ひとり暮らしで、なおかつ、生活費をじぶんで稼いでいる。
――大井町さんは、きのう、わたしにそう言った。
強い大井町さん。
……わたしは、どうだろうか。
彼女の生活と、わたしの生活を、比べてしまう。
このお邸(やしき)に住んでいるから、生活費の心配はない。
しかも、大学生になってからも、それなりの仕送りが、両親から送られてきている。
なにより、共同生活で――困ったとき、助けてくれるひとが、そばにいる。
たとえば、カゼをひいてしまったとき。
わたしは、看病をだれかに頼むことができる。
けれども、大井町さんは、そんなとき、だれにも頼れない。
頼れないから、自己管理する。
そして、大井町さんは、自己管理が徹底できる子なんだと思う。
総括すると……わたしの生活環境は、恵まれすぎなぐらい恵まれた生活環境である……ということ。
『わたしって、なんでこんなに甘いんだろう……?』
こころのなかで、つぶやきが漏れる。
お邸(やしき)の料理は、当番制だ。
料理スキルを持っているとはいえ、わたしが毎日朝・昼・晩の食事を作っているわけではない。
掃除や洗濯といった家事だって、分担している。
仮に……わたしがひとり暮らしをするとして、身の回りのことを、ぜんぶじぶんですることができるかどうか、心もとない。
毎日晩ごはんを作るだけで、精一杯かもしれない。
いまは、お邸のみんなに、甘えることができているけれど……。
……いつまでも、このままで、いいんだろうか?
じぶんのことはじぶんでできる能力(ちから)を、身につけなきゃいけない時期が、来ているのかも……。
大井町さんの生活の実態を知って、わたしは危機感を覚え始めていた。
危機感。
焦燥感。
そこはかとない、不安感。
――お鍋のグツグツ煮えたぎる音で、我に返る。
しまった。シチューを煮込みすぎてしまったかもしれない。
わたしは体内時計で煮る時間を計っている。
その体内時計に狂いが生じた。
考えごとをしすぎたせいで、眼の前のシチューのことが……見えていなかった。
火を止める。
……軽く息を吸って、吐く。
こころを、整えなきゃ。
危機感や焦燥感や不安感に支配されて、眼の前のことに集中できないなんて、良くない。
眼の前のことを優先させなきゃ。
いま、この瞬間、やるべきことに、意識を向けないで、どうするっていうのよ。
バカ。バカなわたし。
……でも、気持ちは、揺れる。
ひとりでに、揺れ続ける。
これでいいの?
これから、どうするべきなの?
落ち着かない。
胸の奥底が、ざわめく。
――もうすぐ、19なのに、14、5歳の女の子みたいに、揺れている……わたし。
足音が、耳に入ってくる。
アツマくんの足音。
やがて、ドタドタと、ダイニングキッチンに入ってくる、彼。
「もうすぐ晩飯、できるよな?」
「え、ええ、できるわよ」
歯切れの悪いわたし。
悪い歯切れで、
「あったかいシチューを作ったんだけど……少し煮込みすぎたかもしれなくて、そこは勘弁してね」
「ミスったってことか? ……いい匂いしてんじゃねーか、煮込みすぎとか気にしなくたって」
優しいな……アツマくんは。
彼の顔を、じっくりと見る。
「ん? どうしたんよ」
返事代わりに、ため息をつくわたし。
言えないな……。
気持ちも整理できてないし、もうちょっと時間を置かないと、わたしが悩んでること、打ち明けられないや。
「……シチューを作りながら、考えてたの」
「なにをだ?」
「……」
「??」
「……日本ハムファイターズの人事について」
「え、なんだそれ」
「――新庄が監督になって、どうなるのかな、って」
ごまかし。
ごまかして、はぐらかす。
新庄剛志を引き合いに出して。
「――まあ、パ・リーグに贔屓の球団があるわけでもないし、あんまりわたしには大事な問題でもないんだけど」
「ふ、ふうん?」
ごめんね。
ごまかしちゃって。戸惑わせちゃって。
「……ごめんごめん。食器とか、出さないとだよね」
「食器なら、おれが並べてやるぞ?」
「……頼りになるわね」
そう。
ほんとう、アツマくんは頼りになるの。
『じぶんのことは、じぶんで――』とかは、いまは棚上げにしておいて。
そばにいる彼の存在のありがたみを、目一杯、噛みしめて。
× × ×
並べられた食器。
となり同士で、わたしとアツマくんは座っている。
「そろそろ、呼びに行くか。おれはあすかを呼んでくるから、おまえは利比古を呼んできてくれよ」
「わかった。……でも、その前に」
「なんだよ」
「5分、時間ちょうだい」
「はあ?」
「あと5分、あなたのそばにいさせて」
「……なぜ」
「あと5分だけ……ふたりっきりがいい」
肩を、くっつける。
いつまでもこのままでいい、なんて、甘い夢みたいなことかもしれないけど。
これからのわたしたちの生活がどうなっていくのか、いろいろ可能性はあるにしても。
いまは……このままが、いい。
寄り添いながら、わたしは彼に、イタズラっぽく、
「ねえ」
「……?」
「キスしよっか」
「!?」
「――って言ったら、どうする?」
「――フェイントかましやがって」
うろたえ気味の、彼の様子が、くすぐったくて、いとおしくって。
もう一度、「キスしよっか」って……言いたくなっちゃう。