入学2日目で、日曜日だったが、大学のキャンパスに来ている。
東京都の西のほうにあって、やや小ぢんまりとした規模の大学。
サークル棟はキャンパスの中にある。
いくつかあるサークル棟のうちの1つに入っていき、階段をのぼる。
2階に上がってみると、
『CM研』
という3文字の書かれた紙が貼ってあるドアが、視界に入ってくる。
少しだけ息を吸い込んで、そのドアを控え目にノックしてみる。
× × ×
ドアを開けてくれたのは、昨日の新歓ブースでも応対してくれた男子学生だった。
彼が『CM研』の会長である。
「やあやあ、良く来てくれたね、サークル部屋まで。勇気あるね、きみ」
「えっと、白井(しらい)さん、でしたよね。サークルの会長をされていて」
「うおー、もうおれの苗字覚えてくれたか」
「忘れないです」
「凄い!」
「あはは……」
「そのとーり。おれ、白井世紀(しらい せいき)。弱小サークル『CM研』の会長だ」
『弱小サークル』という自虐に、思わず苦笑いをしてしまうぼく。
白井会長は、背丈が165センチ程とやや低く、快活な男子高校生のような風貌をしている。
「おれのほうでも、きみのことは忘却してないぜ。羽田利比古(はねだ としひこ)くん……。そうだったよな?」
えっ。
もう、ぼくの名前を!
昨日知り合ったばっかりなのに……!
「もう名前を覚えてくださったんですか!? ありがとうございます」
「覚えるよ」
白井会長はぼくの腕を引きつつ、
「そんなにイケてる見た目だったら、だれだって記憶できるさ」
と言う。
苦笑するしかないぼくを、会長はサークル部屋に引き入れる。
「さあ。
ここが……『CM研』の聖地だ」
聖地……ですか。
× × ×
「私も名前覚えてたぞ、羽田利比古くん」
『聖地』に引き入れられたぼくに声掛けしたのは、白井会長と同程度の背丈の女子学生だった。
少し茶色に染めた短めの髪の女性(ひと)。
「荘口節子(そうぐち せつこ)。白井と同学年の3年だ。お見知り置きを」
ワイルドな口調で自己紹介する荘口節子さん。
荘口さんは白井会長を指差しつつ、
「コイツ、すぐにヘンテコなこと言いやがるんだよ。サークル部屋が『聖地』であるとかなんとか。ついていくだけで、ひどく気力と体力を消耗する」
「ひっでぇ言いようだなー、節子。副会長でもなんでもないくせに」
「……下の名前で呼ぶなってあれほど言ってるよな?」
「ヒエッ」
のけぞる演技をする白井会長に、荘口さんは、
「それと、構成員が4人ポッキリしかいないんだから、副会長置いても意味がない。……そういうリクツだったって、まさか会長のおまえが、忘れてるわけがないよなあ?」
「ヒャアッ」
「白井!! 新年度早々、ふざけるな」
すごく……攻撃的なお方だ。
白井会長を恫喝する荘口さんに背筋を寒くしていると、
「あ~~、ゴメンよ。きみを怖がらせちゃったか、羽田新入生。大丈夫大丈夫。こういうふうに厳しい態度を取るのは、白井に対してだけだから」
しかし白井会長は、
「嘘こけ」
とだけ呟く。
「白井……手の甲をつねられたいのか!? 私の『手の甲つねり』は痛いぞ」
荘口さんは白井会長を睨む……。
「まあまあ、おふたりとも」
メガネをかけた物腰の柔らかそうな男子学生が、仲裁し始める。
物腰の柔らかさをダイレクトに表現しているような表情で、ぼくのほうに向いて、
「ようこそ来てくれました、羽田利比古くん。僕、2年の馬場です。馬場好希(ばば こうき)。好き嫌いの好きに、希望の希。このサークルのことで分からないことがあったら、なんでも訊いてください。なんでも説明しますから」
この人……いい人だ。
「わかりました、馬場さん。いつでもお訊きしていいんですよね?」
「もちろん。羽田くんがもう『CM研』加入に乗り気で、嬉しいです♫」
馬場さんは笑顔。
ぼくも笑顔になる。
しかしながら、
『新入生クン。馬場っちの笑顔に騙されちゃダメよ』
という指摘の声が、右耳に入ってきた。
声の主の方向に振り向くぼく。
150センチ台前半と思われる幾分小柄の女子学生。
腕を組んで、ニヤリと笑っている。
意味深な笑みもさることながら、頭髪を結んでいる白色と緑色のリボンが眼につく。
「あたしは吉田奈菜(よしだ なな)。2年。馬場っちと『タメ』」
「は、はい……」
「新入生クン」
「……」
「あなた、戸惑ってるね」
「はい……」
ぼくのウィークポイントたる類型化された相づちを打つしかないのであったが、
「『馬場っちの笑顔に騙されないで』ってあたし言ったから、戸惑ってるんだと思うけど」
吉田奈菜さんは射抜(いぬ)くようにして馬場さんを見て、
「馬場っち、ああ見えてサドだから」
えええ……。
「あたしの言う意味、分かるでしょ?? 新入生クンにも」
「サド・マゾの、サド……ですよね」
「そ。サド侯爵の、サド。あなたも、大学に入ったのなら、サド侯爵の本ぐらい読んだほうがいいわよ」
吉田奈菜さん。
この女性(ひと)は、たぶん……文学部だろう。
問題は。
この『CM研』というサークルのお部屋に入って、しばらく経っているのに……コマーシャルの話が、ぜんぜん出て来ないことだ。
いやはや……。