サークル部屋。
脇本くんにドイツ語を教えてあげていたところ。
「だいぶ成長してるわね、脇本くんも」
「成長?」
「ドイツ語の能力(ちから)が伸びてるってこと」
「マジで」
「マジよ」
「照れるなあ、羽田さんにホメられちゃうと」
マジで照れてるのね。
顔に出てるわ。
それはいいとして、
「グズグズしてると、脇本くんに追いつかれちゃうなー」
「え。語学力で……ってこと」
「そうよ。かなーりサボり気味だったし」
「そうかなあ」
「わたし、怠けてた」
すると彼は、優しさのこもった声で、
「『怠けてた』なんて言わなくてもいいよ。充電期間だったってことでしょ。休んでたことが、無意味だったわけじゃないと思うよ」
と。
嬉しい。
ドイツ語の勉強道具を片付ける。
右腕で頬杖をついて、真向かいの窓の景色をボンヤリと見る。
それから、左斜め前の脇本くんに眼を転じて、
「脇本くんってさ」
「え、なに」
「将来設計、してる??」
「将来設計!? と、唐突だね」
「わたしは4年で卒業できないけど、あなたは4年で卒業できるわけでしょ」
「ん……」
「就職活動が本格化する時期まで、まだ時間があるとはいえ。就職だけでなく、進学っていう選択肢もあるけど――あなたにどんなプランがあるのか、少し気になったのよ」
「……気になったのは、なぜ」
ここでわたしはイジワルを発動させて、
「なぜかしら? 自分でもわかんないわ」
そして、狼狽(うろた)える脇本くんに、
「ごめんね。根拠の無いオンナで」
と言い、狼狽(うろた)えをさらに加速させてしまう。
罪なわたしは、自分のバッグに眼を転じて、
「わたし変な話題振っちゃったから、お詫びにチョコレートあげる」
と、某大手菓子メーカーのチョコレートを差し出す。
「……ありがとう」
そう言いつつ、受け取る脇本くん。
受け取ったチョコをテーブルに置く。
そのチョコに視線を傾ける。
傾けたかと思えば、チョコから視線を外し、思案するような顔つきになって、テーブル上で両手の指を組む。
どうしたのかな? と疑問が生まれ始めていると、
「羽田さんは、プラン、って言ったけど。
僕、なんにも考えてないわけじゃなくて。
もちろん、ボンヤリとしか考えてないんだけど。
それでも……」
「……あるの。プランが」
「プランって言えるほどのものでもないんだ。具体的に言っちゃうのも、恥ずかしさがあるし」
「勇気、出せないの? わたし、あなたの具体的なプランを笑ったりなんかしないわよ?」
「押すね。きみも」
「元から強いの。押しは」
「ははは……。」
敵(かな)わないなあ、という微笑でもって、彼は、
「このチョコを食べてから、話すよ」
× × ×
「――そっか。脇本くん、あなたの本への愛情も、すごいのね」
「きみには完敗だけどね。でも、本は好きだからさ。好きなものにできるだけ近い仕事って、良いなあって思って」
「問題は、資格の取りかたよね」
「そこだなぁ」
「ま、講習だったり通信教育だったり、いろいろ方法はあるし」
脇本くんと眼を合わせて、
「わたしも、協力してあげられると思う」
微笑をたたえた彼は、
「ありがとう」
と力強く。
× × ×
キャンパスで彼と一緒にいることが多い湯窪(ゆくぼ)ゆずこちゃんとか、市井(いちい)さんという彼と一緒にアルバイトしている娘(こ)とか、脇本くんの周囲の女の子のことで脇本くんを突っついてみたくもあったが、わたしのスマホにアツマくんから『仕事が思ったより早く終わったから、おまえのキャンパスに向かってる』という連絡が来てしまった。
バッドタイミングな彼氏にムカつきつつ、学生会館を出る。
彼氏との待ち合わせ場所に歩いていきながら、今日サークル部屋であったことを振り返る。
ひとしきり振り返ったあとで。
『大井町さん、今日も、来なかった』
と思いつつ、空を仰ぐ。
5月に入っても、『彼女』の不在は、続いていた。