利比古くんが、なんかヘンだ。
タブレット端末を手にしたまま、ポケーッと虚空(こくう)を見ている。
なにもしないまま、ソファに座りっぱなし。そんな状態が続いている。
ワイヤレスイヤホンを外して、
「おーーーい、としひこくーーーん」
と名前を呼ぶわたし。
ハッ! となって、慌ててこっちを向いてくる。
「す、す、すみませんっ、心ここにあらずで」
穏やかに優しく、
「なにかあったの?」
と訊いてみる。
だけど彼は、答えてくれずに、斜め下に視線を落としてしまう。
やっぱりヘンだ。
もしや、
「昨日の卒業式で、『事件』でも起こったとか?」
そう言ったとたん。
彼の手からタブレット端末がするり、と落ちた。
派手な音を立てて床にぶつかるタブレット端末。
あぶない。
「あぶないよ、タブレットが壊れちゃうよ」
と言いつつも、
『たぶん、なにかあったんだ、昨日』
という推測が、形作られていく。
タブレットを拾いながら、
「あ、あ、アクシデント、ですか!? アクシデントなら、ありませんでしたよ!? そ、そう、無かったんです。神に誓って、ありませんでした。ハイ」
と、動揺を隠せない口調で、彼は。
ウソだな。
思わず、笑いが漏れてしまう。
わたしが笑ったせいで、彼は狼狽(うろた)えを増し、
「あ……あすかさんは、先程まで、ワイヤレスイヤホンでなにを聴いておられたんでしょうか……」
と必死になって話を逸らそうとする。
なにかを隠したいという素振りなのは、明白。
だけど、わたしだって慈悲(じひ)があるから、
「さっきまで聴いてたのはねえ、井上陽水」
とホントのことを答える。
「……陽水。どうして、また」
わかってないなー。
「いいじゃん陽水。多彩な楽曲があって。伊達(ダテ)に50年間も活躍してるわけじゃないんだよね」
「陽水は、ロックなんですか?」
「え?」
「いや……あすかさんの認識は、どんなものなのかな、と。陽水をどういうジャンルに置くのか、というか、なんというか」
そんなことが気になるんだ。
そっか。
――彼の問いに対し、わたしはこう答える。
「ロックといえばロックだし。フォークといえばフォークだし。ニューミュージックといえばニューミュージックだし。JPOPといえばJPOPだし。
ひとつ言えるのは。
間違いなく、陽水が国民的ミュージシャンである……っていうこと」
× × ×
利比古くんがリビングを去っていった。
さてどうしよう。
陽水の次は、なにを聴こう。
ユーミンとか、サザンとか??
んー、なんか違うかも。陽水からの流れ、っていう意味だと。
ぜんぜん毛色が違うのを聴くのもいいかな。
YMOとか。
「――どっちにせよ、昭和的というか、なんというかだけどさ」
ひとりごとを言ってしまうわたし。
その背後から、
『なにが、昭和的なんだあ?? 妹よ』
という声がする。
一瞬ビビったあとで、わたしは兄に振り向き、
「どういう登場の仕方かな!? お兄ちゃん」
「へ」
「わざとわたしをビビらせるような登場がしたかったわけ」
「言ってる意味がわからん」
……。
意味がわからないのはどっちですか、って感じ。
だけど、寛容のココロでわたしは、
「座るなら早く座ってよ。……ちょっと相談したいこともあるし」
「オッ」
「なんなの、そのリアクション」
「珍しいな、おまえがおれに、人生相談とは」
「どういう早とちり!? 人生相談だなんて、ひとことも――」
「まあ落ち着けや。座ってやるから」
早とちり兄貴がソファに座る。
座ったのはいいんだけど。
早とちり兄貴は今日もデリカシーというものが無くって……座った場所が、わたしの右隣。
『キモいポジションに座ってこないで』
そう言いかけたけど、飲み込む。
たしかに、兄貴は早とちりで、キモいんだけど。
でも、
「ねえ、お兄ちゃんと利比古くん、オトコ同士でしょ?」
「それがどうした」
「昨日の卒業式から帰ってきてから、利比古くんがなんだかヘンなんだよ。
お兄ちゃんもそう思わない?
オトコ同士なんだから、気づかってあげてほしいし。
相談、っていうのは、つまり――彼への、接しかた。
お兄ちゃんは、兄貴分として。
わたしは、姉貴分として。
今の彼にどう接してあげたらいいのかな……っていうことを、話し合ってみようよ」