「アツマくん、ねぼすけ」
「……大学の講義がぜんぶ休講になったから、遅くまで寝てたかったんだよ」
「エッ!? アツマくん、きょう、休みの日ってこと!?」
ウッ。
まずいか。
そこはかとなく、イヤな予感がするぞ。
「奇遇ねぇ~~」
ニヤける愛。
まさか。
「あ、愛、まさか、おまえも……」
「そう! 教授の都合で、講義がふたつとも休講になったのよね~」
「ってことは……」
「きょうは、わたしも、お休み☆」
「……ほんとうに、奇遇だな」
「大人の事情、感じちゃうよね」
「たしかに」
先週も、おれの休みと愛の休みがバッティングしたことがあった。
大人の事情に振り回されてるのかどうかは知らんが……またもや、休みと休みがぶつかってしまったようだ。
「早く朝ごはん食べちゃいなさいよ」
「わかった」
「パンはじぶんでトーストしてね」
「わかってる」
コーヒーの入ったおれ専用マグカップを差し出してくる愛。
「気が利くな」
「でしょう? 早くこれで眼を覚まして」
× × ×
――で、朝飯を食い終えたあと。
「アツマくん、利比古がねえ……」
「利比古が?」
「土曜日、またまた川又さんとデートしてきたのよ」
そういや土曜日に、利比古、出かけてたな。
そういうことだったのか。
「お昼ごはんのお金を、ほとんど利比古が出してあげたんだって」
「それは偉いな」
「さすがはわたしの弟……」
「関係あるか?」
おれのツッコミをまったく問題にせず、
「利比古によると、川又さんは、早稲田を受けるらしいわよ」
「へー。川又さん、かしこいんだな」
「かしこいのよ」
「まあ、あんな名門校に通ってるんだもんな……」
「そうよ。川又さん見くびっちゃダメよ」
「見くびってなんかねーよ」
「あなたは、川又さんに見くびられても仕方ないところがあるけど」
「おい! なんだそれ」
「――それで。」
「なっ、なんだよ愛」
「おととい、利比古と川又さんがデートしたことだし……」
「んっっ……」
「これからデートしましょうよ、わたしたちも!」
「これからって……いまから!?」
「いまから」
× × ×
羽根を休めるヒマもない。
「銀座に行きたい」とか愛は言い出しやがった。
「山手線の右側に行く機会が少ない」とかなんとか。
井の頭線を降りて、渋谷で銀座線に乗り換え。
「おまえ銀座で買い物でもする気なんか」
「どーしよっかなー、あんまり考えてなかったー」
「無計画な」
「ま、ブラブラするだけでも楽しいんじゃないの?」
「おまえが衝動買いしたくなっても、いっさいおれは金を出さんぞ」
「出た。アツマくんの自己責任論」
コイツ……!
「――ほらほら、もうすぐ銀座駅に着いちゃうよ、アツマくん」
× × ×
わりと銀座は新鮮だった。
ヘンテコなたとえかもしれないが、新宿や渋谷のゴミゴミした感じと比べて、銀座は『開放感』がある。
空気も、澄み切っている感じだ。
若干の肌寒さこそあるが、歩いていると、秋の空気が心地いい。
ふたりでブラリブラリと銀座を歩く。
ときどき、愛が立ち止まって、ウィンドーショッピングみたいなことをする。
不覚にも……おれは、ウィンドーショッピング中の愛の横顔に、見とれてしまったりもする。
見慣れた顔のはずなのに、どうして……。
銀座の空気にやられちまったんだろうか。
「――どうしたの? アツマくん」
振り向かれて、少しドキッとした。
しどろもどろに、
「いや……その、おまえも、大学生なんだよなー、って」
おかしそうに軽く笑う愛。
「あなた、なにか、ごまかしてるでしょ」
「……わかるか」
「わかるわよ」
「……すごいな」
× × ×
「歌舞伎座に行きたい」と愛が言い出した。
外観だけでも見ておきたいらしい。
「……ここが歌舞伎座か」
「この建物、5代目なんだって。2013年にできたらしいのよ」
「ふーん、ウィキペディアで調べてたんか?」
「違うよ?」
「え」
「古典芸能の講義で教わったのよ」
「ほ、ほお」
……微妙なリアクションを返すしかないわけだが。
愛は、歌舞伎座の建物を見上げる。
見上げ続けている。
ひたすら、見上げ続けていて――ウットリと、歌舞伎座に見とれているみたいだ。
歌舞伎座に見とれる愛の顔に、おれは、思わず見とれてしまいそうになって……ダメだダメだと、下を向く。
なんできょうのコイツはこんなに美人なんだ。
銀座に来たからか――?
違う、銀座のせいじゃなくて、おれのほうがちょっとおかしいんだ。
愛が、いつも以上に美人に見える原因を……おれ自身のなかに求めようとし始める。
そんなおれ、だったのだが。
……右手に、やわらかい感覚があるのに、気がつく。
愛が右手を握っているのだ。
「ちょっと、どーしちゃったのよ、あなた。下向いて考えごととか、らしくないじゃない」
「……悪ぃ」
「顔が、少し赤いわよ。微熱?」
「体調は……ぜんぜん、悪くなくって」
「じゃあ、カラオケ行っても、大丈夫よね☆」
「か、カラオケ!?!? いきなりな」
「そうよ。いきなり、歌いたくなったの、わたし」
「近くにカラオケなんてあるんかいな」
「あるでしょー。いくらでも」
……そう言いつつ、おれの右手を、愛はグイグイグイと引っ張っていく。
カラオケに行くのなら――じぶんが歌うより、愛が歌うのを、ひたすら聴いていたい。
なぜなら、ピアノだけでなく、歌も超得意なのだから――。
愛の歌声に、耳を委ねていたい。
いまのおれは、そんな気分になっていた。