五月雨(さみだれ)といった天候だった。
今日の朝食当番は「各自」ということだったので、ダイニング・キッチンで1枚のトーストを焼き、ぼく1人分のおかずを作った。
昨日見た、あすかさんとミヤジさんがギスギスしてしまう夢のことを、未だに引きずっていた。
緩慢に朝食をとり、緩慢に食後のコーヒーを啜(すす)る。
そうしていると、足音が耳に入ってきて、やがてあすかさんがダイニング・キッチンに足を踏み入れてくる。
思わずコーヒーをこぼしてしまった。
慌てて拭くものを探す。
あすかさんが背中を向けて棒のように立っているのが眼に入ってきた。
ぼくがコーヒーをこぼしてしまったことに気付いていない。
テーブルを拭きながら、様子に注意を向けていた。
大きな冷蔵庫の扉を大開きにする。
長い牛乳パックを掴んで取り出す。
マグカップに音を立てて牛乳を注ぎ、その横に2個のロールパンを雑な手つきで置く。
冷蔵庫が開きっぱなしなことに気付く。
冷蔵庫の扉を閉める。
……叩きつけるように。
× × ×
昨日のあの殺伐とした夢が、「予知夢」のように思えてきた。
あすかさんがヘンだ。
× × ×
昨日。
あのとんでもない夢を見たあと。
夢を懸命に「無かったこと」にしたいぼくに向かって、あすかさんは言ってきていた。
『これからミヤジに会いに行くの』
『金曜(きのう)の誕生日当日は兄貴とおねーさんに祝ってもらったから、土曜(きょう)はミヤジに祝ってもらう番』
『ビール飲んじゃおっかな、わたし。アルコール摂取できるのはわたしのほうだけだから、ミヤジがちょっとだけ可哀想だけど』
笑顔で彼女が言うたびごとに、背筋を冷や汗が流れた。
× × ×
リビング。
巨大なソファ群(ぐん)の中央で、ひたすら考えにふける。
あすかさんとの接しかたの模索だ。
昨日ミヤジさんとなにかあった、ということは疑い得ない。
亀裂が入っていたりしたら……。
彼女のデリケートさのレベルを推し測る。
下手に探っていったら、拒絶されてしまいかねない。
ミヤジさんとの間だけでなく、ぼくとの間にも亀裂が入る。
それはマズいしヤバい。
あすかさんは共同生活者なのだ。
ぼくの姉とアツマさんが抜けたお邸(やしき)4人暮らしの状況で、あすかさんとの折り合いが悪くなってしまうのは……!
「利比古くんじゃん。」
そっけない声が聞こえた。
あすかさんだった。
ぼくが異変に気付いたダイニング・キッチンのときから、服装が変わっていない。
上下スウェット。
たぶん、寝起きからこの服装なのだ。
「ごめんね、気の抜けた格好で。それに朝ごはんのとき、利比古くんをビックリさせちゃったし。ほら、わたしバーンッ!! って冷蔵庫を乱暴に閉めちゃったじゃん?」
どうして……こんなに……優しめなんだ。
ゆっくりとぼくの左サイドのソファに行く。
腰を下ろす。
斜向かいの彼女は、そばにあったクッションをお腹の前で抱くようにして、ふにゅふにゅと弄(いじく)る。
黒髪の寝グセが2箇所眼に入ってくる。
「昨日、さ、」
口が開かれた。
ゴクン、と唾を飲む。
「ミヤジと会って……それで……わたし、失敗しちゃって」
あすかさん……。
「お酒って、怖いね。利比古くんはまだ18だけど、今から気をつけたほうがいいよ」
苦笑いに、胃が痛む。
ビールを飲もうかな、とあすかさんは言っていた。
アルコール絡みで、あすかさんとミヤジさんの間にトラブルが生じたのだ。
トラブルの詳細を訊くべきではないということは明白。
恐る恐る、斜向かいの彼女の表情を確かめる。
彼女はぼくに視線を向けていなかった。
どこにも、どんなモノにも、視線を向けていなかった。