「アツマくんアツマくん」
「なんだ?」
「せっかくあなた今日はお休みなんだし」
「?」
「囲碁しましょーよ」
「!?」
「ちょっとっ! どうしてそんなにのけぞるのよ」
「ど、どーゆー風の吹き回し、かな?? 愛ちゃんよ」
「なによそれ」
「だってよ。激弱(げきよわ)じゃねーかおまえ、囲碁や将棋に関しては。なんで急に囲碁を……」
「きっかけが知りたいの?」
「知りたい」
「ああ……それで、触発されたんだな」
「そゆこと」
「でも、いきなり19路盤で打つのも難しかろう。19路盤でなくて9路盤で打つほうが良いと思うぞ」
「それもそうね」
「9路盤あったはずだから、取ってくるわ」
そう言って椅子から立ち上がるアツマくんに、
「わたし負けないわよ」
とケンカを売ってみる。
しかし、彼は「……」と押し黙るばかり。
なんなのそのリアクション。
わたし、本気で勝ちたいんですけどっ。
× × ×
ダイニングテーブルに9路盤を置いた。
わたしが先手。「コミ」は無し。
碁石を持つのも久しぶり。
絶対に負けない。勝つ。
× × ×
ところが……。
× × ×
苛立ちながらホットケーキミックスをぐるぐるする。
アツマくんに苛立っているわけではない。自分自身に苛立っているのだ。
不甲斐なさ過ぎ。
わたしって、ボードゲームのことになると、どうしてあんなにヘタレになっちゃうのよ。
3回打った。
3回とも負けた。
3タテだ。
わが横浜DeNAベイスターズがハマスタで3連敗したような気分になってしまった。
『もう2回……』
彼に懇願した。
だけど、『これ以上打ってもしょーがねーよ。今度打ってやるのは、おまえが入門書とかで勉強してから』って言われちゃった。
『本を読むのは得意だろ? 入門書を最低でも3冊読め。本代(ほんだい)はおれが出してやるから』
こうも言われた。ひとことで悔し過ぎる。
こんなに悔しいなんて。
ホットケーキミックスをかき混ぜる手つきが荒くなる。
ちから任せになってしまっている。
わたしらしくない。
× × ×
それでも上手にホットケーキは焼かなきゃいけない。そう思った。
心ここにあらずでホットケーキミックスを混ぜたことは無かったことにして、フライパンを加熱する。
アツマくんの分から先に作る。
負けたのは凄く悔しいけど、それとこれとは別。
アツマくんのためにホットケーキを作るって、昨日から決めてたんだもの。
囲碁で3戦全敗したショックに打ちひしがれてなんかいられないの。
そう……囲碁とホットケーキは……『別腹』……。
なんだけど……。
だんだん、だんだん、囲碁に関するわたしの無力さが、ぶり返してきてる……。
打ちひしがれたままでいたくないのに、わたしの負けず嫌いが、ホットケーキを焼こうとする手の邪魔をする……。
『上手に焼けないかもしれない』
そんな不安が膨れ上がって、襲ってくる。
わたしは巨大な不安に包まれていって。
フライパンが音を立て始めて。
それから……それから……。
× × ×
「愛??」
うつむき通しのわたしの背中から、アツマくんの声。
振り返ることができない。
「ホットケーキがボロボロじゃねーか」
「……ボロボロどころじゃないわ。完璧に、焦がしちゃったの、わたし」
唇を噛み、フライパンから眼を逸らす。
大失敗の中の大失敗だ。
得体のしれない黒々としたものが出来上がってしまった。
右拳をキツく握りしめてしまう。
大失敗したことは分かってるのに、大失敗した自分を受け容れられない。
認めたくないんだ。
アツマくんが、右肩に手を置いてくれる。
目頭が熱くなって、
「ごめんね……わたし、どうしようもなくなってる……」
と声を震わせて言う。
「おれも、ちょっと大人気(おとなげ)なかったし」
首をブンブン振りながら、
「そんなことない。あなた、なんにも悪くない」
と言う。
視界が濡れていく。
「愛。代わってくれよ」
「代わる……? あなたがホットケーキを焼くつもり?」
「そうだよ」
「焼けるの……?」
「焼けるさ。実を言うと、仕事場で練習してて。ちょっとだけだけど」
そっか。
喫茶店勤めなんだもんね。
いつの間にか。
いつの間にか、わたしのお料理の領域に、アツマくん、近づいてるんだ。
人差し指で眼尻を拭いて、
「じゃあ、お願いしてもいいかしら」
と言う。
それから、カラダの向きを変えて、彼と向かい合いになる。
それからそれから。
ぎゅーーっと、しがみつくように、彼の胸に、抱きつく。