっ許すついでに――、」
「なあに?」
「――利比古、あんた来年は、自力で天ぷらを揚げられるようになりなさい」
「…お姉ちゃんが、教えてくれるんだよね」
「もっ、もちろんよっ。料理の教え上手ならだれにも負けないんだからっ」
「おまえはいますぐにでも料理学校の先生になれそうだよな」
「ぼくも同感です! アツマさん」
「なるわけないでしょっっ!!」
――てんやわんや、だけども、
無限に、楽しく時(とき)は過ぎていく。
愛すべき、読者の皆さま――、
2021年も、この邸(いえ)を、見守ってやってくださいね。