【愛の◯◯】ヨーコがヨーコでなくなった日

 

共通試験の自己採点の時間が終了した。

 

まっ先に立ち上がったのはヨーコだった。

すごい勢いで立ち上がったかと思うと、右拳(みぎこぶし)をグッと握りしめ、机の上を睨(にら)みつけた。

険しくて、余裕の感じられない顔。

普段のヨーコじゃない。

不穏さが湧き上がってくる。

不穏で、寒気(さむけ)すら感じてしまう。

普段のヨーコとは違う挙動だから、クラスメイトが思わず注目の視線を向けてしまう。

迷った。

『どうしたの』と声をかけるかどうか、迷った。

嘘偽りなく心配だったから。

こんなふうになるヨーコを、心配しないわけがないから。

腰を浮かせて、口を開こうとする。

その途端、バン!! とヨーコが机を叩いた。

乱暴なことをしたかと思うと、目線を教室出口のほうへ向け、重い足取りで出口の扉へと向かっていく。

呆気にとられるクラスメイト一同。

わたしも驚いた。

驚いたけど。

自然に足が動き出して、早足で、出口の扉へと向かっていった。

ヨーコを追いかけるしかないと思ったのだ。

 

ヨーコの背中がまだ見える。

早足をさらに早める。

3年生の校舎を出て、さらに追う。

ヨーコが駆け出し始める。

わたしも駆け出し始めていた。

ヨーコのために、駆けるしかなかった。

制服のスカートを履いていることとか、お構いなしに。

 

やがてヨーコがたどり着いた場所は、旧校舎のそばにある枯れた噴水だった。

数十秒遅れて、わたしもたどり着く。

 

× × ×

 

「どうしたのよ。ヨーコ、あなた普通じゃないわよ?」

ですます調を放棄して、最初からタメ口で話しかけてみる。

「みんなビックリしてたわよ」

そう言ったあとで、かなり躊躇(ためら)ってから、

「あなたがあなたらしくない、理由。わたし、もう、把握しちゃってるかも」

揺さぶるつもりはなかった。

でも、言わないわけにはいかなかった。

けれども、

良かったね、亜弥!! 把握できて

と、ヨーコに、怒鳴られてしまう。

これまでになくヨーコが殺伐としていることがわかった。

突きつけられた結果が、限りなくヨーコを殺伐にさせた。

「なんだったんだろ」

一切わたしに振り返らずヨーコが言う。

「志望校A判定とか、少しも意味ないじゃん」

捨てゼリフ。

「もうだめ。本番で、全部おじゃん」

また捨てゼリフ。

「わたし、いろんなものに裏切られた」

またも捨てゼリフ。

『何割しか、取れなかったの……』なんていう問いを投げられるわけもなく、彼女の失敗の度合いを、ココロの中だけで推し測る。

ヨーコはどんどんうつむいていっていた。

涙目になっているかもしれない。

涙目のヨーコを見るなんて、恐怖に近いことでもあったけど。

それでも。

それでもわたしは、彼女に近づいて。

これ以上ココロの傷口を広げないように、配慮しつつ。

なぐさめてあげたくて。

それで……彼女の背中に触れられるところまで、距離を詰めた。

でも、ヨーコは荒れた声で、

「あんたはいいよね」

と言って、それから、

「私文専願は、お気楽だ」

と、諦めたように、コトバを落とす。

「終わりだよ、わたし」

そんな。

足切りだ、足切り。もうなんにも考えらんない」

 

ヨーコ……。

 

「す、少し冷静になったらどうなの??」

恐る恐るの声かけ。

しかし、それが逆効果で、

「あんたがプレッシャーを感じてないから言えるコトバだよね、それ」

と、怒らせてしまう。

「……ごめんなさい」

背中に謝って、

「だけど、わかってほしいの。なにをわかってほしいかっていうと……そう、そうね、あなたらしさを、あなたに取り戻してほしくって、」

なにそれ

ギスギスとした声で言う背中。

理解できないよ

わたしの背筋(せすじ)が、寒くなりかける。

それでもわたしは、彼女の殺伐さを、自分の優しさで、中和させたかったから、

「ねえ、ヨーコ。わたしの顔、見なくたっていいから。ほんの少しのあいだだけ、なぐさめさせてよ、わたしに」

と言い、なお一層、近づいていく。

だけど。

殺気立って、

さわんないで!!!

と、ヨーコが……絶叫する。

その絶叫は、旧校舎に響き、枯れた噴水にも響く。

 

静まり返る空間。

 

なぐさめようとする気持ちが空回りになったことを自覚し、ヨーコの背中に触れようとした自分を恥じた。

 

やがてヨーコは、悲しみが一気に湧き上がってきたかのように、涙が流れるのを抑え切れなくなっていった。