きのうは、アツマくんと、銀座周辺をブラブラデートして、とても楽しかった。
カラオケにも行けたし。
カラオケでは、わたしが8割がた歌ってて、アツマくんのほうは、わたしの歌唱力に圧倒されていた感じだったけど。
とにもかくにも、お互い、良いリフレッシュになったと思う。
× × ×
で、きのうと打って変わって、きょうは3コマも講義が入っていたんだけど、シャッキリとした気分で受けることができたから、オールOK。
爽快感で、喜び勇んで、学生会館へと移動したわたしであった。
――5階サークル部屋のドアを開ける。
おや。
大井町さん、ひとりだけ。
「大井町さん。ほかにはだれも来てないの?」
訊くと、彼女は、
「ワッキーくん……いえ、脇本くんが、来ているんだけど」
と答える。
「ワッキーくん」と言いかけて、訂正しちゃったかー。
……それはそうとして、
「来ているんだけど、いまは、席を外してるってことね?」
と彼女に確かめる。
彼女はこくんとうなずきながら、
「そう。彼は、文学部キャンパスの生協で買い物をする用事を思い出したみたいで」
「――慌てて、サークル部屋を出ていった感じだった?」
「そうね。大事な用事を、忘れてしまっていたみたいね」
案外、彼も、おっちょこちょいなところがあるんだな。
――それはそうと。
大井町さんの斜め向かいに着席したわたしだけれど……名実ともに彼女とふたりっきり状態で……いささか、緊張しちゃう。
なにを話せばいいんだろ。
大井町さんはスケッチブックを持っている。
たぶん……デッサンみたいなことに、取りかかっている最中なんだと思う。
邪魔したら悪いかな……と思い、わたしは、バッグに入っていた文庫本を取り出して、読み始めた。
読み始めた、といっても、ナナメ読み。
ふたりきりで、緊張してるから、ナナメ読みになってしまうの。
……しばらくして、大井町さんがスケッチブックを閉じ、鉛筆とともにテーブルに置いた。
チャンス。話せる、チャンス。
「……ねえ、大井町さん」
「――なあに」
「大井町さんはさ……アルバイト、してるよね、たぶん」
「してるわよ?」
「どんなバイト?」
「……」
「わっ、わたしもバイトしてて。……ドイツ語の翻訳に、関わってるんだけど」
「そうなの」
ヒンヤリとするぐらい冷静な表情を変えずに、
「ずいぶんと――知的労働ね」
ん……。
そう言うってことは、知的労働とはまた違ったアルバイト、なのかしら。
「羽田さん。申し訳ないけど、わたしのバイトの中身は、秘密」
……そう言われると、逆にこっちのほうが申し訳なくなっちゃったり。
「秘密だけど――いくつか、バイトを『掛け持ち』してるということは、強調しておくわ」
強調するんだ……そこ。
――掛け持ちか。
体力、あるんだなぁ。
「体力、あるのね」
と素直に言ってみた。
そしたら、
「体力うんぬんよりも……生きていくためには、こうするしか、ないから」
「生きていく……ため?」
「まだ、羽田さんには、教えてなかったかしら……わたしが、ひとり暮らしだってこと」
「ちょ、直接聞いてはなかった、けども……なんとなく、知ってた」
「そういうものよね」
「アハハ……」
大井町さんが、限りなく真顔に近い顔になって、
「――生きていくため、っていうのはね、」
「う、うん、」
「生活費を――じぶんで稼ぐしかない、ってこと」
「……えっ?」
「わたしは、仕送りとか、いっさいもらってないの。生活費はぜんぶアルバイトでまかなっているの」
……ぽかん、と口を開けているわたし。
そんなわたしに、彼女は語り続ける。
「家の、経済状態が、良好とはいえないにもかかわらず、学費を出してもらってるんだから。だから、生活費をじぶんで稼ぐのは、当然のこと。……もう、家族に甘えるような時期は、過ぎてるんだから。甘えてられない。育ててくれた……家族の、ためにも」
「……すごいんだね。自活、ってことでしょ? もうほとんど、自立していて――」
「自立? とんでもない。学費を出してもらってる事実は、揺るがない。これから、もっともっと自力で稼げるようになって……ゆくゆくは、家族に恩返しできるくらいになりたい。そこでやっと、『自立した』って自覚できるようになる。……先は長いと思う」
偉い。
月並みなことばだけど、大井町さんは、偉い。
ただ……わたしの生活環境と、彼女のそれは、あまりにも違うから……カルチャーショックを受けているのも、確か。
カルチャーショックなうえに、彼女の『生活力』の強さを、ひしひしと感じていて――その、強さに、負けてしまいそうになる。
負けて、知る……わたしの、温室育ちの、甘さ。
打ちひしがれるように、テーブルに視線を落としてしまう。
「どうしたのよ? 羽田さん」
「……」
「羽田さん?」
黙りこくるしかなかった。
少しして――後方で、ドアノブが回る音がした。
脇本くん。
『来てくれて助かった……』
彼に、眼だけで、そんなメッセージを送る。
キョトンとする脇本くん。
そりゃそうよね。
苦笑いするしかない、わたし。
その苦笑いに対して、脇本くんは、戸惑い混じりの表情になるしかなくって……。