眼の前のソファには、川又さん。
静かに、座っている。
「川又さん」
「なーに、利比古くん」
「もうすぐ、春ですね」
「そーだねえ」
……春と、いえば。
「川又さんも……春からは、大学生」
「めでたく、ね」
「ハイ。ほんとうに、めでたいと思います」
微笑する川又さんに、
言わなければならないことが、ある。
「あの、川又さん。
その……。
……合格、おめでとうございます。」
彼女は喜びスマイルで、
「ありがとう、利比古くん。おめでとう、ってあなたが言ってくれると、ほんとうに嬉しい」
よかった!
「現役で受かれて、重い荷物が下りた感じ」
「よかったですね……。」
「よかった、よかった。
学校の先生や、Z会の参考書にも、感謝だし、両親にも、いちおう感謝しておく」
「え……いちばん感謝すべきは、親御さんなんでは?」
彼女は微笑みをたたえたまま、
「最大級の感謝は――大学卒業のときまで、とっておくの」
「――そういうものですかね」
「長期的視点」
「……川又さんが合格した大学は、倍率が突拍子もなく高いですし、決して楽な道のりではなかったと思うんですけど」
「楽なわけないよぉ」
ぼくの学力では、雲の上のような存在の……大学なのだ。
「――現在の、内閣総理大臣の、出身校ですよね?」
「だよ」
「都の、西の、北のほうの、杜(もり)にある」
「そう。重要文化財の講堂で、有名な」
「正式に大学と認められるまでは、なんとか専門学校、と名乗っていて…」
「…創立者は、明治十四年の政変で下野したことで有名」
「なんとか改進党、を結成して――」
「立憲改進党だよお、利比古くん。一般常識として、おぼえておいたほうがいいよ」
「……スクールカラーは、臙脂色」
「宿命のライバルは、高額紙幣の肖像画で有名な某F先生が作った大学」
「……宿命、なんですかね」
『なんだよ、進学先の大学名を、そんなにぼかす必要もなかろう?』
割って入る、声。
アツマさんが……リビングに入ってきたのだ。
「『春から早稲田』、でいいじゃねえか」
たしかに、そうではある……。
畳み掛けるように、
「進学先を、回りくどい言いかたで言わなくったって。堂々と、ワセダ、って言っちゃえばいいだろ? ――おれはそう思うよ、川又さん」
と意見する、アツマさん。
なにゆえか、
とたんに……川又さんが、ピリピリとし始めて、
「婉曲表現だって……それはそれで、楽しいんですよ」
と反発。
「そんなもんかねえ」とアツマさん。
「わたしは、さっきみたいなやり取りを、利比古くんとするのが、たのしーんですっ」と川又さんが反発。
「…もしかして、おれが会話に割り込んだら、いけなかった?? すまんな」とアツマさん。
「ええ。本音を言わせてもらうと、割り込んでほしくなかったです」と川又さんの強烈な反発。
まずいムード……。
「アツマさん」
鋭い声音で、川又さんが言う。
「そっとしておいてくれませんか」
「……だれを?」
「まだ、わからないんですか!」
「うおっ」
「わたしは、利比古くんと、楽しい時間を過ごしたいんです!! 利比古くんだって、会話をジャマされたくないはず」
「か、川又さん……そんなに瞬間湯沸かし器みたいにならなくっても」とぼく。
「わ、わたし、瞬間湯沸かし器なんかじゃないよっ」
「落ち着きましょうよ」
「……」
くちびるを噛む彼女。
見かねたのか、
「わかったよ。おれ、キッチンでコーヒー豆でも挽いてるよ」
と、まったく逆ギレすることもなく、アツマさんは、キッチンに向かっていく……。
× × ×
「利比古くん」
「は、ハイッ」
「アツマさんは……どんだけ、ニブチンなの?!」
「だ、ダメですよっ、下品なことばづかいは」
こんなに荒れるひとだったっけ、川又さんって……!
× × ×
アツマさんが黙ってコーヒーを持ってくる。
川又さんは黙ってコーヒーに口をつける。
立ち去りぎわ、アツマさんの苦笑いが、チラリと見えた。
× × ×
「利比古くん。
わたしは、謝らないといけませんね」
「アツマさんに、ですよね!?」
「いいえ。
この、美味しいコーヒーに……謝んなきゃ」
「えええ…」
――強情、の2文字だ。