目覚ましを止める。
自力(じりき)で起き上がる。
早朝。
愛の部屋の前まで行き、ドアを叩く。
ドアノブが回る音がすぐに聞こえてくる。
「――起きてたか」
「起きてるに決まってるじゃない」
「――そりゃそうだよな」
「あなたも早起きできたわね。進歩よ」
「……社会人生活、もうすぐ始まるんだし」
ニッコリ微笑む愛。
「それと……グズグズしてると、乗る予定の新幹線に間に合わなくなっちまうからさ」
「そうよね。ここから東京駅まで、かなり時間かかるもんね」
愛の身支度はカンペキである。
「待ってろ。おれも、すぐ身支度してくるから」
「慌てないのよ」
「ああ。慌てない。シッカリと身支度してくる。社会人一歩手前の人間らしく」
「どーしちゃったのよ。マジメねえ」
「マジメにもなるさ」
「責任感もある? わたしを旅行に連れて行くってことへの」
「…否定はしない」
ニッコリニコニコの愛。
面白がり過ぎるなよな……。
× × ×
「のぞみ」は既に新横浜を出ていて、静岡県に入ろうとしている。
「何時(なんじ)に岡山だっけ?」
訊く愛。
「12時の少し前」
答えるおれ。
「じゃあ、まだまだ先ね」
「そーだな」
窓際の席の愛が、右手で頬杖をつきながら、車窓に顔を向け、
「わたしね、文庫本を5冊持ってきたの」
と言う。
「行きの車内で1冊か2冊は読めるかなって思ってたんだけど」
車窓を見続けつつ、
「やっぱ新幹線読書はいいか、って思い始めて」
「読書しないんなら、なにして時間つぶす気だ?」
なぜか、クスッと笑い、
「考え中よ」
と言って、
「あなたの車内での様子でも観察してようかしら」
と言ってから、こっちを見てくる。
いきなり顔を向けられて、ビックリする。
そして、その笑顔に、なぜかドキッとしてしまう……。
× × ×
岡山駅。
特急「やくも」におれと愛は乗り込む。
「ふぅ…。あと2時間か」
「なによ、くたびれモード? 早くも」
「電車に長時間座りっぱなしだから…」
「忍耐ができないわねえ」
「わるかったな」
「うん、わるい」
「…笑いながら言いやがって」
「気をつけるのよ、アツマくん」
「へ? なにに」
「油断してると酔うらしいの、『やくも』は。スマホとか見続けないほうがいいわね」
「久保山(くぼやま)くん情報か」
「そうそう。久保山センパイ情報。山陰が地元の彼は『やくも』を熟知してるみたいだから」
「勝手知ったる伯備線(はくびせん)…か」
「うまいこと言うわねえ!! 2022年アツマくんの名言大賞だわ」
「うるせー」
…列車が動き始める。
いよいよ、山陰へ。
未知の土地。
× × ×
「ここが米子(よなご)かー」
仮駅舎の外に出て言うおれ。
リニューアル工事開始前は、駅舎が『最後の昭和空間』なる異名を持っていたという。
まあ、そこらへんに関しては、久保山くんやこのブログの管理人さんがすこぶる詳しいのは間違いないけども。
眼の前がタクシー乗り場なのである。
「寒いわねえ。さすが裏日本」
おい。
さりげなく失礼なことを言うなっ。
「着込んでいて正解だったわ」
それは……たしかに。
「とっととタクシー、乗っちまおうぜ」
促すおれ。
ついてくる愛。
山陰地方の寒さに感銘を受けているようなご様子の愛。
底冷(そこび)えとは、こういう寒さのことか……とおれも感じている。
× × ×
「皆生(かいけ)温泉観光センターまでお願いします」
タクシーに乗り込んでおれは言う。
運転手さんは「はいはい」と軽くうなずき、手慣れた様子でクルマを動かしていく。
駅前の大通りを直進するタクシー。
飲み屋が多いのが眼につく。
正直、駅前大通りなれどあまり賑わっていないのだが…地方都市はみな、こんなものなのだろう。
交差点を右折。
紛れもなく高島屋だ。
東京の高島屋と比べるのもかわいそうな5階建てぐらいの高さの白い建物なのだが、紛れもなく高島屋である。
愛も気づいて、
「すごいわね! こんなところにも高島屋があるのね」
と声を上げる。
すると運転手さんが、
「驚いたかい、お姉さん」
と言うから、
「あ。す、す、すみませんっ、『こんなところ』なんて言っちゃって……」
と、一転(いってん)、愛は非常な恐縮ぶりを見せる。
運転手さんは優しく、
「構わん、構わん」
と言ってくれた。
よかったなー、愛ちゃんよ。
信号が青になり、交差点を直進。
「――東京から来たんかい?」
訊く運転手さん。
訊かれるのはある程度予測がついていた。
「大正解です」
おれは言う。
「嬉しいね、東京からわざわざ…。『のぞみ』プラス『やくも』で、ずいぶん時間かかったでしょ。お疲れさまだよ」
「いえいえ、運転手さんのほうこそ、ご苦労さまです」
「兄ちゃん気が利くねえ」
「それほどでも」
ゲームセンターらしき建物。
放送局らしき建物。
それらを過ぎていって、交差点で停車する。
青信号を待つおれたち。
待っていたら、
「もしかすると、新婚旅行かい?」
という、運転手さんの、ドッキリ発言……!
いや。
実は、覚悟はしていた。
こうやって、タクシー車内で「新婚旅行?」と言われてしまうパターンは、ありがちだと思っていたので。
だから、ドッキリ発言とはいっても、心拍数は適度にしか上がらない。
少なくとも……おれの場合、は。
愛は、大違いだった。
「ち、ちがいます、わたしは、アツマくんの……かれの、そつぎょーりょこーの、つきそいなだけ、ふ、ふ、ふたりきりでのりょこーってのは、そ、そ、それはそうだし、わたし、わたし、たしかにたしかに、かれといっしょにすんでるし、かれがカレシなら、わたしはカノジョなんですけど、でも、でも、かれもわたしもだいがくせいで……そのっ、」
「お姉さん」
「ははハイッ」
「もうすぐ、皆生の街が見えてくるけんね」
「そ、そうですかっ」
テンパりレベルMAXの愛。
運転手さんのほうは、落ち着き払って、したり顔(がお)だ。
× × ×
「……。運転手さんに、あんなこと言われちゃったから、恥ずかしくって、入浴シーンカットしちゃった」
こらこら。
「言わんでもいいことまで言う必要ないだろ。『新婚旅行』を、引きずり過ぎてんぞ」
「だって……。『新婚旅行』って言われたら、『新婚旅行』になっちゃうでしょ」
なんだそりゃあ。
愛よ。おまえの日本語、崩れかけてんぞ?
「と、とにかく!」
まだ恥じらいを持続させたまま、上(うわ)ずる声で言って、
「食べましょう?? 冷めないうちに」
と、卓上(たくじょう)の豪勢な夕食を眼の前にして、おれに促してくる。
「そーだな。食べて、飲もう」
『いただきます』を唱和(しょうわ)し、同時に箸を取る。
卓上には、お料理のほかに、何本かの熱燗(あつかん)も。
「…カンパイ、忘れちゃってたわね」
「マジだ。段取り良くねーな、おれたち」
「し、新婚旅行ショックが、段取りを狂わせちゃったのかしら」
いつまで引きずるんかいなー。
「ほれ」
と言って、お猪口(ちょこ)に熱燗を注(そそ)いでやる。
「あなたのぶんは…わたしがやる」
そう言って、おれのぶんのお猪口に、愛が熱燗を注いでくれる。
「アツマくん。わたしに合わせてくれたのは嬉しいんだけど……ビールのほうが、良かったんじゃないの?」
「今さらなにを言う。バカめ」
「ななっ」
愛がうろたえ顔になる反面、おれは余裕しゃくしゃくだ。
「ほれほれ、さっさとお猪口を持つんだ、愛」
「……」
「どうしたよ」
「……」
「おいおい、冷めちまったら美味しくなくなるぜ? ほろ酔うのもほろ酔えなくなっちまうだろ」
「……なにそれ」
まったくー。
「愛」
「……?」
「キモいこと、言うんだが、」
「え」
「一生のお願いだ。
ほろ酔いになるおまえを、見させてくれ」
「!??!?!」
うろたえ倍増しの、美人顔。
浴衣が最高に似合っていて、まさに浴衣美人だとおれは思うんだが。
もし、ほろ酔いになれば――とんでもない浴衣美人が、「出来上がり」そうである。