「猪熊さん!?
ど、
どうして……邸(ここ)に」
敷地入り口の手前に立っている猪熊さん。
どこからどう見たって、猪熊さんだ。
「そ、そもそも。
邸(ここ)の場所……どうやって知ったの」
慌てながら訊くぼく。
ぼくを、まっすぐ見つめて……彼女は、
「……甲斐田先輩に、訊きました」
甲斐田しぐれ先輩。
猪熊さんが1年生のときの、放送部部長だった。
「彼女、何回か、このお邸(やしき)に来たことがあるそうだったので」
たしかに。
「だから、わたし、彼女の伝手(つて)を頼って……。
だけど。
めいわく……だったでしょうか?」
猪熊さんの視線にうろたえつつも、
「なんのために……ここまで来たの。それがいちばん、気になるんだけど」
と、言う。
猪熊さんが、深呼吸。
白い息。
目線は斜め下向きになったけど、意を決するようにして、彼女はこう言うのだった。
「クリスマスプレゼントを……持ってきました。」
えっ。
なぜに。
「ぼくに……きみが、プレゼントを??」
「――はい。」
静かに答えた猪熊さん。
そして、
「渡したら、帰りますから。
寒いですし……羽田くんを寒さに晒し続けるのも、良くないので」
と言って、何歩(なんぽ)か距離を詰めて、
「受け取ってもらえないでしょうか」
と…赤い包装紙に包まれた箱を差し出す。
拒絶なんか、しない。
するわけない、けど。
「猪熊さん、きみ、きのう『KHK紅白歌合戦』が終わったあと、放送部室に来なかったよね。それどころか…『紅白歌合戦』やってるとき、体育館に居なかったみたいだし、」
「受け取ってもらえませんか」
う……。
こうなると、彼女は、手ごわい……。
× × ×
こうやって、波乱のクリスマスイブが幕を開けたのだった。
× × ×
で――今は、25日の日曜日、なわけだけど。
× × ×
『――ボンヤリし過ぎてない!? きょうの利比古くん』
お叱りを受けた。
川又さんから、受けてしまった。
右腕で頬杖をつき、こころなしかムスッとした表情で、川又さんがぼくを見ている。
「――すみません」
「『すみません』って言ってるヒマがあったら、その問題を早く解き終わってよ」
ぐ。
厳しい。
「せっかく、わたしにとって、この土日が、今年でいちばん楽しみな2日間なのに」
彼女は言い、
「利比古くんがノッてきてくれないと、楽しくなくなっちゃうよ」
と、続ける。
そして、
「きのうはあなたとデート。きょうはあなたの家庭教師。
わたしにとっては……これ以上ないクリスマスなんだから」
とも。
『ね? そうでしょ?!』
と言ってくる勢いだ。
まさに無言のプレッシャー。
圧(あつ)を感じながらも……ぼくは古文の問題を解き終わる。
「チェックしてください」
古文問題集を、川又さんへと。
赤ペンを持ち、真剣な眼つきで、ぼくの解答をチェックする。
そしてそれから、
「やっぱり、記述問題、苦手なんだね」
と言う。
それからそれから、
「利比古くんの記述、王朝文学への理解が足りてないと思う」
と鋭くご指摘。
「わたしが日本文学専攻だから…つい、辛口になっちゃうんだけど。この記述問題は、点数アップの上で、大事なところだと思うから」
「……わかりました」
「ボンヤリとした相づちは禁止」
「え、えっ」
「なーんかさ。
きょうの利比古くんって。
心ここにあらずで、わたしと接してる感じだよね。
きのうのデートのときから、そんな兆候はあったけど。
集中力発揮してよっ、もっと」
川又さんのお説教の通りでは、ある。
意識がフワフワしてしまっている状態なのは、否めない。
そして、意識がフワフワになってしまった原因は。
やはり。
突然の――猪熊さんの、お邸(やしき)訪問……。
× × ×
それからも、フワフワし続けながら、川又さんの厳しい指導を受けていた。
古文助動詞の細かいニュアンスの違いを彼女が講義する。
ひたすらに、熱のこもった彼女の講義は続く。
――そんなとき。
アツマさんが現れて、家庭教師の現場たる長(なが)テーブルに近づいてきたのだった。
「アツアツのコーヒーを持ってきたぞ」
アツマさんは言う。
アツマさん特製のアツアツなコーヒーが入ったカップを受け取り、
「ありがとうございます」
と感謝のぼく。
一方、自分の講義が中断されてしまったのが悔しく、アツマさんの顔を見ようとしない川又さん。
「…そこに置いてください」
まるで、お兄さんに対して反抗的な妹みたいな言いかただ。
「川又さーん」
意に介さずアツマさんは言う。
「きょうのは、今までとは違うんだぜ?」
「…なにがですか」
「コーヒーだよ、コーヒー。冷めないうちに飲んでくれ。きっと、辛口なきみでも満足する」
「…いつもよりもっと辛口ですよ。きょうは」
「ほーっ」
「……」
「それは是非とも、飲んでくれた上で、遠慮なしに感想を言ってほしいなあ」
「……」
片手でカップを持つ彼女。
コーヒーに口をつける彼女。
テイスティングする彼女。
……テイスティングしたかと思うと、ますますアツマさんから顔を背ける彼女。