お邸(やしき)訪問は楽しかった。
愛さんに言いたいことが言えたし。
「学校の先生になるべき」とかね。
わたしがそう言ったら、彼女は迷い顔になっちゃってたけど。
ただひとつ言えるのは、迷い顔すらも彼女はキレイだった……っていうこと。
妬(や)けるほどに。
罪じゃないけど罪な美人。
そういうふうにも形容できるのかな。
× × ×
あくる日の水曜日。
完全に浪人生活の『聖地』となってしまった某フレッシュネスなバーガーショップから、出てきたところ。
完全にわたしの相方と化してしまった小野田さんと、受験の反省会をしていたのである。
お店を出てから並んで歩いている小野田さんが、
「徳山さん、あそこの駅から乗るから」
と言ってくる。
「わかったわ。――にしても、あなたも案外忙しいのね」
「『案外』とか余計な。入学手続きだったり、いろいろあるんだよ」
ふうん。
「入学手続きだけが……忙しいんじゃないのよね」
イタズラ心を発動させて、
「わたし以外との人付き合いも、いろいろあるんでしょう?」
彼女は立ち止まり、
「な、なにをいいたいの、とくやまさーん」
若干下向き目線になる。
それから、少し笑ってみる。
「と、とくやまさーーん??」
スーッと息を吸ってから、
「……丸山くん。」
とだけ、言ってみる。
丸山くん。
彼の名前を出すという、イジワル。
わたしのそのイジワルがよほどクリティカルヒットだったのか、小野田さんは――手提げバッグをポトッ、と地面に落としてしまう。
かわいいじゃないの……。
× × ×
勝ち誇り気分のまま、駅に入っていく小野田さんを見送った。
浮かれた気分になっていきつつ、『母校』すなわち予備校へと歩みを進めていった。
ラウンジに行ってみる。
こんな時期だからか? 人は疎(まば)ら。
そんな過疎化したラウンジの入り口前に立ち、どこに座るか考えようとした。
すると。
精悍(せいかん)な顔つきで、スッと引き締まった身体(からだ)つきの男子(オトコ)が、視界に飛び込んでくる。
……下関ヒビキだった。
× × ×
眼と眼が合ったから、コミュニケーションせざるを得なくなった。
同じテーブルの椅子に座る、わたしとヒビキ。
もちろん向かい合っては座らない。
わたしから見て右斜め前の椅子に、ヒビキは腰を下ろしている。
「すなみ」
わたしはわたしの名前を呼ばれる。
そこはかとなく背筋がヒヤリとする。
眼を合わせずに、
「いきなり名前を呼ばないでよ。タイミングってものを考えてよ」
と愚痴る。
「すなみ。あのさ……」
「な、なんなのよ、ヒビキっ」
「おれ、東大、受けてきて……」
「……知ってるわよ」
「合格発表は……まだなんだけど」
「それも知ってるからっ」
「あるんだ。手応え」
「そ、それは、良かったわねえ」
「胴上げ。胴上げ、されると思う。そんな確信が、ある」
「――続いてるの?? そんな風習。時代錯誤の4文字があるような」
「……まあ、そうかもしれないが」
「煮え切らないわね」
「話題を、変えてみるとして」
「あすかさんに対する未練でも垂れ流したいの」
「そ、そんなわけねえよ」
ふんっ……。
「すごい昔話に、なるんだけど」
「わたしとあなたの中学時代のこととかなのなら、願い下げよ」
「違う。高3のときのことだ」
「――2学期にあなたがしでかした、暴力事件のこと?」
「…………」
あのねえ。
「ヒビキ。黙り続けるのなら、この場でもう一度ビンタするわよ。『あのとき』みたいに」
「……大事(おおごと)にはさせないでくれ」
「だけど、ラウンジ、閑散としてるし」
「す、すなみ」
眼を背ける。
右腕で頬杖。
不機嫌な感情が、徐々に芽吹き始める。
ヒビキを突っぱね、ヒビキを突き放す。
だけど。
だけど、意を決したような声音が、やがて、わたしの耳に届いてくる。
ヒビキはこう言ったのだ。
「『あのとき』、ビンタされて、良かったって――おれは、そう思うようになったよ」
把握できてしまう。
相手(ヒビキ)の気持ちを、把握できてしまう。
不本意だけど――中学時代からの腐れ縁ゆえに、通じ合う。
嗤(わら)うのではなく、笑って、
「ビンタされて良かった? マゾなの!? あなた」
と、わたしは応答してあげるのである。