貝沢温子(かいざわ あつこ)です。
スポーツ新聞部では「オンちゃん」って呼ばれています。
放課後の活動教室。
テレビ欄を作成していた部長のヒナ先輩が、PCから顔を上げて、
「オンちゃんは、戸部あすか先輩のこと、あんまり知らないよね?」
と訊いてきた。
「そうでもないですよ」
答えるわたし。
「え、マジ」
「マジです。『作文オリンピック』銀メダリストであることとか、ロックバンドのギタリストであることとか、認知してますし」
「あーっ」
ヒナ先輩は、
「やっぱそこは有名かー」
と言ってから、
「あすか先輩が書いた記事は読んだことある?」
「あります。高校生離れした文章力だって思いました」
すぐにそう答えて、それから、
「いろんな逸話があるんですよね? 逸話って言うよりも『伝説』って言ったほうがいいのかも、ですけど」
「そうだねえ」
右腕で軽く頬杖して、
「残したよね、伝説、この学校に。いろいろと、彼女は……」
とヒナ先輩。
感慨深さが声に籠(こ)もっていた。
「あたしも精一杯、彼女みたいな存在に多少なりとも近づけるように頑張んなきゃね」
とコメントして、ヒナ先輩はPCに視線を戻す。
白板(はくばん)に記された本日のスケジュールを見ていたら、ソラ先輩が近寄ってきて、
「あすか先輩は明後日が誕生日なんだよ。20歳」
「わあ、そうなんですか」
「わたし、なーんか実感が無いの。この学校で一緒に部活してた女子(ひと)が、あっという間にオトナの女性(ひと)になっちゃうんだもの」
「ハタチはオトナですよね~」
「わたしにしたって2年後にはハタチなんだけど。あと2年したらハタチになるっていう実感も湧かない」
『そうであっても、少しは自覚を持っておいたほうが良いんじゃないか?』
あっ。
ソラ先輩の逆サイドから会津先輩がやって来た。
「説教臭いよ、会津くん」
ソラ先輩がにわかに苦い表情になる。
「自覚を持つべきなのはお互い様でしょ!?」
まあまあ。
「もちろんボクにしたって弁(わきま)えてるさ。知っての通り、成人年齢だって2つ引き下がってる」
「でも会津くん、まだ17だよね!?」
「水谷だって。君の誕生日もまだ来ない」
えーっと。
ソラ先輩も会津先輩も3年生だけど、18歳の誕生日はまだ来てない。
ヒナ先輩は?
確か3年生トリオの中だと、ヒナ先輩がいちばん誕生日が早くって――。
わたしはヒナ先輩のほうを見てみた。
ちょうどPCから顔を上げていた彼女と眼が合う。
合ったから、
「ヒナ先輩のお誕生日はいつでしたっけ?」
と尋ねる。
しかし。
ヒナ先輩は、満面の笑みに包まれた顔で、答えてくれない。
戸惑いを覚えて、梅雨の季節だというのに背筋がヒンヤリとし始める。
たぶん、訊いたらいけないことを訊いたというわけじゃない。
だったら、なぜ……??
「どうして貝沢に教えてやらんのだ、日高」
会津先輩がヒナ先輩を詰(なじ)った。
即座に「あっかんべー」をするヒナ先輩。
会津先輩はたじろぐ。
「あ、あのっ。会津先輩は……ご存知なんでは?」
たじろぎの彼に眼をやるわたし。
しかし、
「す、すまん貝沢。実を言うと……思い出せんのだ」
そんな。
メガネの眉間の部分に指を当て、
「み……水谷が。水谷が絶対知ってるから」
と言って、彼は白板の前から去ってしまう。
ソラ先輩にわたしは振り返った。
「ご存知……ですよね……」
恐る恐る言って、彼女の返答を待つ。
だけど、ソラ先輩は……。