猪熊亜弥の家にお邪魔している。
亜弥の部屋。
「久々に来たな、この部屋」
わたしがそう言うと、
「去年の春休み以来かしら?」
と亜弥。
「たぶん、そう。……いや、たぶんじゃなくっても、そう」
そう答え、両手で頬杖をつき、
「あの頃は平和だったねえ」
と言うわたし。
「ヨーコの認識だと、現在(いま)は平和じゃないってこと?」
だって。
「だってー。いろいろあったじゃーん、この1年間で。
特に、今年に入ってから。
いろいろ、波乱があったでしょ……」
「……そういう認識なの?」
「――ごめん、『平和じゃない』とか『波乱』とか、やっぱ無し」
「ちゃ、ちゃぶ台返しみたいに」
「いろいろ波乱があったってゆーよりも、主(おも)にわたしが荒れまくってた」
亜弥が返事に困っていく。
織り込み済み。
「ごめんね、亜弥。わたしの乱調で、あんたを振り回しちゃって」
「それは……過ぎたことでしょう」
『ごめんね』だけじゃ足りないから、
「あらためて、ありがとう。わたしを心配してくれて。あんたの優しさ、嬉しかった」
「ヨーコ……。」
「わたし、亜弥が好きだよ」
「な、ななっ」
「なーに狼狽(うろた)えてんだか。親友として好き、って意味に決まってんじゃん」
× × ×
お菓子と飲み物を取りに階下(した)に行っていた亜弥が戻ってきた。
某清涼飲料水のペットボトルの中身をコップに注(そそ)いで、
「乾杯しようよ。親友の証(あかし)として」
と亜弥に言う。
緑茶のペットボトルのキャップを取り、コップに注(そそ)ぎ込む亜弥。
素直だ。
わたしは自分のコップを高く掲(かか)げ、
「それでは、わたしたちの進路確定と卒業を記念いたしまして」
と言い、それから、
「カンパーイ!!」
と言って、亜弥が控えめに持っているコップに、自分のコップをぶつけていく。
「……カンパイ。」
控えめに言う亜弥。
でも、顔は微笑み顔。
× × ×
「ヨーコは、よく決断したわよね」
「自分でも、よく決断したなーって思う」
「思い描いていた進路とは違う進路になったけど、そのことを受け入れて、選んだ場所で頑張っていくのね」
「浪人がイヤだったってこともある。面倒くさいし」
「あなたならそう言うと思ってたわ」
「たはは」
「関西に行くのは――いつなの」
「3月の終わり。もうしばらくは東京に居られる」
「――そう」
コップの中に視線を落として、
「でも、わたしとヨーコが離れ離れになるのは、避けられないのよね」
リアクションに困る発言だな……。
少しだけ、ふたりの間(あいだ)に降りる沈黙。
『たけのこの里』を1個つまんで、ぱく、と食べてから、
「そんなに寂しいんだ、亜弥は」
とわたし。
「やっていけるのかな~、わたし抜きで」
亜弥は無言。
そこはかとなく漂いかける重い空気。
それを軽くしたかったから、
「ま、大丈夫か、やっぱ」
と言って、
「亜弥だけが、東京(こっち)に残るわけじゃないんだから」
と言って、
「きっと、やっていけるよね」
と言って、それからそれから、
「羽田くんが、居てくれるんだしね」
と……ついに言う。
うつむく亜弥。
なにも言わないんじゃなくて、なにも『言えない』亜弥。
着実にほっぺたが赤くなっていく亜弥。
3分間、経った。
「なに言うのよ……。ヨーコ」
ようやく、口が開かれる。
「まるで、まるで……羽田くんが、わたしの恋人であるみたいに」
そう言ってから、
「事実と反するわ」
とも。
たしかに、ね。
「たしかに、彼はあんたの恋人でもなんでもない。――今のところは」
でも。
たしかに、そうなんだけど。
「亜弥。
今のあんただったら、自分の気持ちに素直になれると思うよ?」
反発する素振りを見せない。
わたしの指摘を否定しない。
自覚があるんだ。
胸の奥の気持ちを……認めてるんだ。
部屋の窓から漏れ出る光。
春めく部屋が……暖かみを増していく。