「すまないね、さやかさんと侑(ゆう)ちゃんには」
わたしと大井町侑(おおいまち ゆう)の前に立ってアツマさんが言う。
「おれがもう少し気をつけていれば、もう少しあいつのことをちゃんと見ていれば、事態を未然に防げたかもしれんかった……反省だ」
「くよくよしても仕方がないですよ」
言うわたしだった。
それに、
「くよくよするなんて、アツマさんらしくないと思いますし」
「さやかさん……」
「愛の看病はわたしと侑にお任せください。ふたりで看病するんだから、すぐに愛も持ち直しますよ」
そう言ってから、
「ほらほら。グズグズしてると遅刻しちゃうじゃないですか。アツマさんは仕事を頑張ってください」
と促す。
侑も、
「そうですよ。遅刻はダメです。時間は守らなきゃ」
苦笑いでアツマさんは、
「かなわないなあ」
と言って、
「だよな。時間を守るのは最優先事項だ」
と言って、バッグを持って、
「頑張ってくるよ」
と、玄関に向かっていく。
× × ×
「アツマさんってさ、侑のことは『ちゃん』付けにするよね。なんで?」
「わたしがお願いしたのよ。『さん』付けはイヤだったから」
「呼び捨ては?」
「呼び捨てする勇気が出なかったみたいで」
「あー、まあね」
それにしても、
「それにしても……わたしのことは『さん』付け、侑のことは『ちゃん』付けか。アンバランスだな、なーんか」
言った途端に侑がニヤつき目線になって、
「さやか、もしかして、あの男性(ひと)に『さやかちゃん』って呼ばれたいの?」
ぐ……。
「それは……ノーコメント」
「『ノーコメント』ってコメント、便利よね」
「さ、さっさと寝室行くよ!? 侑っ」
× × ×
ありゃー。
完全に夏風邪だな、これは。
若干季節外れな気もするけど、まだ残暑が厳しいんだし、やっぱり「夏」風邪だよね。
「流行性感冒じゃないから……さやかも侑も安心してね」
弱い声で愛が言う。
ダブルベッドの真ん中で非常にダルそうだ。
「風邪も流行性感冒なんじゃないの?」
ツッコミを入れてしまうわたしだったが、
「さやか、そういうのは後回しの後回しでしょう? 愛の看病を早く始めてあげましょうよ」
と右隣にいる侑に言われてしまった。
「そーだった、そーだった」
と言って、腰を上げて、
「といっても――なにから取り掛かればいいっけ、看病って」
と侑に尋ねてみる。
すると、
「あらら、風邪の看病の手順をさやかは知らないのね?」
と侑……。
「わ、悪かったねっ、知らなくって!!」
突っぱねざるを得なかった。
手順を知らなかったのが事実だったからだ。
わたしが風邪をひいたときの看病、母さん任せだったから……。
「アツマさんには、看病に自信のあるような口ぶりだったのに」
追い打ちをかける侑。
反発して、
「そう言うからには……侑、あんたはちゃんと『手順』が分かってるんだよね」
侑は即座に、
「ええ」
と首肯。
それから侑はゆっくりと腰を上げ、
「今日はわたしがさやかの先生役ね」
と言ってくる。
わたしは悔しくなる。
× × ×
だけど、侑はほんとうに手慣れていた。
侑についていけば、万事がスムーズに行くのだ。
食事・着替え・薬を飲ませるタイミング。
全てをテキパキとこなしていく侑。
食器洗いを終えたあとで、洗濯機置き場から戻ってきた侑に向かい、
「すごいんだね、あんたの生活力」
と言って、褒めてみる。
「生活力がすごいから、テキパキ看病ができるんだよね」
微笑みの彼女は、
「そうとも言えるかしら」
と、嬉しげ。
「かなわないな。負ける」
家賃の安いアパートでひとり暮らし。その上、生活費は全部自分で稼いでいる。
自分自身の温室育ちを思い知る。
だから、
「負けちゃう、どうしても」
と再度、サバイバル能力抜群の彼女に対してコトバを零(こぼ)してしまう。
「わたしと比べてしまってるの?」
比べるよ、そりゃもう。
黙って首肯。
「かなわないとか負けるとか、あなたは言うけど」
ダイニングテーブルの椅子に座る侑が、キッチンの流しを背にするわたしに向かって、
「わたしとあなた――案外『同じ』なんじゃないかな」
え?
『同じ』!?
『同じ』って、似てるとか、共通点があるとか!?
真向かいの彼女を思わず凝視。
微笑みを崩すことなく、
「どうしたのよ。一気に前のめりになって」
「お……『同じ』って、なに。どーゆーこと」
「『似たもの同士』って言っちゃったら、さやかは怒る?」
うろたえる。
うろたえる故(ゆえ)に、なにも言えなくなる。
「強気がデフォルトでしょ、わたしもあなたも」
強気が……デフォルト……。
「時には攻撃的になっちゃうぐらいに」
ん……。
「さやか? あなた、初めは愛と反(そ)りが合わなかったんだってね」
んん??
「な、なんでそんなこと知ってんの」
「愛が話した」
あ……愛。あんたって、マジで無責任……!!
「わたしも『同じ』なのよ。つい最近まで反りが合わないばっかりだった」
右手で頬杖をつき、微笑(わら)って、
「でも、一気に仲良くなった。大雨で濡れていた地面が、みるみるうちに乾くかのように」
喩えが的確だった。
わたしと愛の関係性も……『同じ』だったのだ。
大雨が降ったけど、あっという間に地面が乾いた。
懐かしい。
「――どうして下を向いてるの? さやか」
「感慨深かったからに……決まってるでしょ」
「決まってるのね」
「なっちゃうよ、センチメンタルに」
「あら」
「この気持ち、共有してほしい」
「そう……。それなら、してあげる」
「お願い」
「精一杯努力して共感するわ」
「アハハ……。律儀だね」