【愛の◯◯】君は留まることを選んだ

 

水谷ソラが活動教室の窓際にいる。

部長の日高ヒナと距離をとって。

親友のはずの2人の距離感が気になりつつも、ノートPCで作業をしている日高ヒナのほうにボクは向かっていって、

「日高。仕事をくれんか」

ボクではなくモニターを見ながら、

「なんであたしに言うの?」

と日高。

ちょっと待った。

君は部長のはずだろ。

部長なのなら、

「『指示をするべき人間がだれなのか』ということぐらい理解してほしいんだが」

理解!?

大声を出すな。

高3の2学期になっても、すぐに大声を出す習性が変わっていない。

卒業するまでに矯正するべき日高の大声。

矯正するためには。

「なあ水谷。日高になにか言ってくれや。ボクだけじゃ日高が大声を出すのを押し留められんのだ」

なぜか窓際族と化した水谷の方角を向いて呼び掛けてみた。

しかし、水谷は頬杖をついて外の風景を眺めるばかりだ。

……せっかく。

せっかく『夏休みが終わったら引退する』という発言を撤回して部に残ったというのに。

しばらくボクは水谷の様子を眺めた。

数分間にわたって外の風景を見続けたあと、窓から視線を外し、いったん眼を閉じる。

それからいきなり机の上を両手でパーンと叩く。

ボクたちが『何事か!?』と思うヒマもなく水谷は立ち上がり、

「今日は……わたしが会津くんに指示を出す」

 

× × ×

 

強引に外に連れ出された。

ぐんぐん水谷は歩く。

速歩(はやある)き。

いったいどこに向かうんだ。

そしてそもそも、いったいなんのために連れ出したんだ。

 

ピタッと水谷が立ち止まった。

ボクに背中を見せ通しのまま彼女は、

会津くんの下の名前って、『タイチ』だっけ、『ヤマト』だっけ」

とか突然に言い出してくる。

意図が分からないが、

「タイチでもヤマトでもない。ボクの名前は『大地(ダイチ)』だ」

と答えておく。

「そっか……。すっかり忘れてた。ゴメンね」

言うやいなや水谷は振り向いて、

「あなたのこと、『ダイチ』って呼ぶ」

!?

「――って言ったら、どうする?」

お、おい。ドギツい冗談はやめてくれ。

おかしな水谷のせいでボクは狼狽(うろた)えてしまっている。

彼女の微笑み顔のせいで狼狽(ろうばい)の度合いが高まる。

水谷もおかしいが、ボクのほうもなんだか変だ。

というのは。

水谷の微笑み顔に吸い寄せられるなんて事態は、これまで少しも無かったのだ。

現在(いま)のボクは水谷のちょっとした仕草に過敏になってしまっている。微笑み顔だけではない。例えば、さっきの窓際に座っている様子だとか……。

「あれー? 会津くん、視線が泳いでる」

無遠慮な指摘。

『だれのせいで視線が泳いでると思ってんだ……』というコトバを呑み込み、やや下を向く。

実のところ、変になる要因はあったのだ。

そう。ボクと水谷、お互いに変になってしまう要因。

それは……。

 

ダメだっ。

 

ダメだっ、思い出すと、理性がダメージを受けてしまう。

自分自身の理性が脅かされるほどの出来事。

その出来事とは、出来事とは、先月の、8月の、祭りの夜の……!

 

「なーにテンパってんだか」

 

水谷が言ってきた。

たまらず、

「あ……あのだな、水谷、君はだな」

「わたしがどーかしたの」

「どう……『消化』しているのか、という話で」

「『消化』? なにを」

「だって、君は、君は――」

「あ~~っ」

微笑みを崩さずに水谷は、

「『抱きつき事件』か」

 

――ストレートに言いやがって。

 

「8月終わりの夏祭り。花火が舞い上がる中、わたしが会津くんにいきなり抱きついていったから、会津くんもブログ読者の皆さんも驚愕してしまった」

「……2023年度始まって以来の説明ゼリフだな」

「仕方ないでしょ。ちゃんと説明しなきゃいけないんだし」

押し黙るボクに、

「抱きつき事件のことを思い出して、そんなに狼狽えてるんだね」

という水谷のコトバが食い込む。

そうだよ、水谷。

フラッシュバックするんだよ。

ふとした弾みでフラッシュバックするんだ。

フラッシュバックする責任はたぶん、君のほうが大きい。

それと。

抱きつきの主体だった君のほうの、心情、も、ボクは……気になって。

息を吸い込んでから、

「現在(いま)この場所には、幸いにして通行人が居ない。だから、『抱きつき』がどうとか言っても都合は悪くならない」

「だね」

「問題は……やはり……君のほうで、君がしてしまった行為のことを、どう『消化』してるのか……ということだ」

首を縦に振る水谷。

「人が通行する気配も無いし、思い切って訊いてみたい」

「なにを、かなぁ?」

ふたたび息を吸い、5秒間『溜め』を作り、それから、

「抱きついた。

 抱きついたから、ますます離れたくなくなった。

 離れないためには、スポーツ新聞部という場所に居続けるべきだ。

 だから、留まることを選んだ」

言っている自分がイヤになりつつも、

「留まることを選び、ボクの近くに居続けることを選んだ」

と言い、いったん話すコトバを切り、水谷の顔面を懸命に見つめる。

 

視線が合った。

 

水谷の体温も確実に上昇している。

確信できる。

入学以来3年間接してきたのだから。

顔の赤さ云々ではなく、全体的な様子で、水谷ソラという人間の照れ具合を推し測れるのだ。

もちろんのこと……ボクのほうがなお一層、照れくさくなっていたりはするのだけれども。

お互いに混乱し、困惑し、言語という道具を使えなくなった。

知らない男子生徒が1人通りかかる。

『通行する気配も無い』という断定は間違いだった。

男子生徒は気にも留めず去っていく。

奇跡的だと思った。

 

× × ×

 

水谷ソラがボクを活動教室の外に連れ出した理由は完全に有耶無耶になっていた。

でも、そんなことは最早どうでもいいことになって。

理由とか動機とかが消えてゆき――関係性が明確に変化したボクと彼女は、立ち尽くしたまま、互いを見ている。