【愛の◯◯】3月の予備校ラウンジにて

 

お邸(やしき)訪問は楽しかった。

愛さんに言いたいことが言えたし。

「学校の先生になるべき」とかね。

わたしがそう言ったら、彼女は迷い顔になっちゃってたけど。

ただひとつ言えるのは、迷い顔すらも彼女はキレイだった……っていうこと。

妬(や)けるほどに。

罪じゃないけど罪な美人。

そういうふうにも形容できるのかな。

 

× × ×

 

あくる日の水曜日。

完全に浪人生活の『聖地』となってしまった某フレッシュネスなバーガーショップから、出てきたところ。

完全にわたしの相方と化してしまった小野田さんと、受験の反省会をしていたのである。

お店を出てから並んで歩いている小野田さんが、

「徳山さん、あそこの駅から乗るから」

と言ってくる。

「わかったわ。――にしても、あなたも案外忙しいのね」

「『案外』とか余計な。入学手続きだったり、いろいろあるんだよ」

ふうん。

「入学手続きだけが……忙しいんじゃないのよね」

イタズラ心を発動させて、

「わたし以外との人付き合いも、いろいろあるんでしょう?」

彼女は立ち止まり、

「な、なにをいいたいの、とくやまさーん」

若干下向き目線になる。

それから、少し笑ってみる。

「と、とくやまさーーん??」

スーッと息を吸ってから、

 

「……丸山くん。」

 

とだけ、言ってみる。

丸山くん。

彼の名前を出すという、イジワル。

わたしのそのイジワルがよほどクリティカルヒットだったのか、小野田さんは――手提げバッグをポトッ、と地面に落としてしまう。

 

かわいいじゃないの……。

 

× × ×

 

勝ち誇り気分のまま、駅に入っていく小野田さんを見送った。

 

浮かれた気分になっていきつつ、『母校』すなわち予備校へと歩みを進めていった。

 

ラウンジに行ってみる。

こんな時期だからか? 人は疎(まば)ら。

そんな過疎化したラウンジの入り口前に立ち、どこに座るか考えようとした。

すると。

 

精悍(せいかん)な顔つきで、スッと引き締まった身体(からだ)つきの男子(オトコ)が、視界に飛び込んでくる。

 

……下関ヒビキだった。

 

× × ×

 

眼と眼が合ったから、コミュニケーションせざるを得なくなった。

同じテーブルの椅子に座る、わたしとヒビキ。

もちろん向かい合っては座らない。

わたしから見て右斜め前の椅子に、ヒビキは腰を下ろしている。

 

「すなみ」

 

わたしはわたしの名前を呼ばれる。

そこはかとなく背筋がヒヤリとする。

眼を合わせずに、

「いきなり名前を呼ばないでよ。タイミングってものを考えてよ」

と愚痴る。

「すなみ。あのさ……」

「な、なんなのよ、ヒビキっ」

「おれ、東大、受けてきて……」

「……知ってるわよ」

「合格発表は……まだなんだけど」

「それも知ってるからっ」

「あるんだ。手応え」

「そ、それは、良かったわねえ」

「胴上げ。胴上げ、されると思う。そんな確信が、ある」

「――続いてるの?? そんな風習。時代錯誤の4文字があるような」

「……まあ、そうかもしれないが」

「煮え切らないわね」

「話題を、変えてみるとして」

「あすかさんに対する未練でも垂れ流したいの」

「そ、そんなわけねえよ」

ふんっ……。

「すごい昔話に、なるんだけど」

「わたしとあなたの中学時代のこととかなのなら、願い下げよ」

「違う。高3のときのことだ」

「――2学期にあなたがしでかした、暴力事件のこと?」

「…………」

あのねえ。

「ヒビキ。黙り続けるのなら、この場でもう一度ビンタするわよ。『あのとき』みたいに」

「……大事(おおごと)にはさせないでくれ」

「だけど、ラウンジ、閑散としてるし」

「す、すなみ」

眼を背ける。

右腕で頬杖。

不機嫌な感情が、徐々に芽吹き始める。

ヒビキを突っぱね、ヒビキを突き放す。

だけど。

だけど、意を決したような声音が、やがて、わたしの耳に届いてくる。

ヒビキはこう言ったのだ。

 

「『あのとき』、ビンタされて、良かったって――おれは、そう思うようになったよ」

 

把握できてしまう。

相手(ヒビキ)の気持ちを、把握できてしまう。

不本意だけど――中学時代からの腐れ縁ゆえに、通じ合う。

 

嗤(わら)うのではなく、笑って、

「ビンタされて良かった? マゾなの!? あなた」

と、わたしは応答してあげるのである。