眼が覚めた。
スマホで時間を確認したら、まだ5時過ぎ。
隣では、アツマくんが絶賛爆睡中。
静かな部屋に、ヒンヤリとした空気。
こんなに早く起きたのなら……やることは、1択クイズよね。
お風呂に入ってこよう。
だって、せっかく温泉宿に泊まってるんだもの。
朝の温泉。
すごくいいと思う。
風流。
ただ、浴場に向かって行くためには――、
「服、着なきゃ」
× × ×
ざばあ、と露天風呂のお湯を自分に浴びせる。
やっぱり、皆生(かいけ)温泉のお湯、しょっぱい。
目と鼻の先には海。
そして月がきれい。
しばらく、明けていく前の空を見上げる。
× × ×
「おまえまた入浴してきたんか」
アツマくんが言う。
ふたり向かい合って朝ごはん。
「うん。早起きだったから。カポーン、ってお湯に入って、ポカポカになってきたわ」
「いや『カポーン』ってなんだよ」
「知らないの!? 信じられない」
「え」
「高橋留美子よ」
「高橋留美子が…どうかしたんか」
「高橋留美子が開発した擬音よ」
「『カポーン』が?」
「『カポーン』が。」
なにゆえか、アツマくんは首を傾(かし)げ、
「…高橋留美子の表現をパクって、入浴を形容したってことか」
えー。
「パクったってなによ、パクったって」
「『カポーン』って擬音は、借り物なわけだし」
「…。『カポーン』は、借り物かもしれないけど…」
「あなたの頭を『ポカポカ』叩きたくなってきちゃったわ」
「えぇー、なんじゃそりゃあ」
『ポカポカ』に暖(あった)まって、『ポカポカ』と叩きたくなる。
茶番。
× × ×
さて、ところ変わって、松江(まつえ)駅前である。
「サクサクいきましょうね、アツマくん。今日じゅうに東京に戻らなきゃいけないんだから」
「おいおい、急ぎ過ぎるなよ」
「――あっ。あんなところにもデパートがある。『一畑(いちばた)百貨店』だって」
「おまえの眼の付けどころ、どうなってんだ。そんなにデパートに興味があるんか」
「あるかもねぇ」
「えぇ……。」
「わたし、商業施設フェチなのかも」
「は!?」
「たまに言うことあるでしょ? 『イオンモールに行ってみた~~い!!』って。結局まだ行けてないんだけど」
「あこがれの越谷レイクタウン……ってか」
「ま、そうね」
「不毛だな」
「切って捨てないでよ」
「愛」
「なにかしら?」
「サクサク行くんじゃなかったのか」
「あ」
× × ×
『レイクライン』という観光のためのバスが出ていて、わたしとアツマくんはそれに乗り込む。
大きな川にかけられた大きな橋を渡る。
そして、いよいよ松江城の姿が見えてくる。
「あれが――松江城か」
「そうね。国宝。国宝のお城なんだから、しっかり拝んでおかないと」
「城を拝むのかよ」
「なにか文句でも?」
「…ないです。愛さん」
「そうこなきゃ」
そんなこんなで、松江城の間近に止まったバスを降りる。
わたしは、事前にインプットしてきた松江城にまつわるエピソードを、彼に披露する。
ま、インターネットメインの、間に合わせなんだけどね。
「――松江藩ってのが、あったんだな」
「いかにも初耳って顔ね、あなた」
「日本史の教科書には、出てこなかったから」
「たしかに高校日本史には出てこなかったかもしれないけど、わたしは高校時代から認知してたわよ」
「松江藩のことを?」
うなずく。
「おまえって、それほどまでに……歴史オタクだったんか」
ムカッ。
「オタクじゃありませんからっ。いろいろな分野に対して視野が広いだけっ!」
そう言った1秒後には、彼の腕を握っていた。
無学なアツマくんを引っ張っていかなきゃ。
使命感。
× × ×
「のぼるわよ、天守(てんしゅ)まで」
「すげぇヤル気だな、おまえ。
でも、体力は大丈夫なんか?
おまえは……調子を崩してたし、病み上がりの段階であるとも、」
「なーに言ってんのよっ、旅先で」
「上にのぼってくの、結構キツそうだぞ」
「わたしの体力に対する過小評価が著しいわね」
「……だいじょーぶっぽいな。自信が顔ににじみ出てる」
「そうよ、だいじょーぶよ。わたしひとりだけで、のぼっていくわけでもないし」
「……なるほど」
腕を握ったまま、彼に笑いかけ、
「体力モンスターのあなたといっしょに、のぼるんだから。」
と。
苦笑いになりつつ、
「あんま嬉しくない称号、付けられちまったな」
と彼。
「ホメてるのよ」
「ほんとかあ」
「だって――」
「??」
「ホメてあげられるところが、あなたには、松江市の人口よりもあるんだから」
やはり彼は絶句。
――決まった。
× × ×
これもインターネットなのだが、松江城公式サイトの「松江城攻略コース」に則(のっと)って、足を動かしていく。
体力に関しては折り紙付きの怪物くんなアツマくん。
わたしだって、もともと「スポーツの総合百貨店」みたいな運動神経を誇っていたんだから、怪物くんなアツマくんの横に余裕で寄り添って歩いていける。
「…体力オバケが出たか」
「失礼な」
「おまえ、自分で自分のこと、『スポーツの総合百貨店』みたいに言ってたことがあったよな?」
「よく憶えてるわね」
「そりゃあ……おまえのことなら……」
「うれしいわ」
「……」
「だいすき」
強烈な勢いでうろたえ始めていくアツマくん。
その顔を眺め、味わいつつ、
「百貨店、なんだし……新宿伊勢丹とか池袋東武百貨店とか、そういう規模の百貨店なんだからねっ」
と言ってみる。
× × ×
お昼ごはんは、念願の「出雲そば」だ。
丸く小(こ)ぶりのお皿が、3つ積み重なっている。
お皿の中にお蕎麦(そば)。
これは「割子(わりご)そば」といって――薬味を自分で乗せ、蕎麦つゆを自分で回し入れながら、賞味する。
「3枚は少ないわね」
「追加注文すりゃいいだろ」
「そうね。あなたの言う通り。…お店に迷惑がかからない程度に」
「お、おい!? おまえどんだけ蕎麦の皿を積み重ねるつもりだ」
「お金はあるんだし」
「…大食いキャラになりやがって」
「お蕎麦を前にして、大食いもなんにもないでしょ」
「じゃあ…お蕎麦キャラか」
『◯◯キャラ』なる言い回しを濫用(らんよう)する彼を放っておいて……蕎麦つゆの容器を手に取り、小さくて赤い丸皿(まるざら)に回し入れる。
「ちょ、ちょいまてっ」
「なーに?? 待てないわよ」
「……『かけ過ぎ』だと思うんですけど」
「あー」
「ほ、ほら、お品書きのこの部分に、『つゆのかけ過ぎには気をつけてください』みたいな文面が……」
「もうしょうがないじゃないの」
「……」
「いただきま~す」
「……なんで、つゆの塩梅(あんばい)はそんなテキトーなんだ。無類の蕎麦フリークなくせに、おまえ」
× × ×
さてさて。
わたしとアツマくんは……各々(おのおの)、割子そばのお皿を、何枚追加注文したでしょうか?