あすかちゃんのお部屋。
ベッドから起き上がって時計を見たら、9時45分。
きょうも遅起きだった……。
ロングスリーパーと化したわたし自身に戸惑っていると、
「おはようございます、おねーさんっ」
というあすかちゃんの声がする。
あすかちゃんは、勉強机の椅子に腰掛けている。
天真爛漫な顔。
「おはようあすかちゃん……。朝ごはん、食べた?」
「食べましたよ」
「そうよね。とっくに食べてるわよね……」
「おねーさんはどうします?」
「もうこんな時間だし……朝昼兼用ね」
「わかりましたー」
下半身を掛け布団に入れたまま、
「きょうも、早起き、失敗しちゃった」
と悔いる。
そんなわたしに、
「――焦ってるんですか? おねーさん」
とあすかちゃん。
「そう。焦ってる。早く、元通りの生活リズムに戻したいのに」
とわたしは言うが、
「急いては事を仕損じる…ってことわざがありますよね」
とあすかちゃん。
「知ってるけど……急いては事を仕損じるのは、分かってるけど……でも」
「でも、なんですか?」
「んっ――」
「おねーさん。急がない、焦らない」
「で、でもっ、」
――あすかちゃんは苦笑い。
『しょーがないんだから……』って、表情が語っている。
「きょうは日曜日なんだし、なおさら、急ぐ必要も焦る必要もないですよね??」
「……」
「休めるだけ休みましょーよ」
「……」
「ね? 約束しましょ??」
「や、約束って」
「約束違反には、『あすかパワー』ですからね」
「あすかパワー!?!?」
『まったくもう……』と、あすかちゃんの表情が物語っている。
× × ×
依然として下半身を掛け布団に突っ込んだまま、とある音源を聴いているわたし。
どんな音源かというと――あすかちゃんのバンドの演奏。
「中森明菜の……カバー?」
「ご名答」
「80年代邦楽に凝ってたりするの? あすかちゃん」
「わたしだけじゃないんですけどね。レイとか、ちひろとかも」
レイちゃんとちひろちゃんは、あすかちゃんのバンド仲間。
「アイドル歌謡曲も……捨てたものじゃない、という認識を持って」
「興味関心の幅がとっても広いのね……。尊敬しちゃうわ」
「ふふん♫」
得意げなあすかちゃん。
明菜カバーの次に流れてきたのは、今井美樹のカバーだった。
「よく知ってたわね、こんな曲」
「サブスクリプション世代をナメないでくださいよ☆」
「…ものすごいアレンジ。」
「原曲から遠く離れちゃってますかね?」
「独自性があるから、いいんじゃないかしら」
「ホメられたー☆」
……嬉しそう。
「今井美樹は……アイドルとは、ちょっと違うか」
「そこらへんがよくわかんないんですよねー」
「わたしも」
「今度、お母さんに訊いてみよっかなー」
とあすかちゃん。
× × ×
好奇心旺盛で、視野が広い。
あっぱれな、あすかちゃん。
あっぱれマークを5つぐらい進呈したくなっちゃう。
わたしは……完全に負けてる。
ダイニングテーブル。
コーヒー片手に、「はぁ」と嘆息。
わたしは、『あっぱれ』の反対で。
となると、『喝』マークご進呈、か……。
どうしようもないじゃないの。
「はぁ…」と再び嘆息してしまった。
コーヒーの残りを飲もうとすると、だれかの足音。
…流さんだった。
× × ×
彼もコーヒーが飲みたいのかなと思ったけど、違ったみたい。
わたしの向かいの席につくなり、ノートPCをテーブルに置いて、起動させる。
カタカタ……と滑らかなタッチでキーボードを打っていく流さん。
どんな作業なんだろうか。
……もしかして。
「――流さん。小説執筆、ですか??」
タイピングの手が止まり、顔が上がる。
若干の照れ顔で、流さんは、
「鋭いなあ、愛ちゃんは」
と言う。
「どうしてまた、こんな場所で――」
わたしが言うと、
「環境が変われば、気分も一新するってことさ」
と流さんが答える。
「ほら。村上春樹も、『風の歌を聴け』をダイニングテーブルで書いたっていうじゃないか」
「――でしたっけ」
「あ、愛ちゃん??」
「そういう話をどこかで見たかもだけど――忘れちゃって」
「そ…そうだったか。なんかゴメンね」
「全然いいんですよ…」
「…だいじょうぶ? 愛ちゃん」
「だいじょうぶではない、ですけれども」
「う、うん…」
「わたし、流さんの小説に、興味ある」
「ほ、ほんとう!?」
「だいじょうぶじゃなくても、嘘は言いませんから」
少しだけ、前のめりになり、
「流さんの書いてる小説、読んだら――わたし、回復するかも。」
「回復……」
「そうです、回復です。
こころの風邪が、癒やされるのかも」