例によってわたしに背中を向けている結崎さんに、
「きょうはもう帰ります」
と言う。
結崎さんは驚いて振り向き、
「帰るって。…さっき来たばっかりじゃないか、きみは」
と言うが、
「はい。そうですよ」
とわたしはやり返す。
結崎さんが座ってわたしが立っているので、わたしのほうが上から目線。
上から目線を保ったまま、
「ひとりでがんばってくださいね♫」
と彼を煽っていく。
「なぜ…きょうは、こんなにも早く?」
わたしの顔を疑わしそうに見上げる彼に、
「家庭の事情です」
と告げる。
「か…かてい…??」
うろたえる彼。
面白い。
結崎さんが、かつてないほど面白い。
面白いが…いつまでも構ってはいられないので、
「じゃあ帰りますね」
とバッグを肩にかける。
「どーぞ、ごゆっくり」
そう言ってドアに向かっていくわたし。
呆然の結崎さんを背に――。
× × ×
――さて。
× × ×
邸(いえ)に帰ったら、14時20分だった。
おねーさんが、いちばん退屈してそうな時間帯だ。
なにもすることがない……いや、なにもできない状態の、おねーさん。
病んでいってしまうのを食い止めないといけない。
おねーさんの……そばに居なきゃ。
守ってあげなきゃ。
× × ×
軽くノックする。
「おねーさん、起きてますかー」
…ドアノブのガチャリという音がしたのは、15秒後だった。
おねーさんは、少しだけドアを開いて、
「入っていいよ、あすかちゃん」
と、くたびれた声で言う。
上半身が寝間着(ねまき)のスウェットのまま。
着替える気力すらも……萎えてきているみたい。
ますます、食い止めなければ、という想いを強くする。
「ふう」
弱いため息をついてから、
「おかえりなさい、あすかちゃん」
と言ってくれるおねーさん。
「ただいまです」
彼女の眼を見て、わたしは応える。
「1時間だけお昼寝しようと思ったんだけど……できなかった」
「そうですか。つらいですね……それは」
「とてもつらいの」
ほんとうに、とってもつらそうだ。
彼女の見た目も、それを物語っている。
落ち込みに落ち込んだ……美人。
すっごく気怠そうに、本棚のほうを向き、
「きのう、葉山先輩が……来てくれたでしょ?」
「はい」
「センパイに、本を読んでもらったのよ」
「読んでもらった……」
「要するに、読み聞かせ」
「ああ……なるほど」
「わたしが、1ページも本を読めない状態だから。それで、『あなたの好きな本を、わたしが読み上げてあげるわ』って、センパイが」
「……優しいですね、葉山さんも」
「そうなの、ほんとう、優しいの……」
こころなしか、おねーさんの声が…かすれてきている。
「すごく優しくしてくれたの、センパイ。……でも、その優しさに応えきれないわたしが、もどかしくって。どうしてわたしはこうなんだろう、って。せっかく読み聞かせまでしてもらったのに、ダメダメのままじゃないの、って。センパイが帰ったあとで、ずーっと自己嫌悪状態になって――」
「おねーさん。ストップ、ストップ」
ハッとして、わたしを見やる彼女。
眼には、大粒の涙が溜まっていて。
……ベッドに座る彼女の右隣。
そこに、着座する。
彼女がボロ泣きになる前に、背中から――抱きついてあげる。
それから、できる限り、優しく。
「…だいじょうぶだからね、おねーさん。
わたしたちが、なんとかしてあげるから。
だから、休んでいいんだよ、思いっきり。
頼ってよ。
いろいろしてあげるよ。なんでもしてあげるよ。
いまは、おねーさんが、いちばん大変な時期。
だったら……全力でサポートしてあげないわけにはいかないでしょ。
わたしだって、がんばるよ。
わたしは、おねーさんの妹。おねーさんの家族。」
「妹……家族……」
「『血がつながってないじゃないの』っていうツッコミはNGだよ」
「……」
「だいじょうぶだからね――ほんとうに」
……「だいじょうぶだからね」を繰り返して、おねーさんに密着し続ける。
ぽん、と彼女の頭に手を置いて、
「――よしよし。よしよし」
と……なぐさめになぐさめ続ける。