丸田吉蔵(まるた よしぞう)くんが、わたしの実家のカフェに来ている。
完全なる俳句キャラの丸田くん。
「桐一葉日当りながら落ちにけり」という高濱虚子の有名な句がいかに素晴らしいか、ということを、店主であるわたしの父に向かって熱弁する丸田くん。
『わたしのおとーさんに熱弁しても意味ないよ。どうせおとーさんチンプンカンプンなんだから……』と思って遠目に見ていたら、
「なあ、ほのか。今日もおまえに『おつかい』してほしいんだけど」
と父がいきなり言ってきた。
「おれの帰り道の途中にあるお店ですか!?」
丸田くんが大声で言った。
「あんまり長居するのもアレなんで、そろそろ帰ろうかなと思ってたんです。――ほのかさん、一緒に行きましょうよ」
ほんとに『そろそろ帰ろうかな』なんて思ってたの??
あやしい。
それに、
「『一緒に行く』って。お店に行くのはわたし1人でいいでしょう」
しかし父が、
「ほのかー。細かいこと言わんくてもいいじゃないかぁ」
……黙らせるべきは、どっちなのか。
丸田くんか、おとーさんか。
× × ×
「夏は夜」と書いたのは清少納言。
ただ、俳句キャラの丸田くんであれば、「8月」が「初秋(しょしゅう)」であることに固執するだろう。
「――実感としては、どう考えても『夏』なんだけどね」
「え!? いきなりどうしましたか、川又さん」
利比古くんがビックリしている。
彼に、
「どーもしてないよ。余計なヒトリゴトを言っただけ」
「……」
「ごめんね。利比古くんのCM研究を邪魔しちゃったみたいで」
状況説明。
19時を過ぎたところ――わたしはお邸(やしき)に来ていて、居間で利比古くんとマッタリしている。
彼がCM雑誌を熟読しているところに、わたしのさっきのようなヒトリゴトが飛び出たというわけだ。
「謝る必要ないですよ、川又さん」
そう言ってくれる彼のハンサムな顔に、視線をじーっと当てる。
そしてそれから、
「利比古くんってさ」
「?」
「わたしのこと、下の名前で呼ばないよね」
「あっ」
微妙さを極めたみたいな微妙なリアクション……。
まあいいけど。
「下の名前で呼ばれたいんですか?」
訊かれるが、
「んーーーーーっ」
と、彼を戸惑わせてしまいそうなリアクションをしてしまう。
名前の呼びかた云々の話を振るんじゃなかった。
少し後悔。
わたしは緩やかに首を横に振って、
「下の名前じゃなくてもいいよ。ずっと変わらず『川又さん』呼びっていうのも、あなたの個性じゃん?」
「そ、そうでしょうか」
「ところで!」
「え、えっ」
「あすかちゃん」
「……あすかさん、ですか??」
「そ」
わたしは背筋を伸ばして、
「籠(こ)もりがちなのかな? 彼女」
「籠もりがち……。自分の部屋に、ということですか」
「偉いね利比古くん。すぐに把握してくれた」
あすかちゃんや利比古くんの部屋がある2階に続く階段の方角を見やりながら、
「ここに下りてきてくれてもいいのに」
「あのその、川又さん、あすかさんは……彼女は、デリケートになる日が最近多くって」
「それぐらい分かってるよ」
階段の方角を見やり続け、
「いろいろあるって、分かってる。だけど、わたしは踏み込まないほうがいい。彼女が抱えてるものを、無理に取り除こうとはしない」
「そういうものなんですかね……??」
「利比古くん、あなたもだよ。土足で踏み込んだり、むやみに距離を詰めたりしたらダメ」
彼は真剣に、
「やっぱり……そうするのが、妥当ですよね」
と言う。
言うけども、わたしは、
「でもね。
適切な距離を保てたら――あなたは、あすかちゃんのチカラになってあげられると思うな」
とコトバを返して、それから、彼の整った顔立ちに再び視線を注いでいく。
× × ×
適切な距離をとることが、第一。
その次に利比古くんに必要なのは――あすかちゃんと対話する、勇気だ。