月曜の放課後。
猪熊亜弥が、教室に居残ってお勉強をしている。
「がんばるね、亜弥」
声をかけてみると、
「あなたは頑張らなくていいんですか? ヨーコ」
と、小言(こごと)のようなお返事が。
「きょう、何月何日か、分かってるんですか!? ヨーコはっ」
「分かってるに決まってるじゃん」
即答したら、こめかみの辺りを押さえる仕草をしながら、
「切迫感が無いんだからっ、あなたは……」
と言ってくる。
切迫感、か。
無いねえ、たしかに。
かといって、平常心を保つ努力なんかも、ほとんどしていない。
もとから余裕(ヨユー)なのだ、わたしは。
おどけるようにして、
「亜弥。
頭痛薬、あげよーか」
と言ってみる。
すると亜弥は、失望したような顔と軽蔑したような口調で、
「……要りませんから、そんなもの。
そういうくだらない冗談ばっかり大得意ですよね……あなたって」
はい。
罵倒、いただきましたとさ。
× × ×
当然、亜弥は受験勉強をしていたのである。
わたしたちは、高校3年生。
んでもって、12月も下旬、2学期終わり。
卒業に片足突っ込んでいるようなものだ。
いくぶん着崩(きくず)したこの制服も、なんだか似合わなくなってきてるような気もする。
どんどん女子高校生的な要素が抜け出ていってるとしたら……わたしたちって、なんなんだろ。
アイデンティティ、ってやつ??
まぁ、「アイデンティティ」みたいななんやかんやについて、深く検討してみるつもりなんか、毛頭(もうとう)ないし。
『そんなこと頭の中でこねくり回すぐらいなら、受験勉強しろ』っていうご意見だって、ごもっともだと思うし。
× × ×
「…しますよ、受験勉強。家に帰ってからだけど。
亜弥とは違って、肩のチカラ抜きながら、机に向かってみる」
100%のひとりごと。
周りにだれも居ないから、盛大にひとりごとが言える。
閑散としまくっている廊下。
掲示板に、張り紙。
『第1回KHK紅白歌合戦』の告知である。
…がんばるね、羽田利比古くんも。
いちばん受験なんか眼中の外、って感じなのは、羽田くん、キミだよ。
わたしや亜弥と置かれてる状況はおんなじのクセに。
この期(ご)に及んでクラブ活動の集大成……だなんてね。
『きみたちは手を貸さなくてもいいからね。余計な迷惑はかけたくないんだ』
そういった意味合いのことを、あらかじめ、羽田くんはわたしと亜弥に言ってきていた。
× × ×
「ウッツミーは、金曜日、楽しみ?」
「金曜日? 金曜日は、終業式……ああ、羽田がやるっていう、あの紅白歌合戦のことか」
「それそれ」
「どちらかといえば……楽しみ、かも」
「ほほぉ」
「なんだよ小路(こみち)、その顔」
「わたしは別にヘンなこと考えてないよ? 下心ナッシング」
「……小路だって、感じてるんだろ。羽田のヤル気」
「ヤル気、ねえ。…自分が主催するイベントに向けての、情熱か」
「そうだよ。あいつの、情熱」
「英語で言うなら、パッションだ」
「……。見てるんだろ?? あいつの熱血ぶりを。間近で。」
「放送部のお部屋に頻繁に来てるからねえ、彼」
「来てるっつーより、おまえが連れ込みまくってるんじゃねーのか」
「人聞きの悪い」
「悪くねーよ」
あはは。
池に向かって、ウッツミーが小石を投げ込む。
見慣れた、波紋。
この波紋の拡がりを見られるのも……あと数ヶ月か。
波紋が消える。
水面に映るウッツミーの顔に視線を向けつつ、
『ウッツミー。
…あんたは、これからどうするの?』
という問いを…投げかけたくなる。
だって。
あんたの進路、まったく分かんないんだもん。
頑(かたく)なに教えてくれないよね、あんた。
なんで?
「…小路ってさ」
池にうつむいて、
「外国語学部、受けるっつーけど…。いったい、何語(なにご)を勉強するつもりなんだ」
と訊いてくるけれど、
「答えるのヤダ。教えない」
と、突っぱねの、わたし。
ツーン、と突っぱねるみたいな表情を、作為的(さくいてき)につくる。
わたしの顔を見上げながら、ウッツミーが戸惑っている。
恋人にフラれた瞬間のオトコみたいな戸惑い……なんて比喩、間違ってるだろうか。
なんにしても。
あんたが、進路を教えてくれないせいなんだよ……ウッツミー。