美術館に来ている。
アカ子さんから、展覧会のチケットをもらったのだ。
展覧会のチケットをもらったのは、ぼくだけではなかった。
ふたりの女子が、ぼくと一緒に美術館に来ていた。
× × ×
展示室内の長椅子に座っていると、
「もうへばったの!? ムラサキくん」
と言いながら、茶々乃(ささの)さんが近づいてきた。
ぼくの前に立って、
「ムラサキくんってもっと体力なかったっけ」
と疑問の顔で言ってくる。
「いや、疲れてるわけじゃないよ」
やんわりと言うと、
「じゃあ、退屈なんだ」
「……ちょっと、違うかな」
「どう違うの」
「絵の観(み)かたが……イマイチ、わからなくって」
「なにそれ」
彼女は不満を示して、
「根性が、足りないんじゃないの?」
と言う。
根性?
「根性って…なに」
「絵を観ることを、すぐに諦めてるんじゃないの、ってこと」
「それは、どういう…」
「もっと良く観なきゃ。じっくりと」
良く、観る……。
「なんでもそうだけど――対象を、良く観てみなきゃ」
「…抽象的なこと言うね」
「要するに、作品をもっと味わうべきだってこと。時間をかけて『鑑賞』しなきゃ、見えてこないものだってある」
「具体的には……なにが、見えてくるの?」
なぜか、茶々乃さんはことばに詰まる。
おいおい。
「あ…あそこの蜜柑さん、見てみなよ」
ぼくから蜜柑さんに視線の向きを変える彼女。
蜜柑さんは、大きな絵画作品の前にたたずみ、じっと作品を眺めている。
「――絵になるね、蜜柑さんも」
そういう感想を漏らすも、
「……ピントがずれたこと、言わないで」
とたしなめられてしまう。
「蜜柑さん、長時間、あの作品の前に立ち続けてる。ムラサキくんみたいに、すぐに鑑賞することを諦めるんじゃなくて」
「見習ってほしい――と?」
「そうだよ。そういうこと」
× × ×
ぼくも――あの絵のほうに行ってみるか。
そう思って、立ち上がり、じっくり鑑賞中の蜜柑さんのそばまで歩いて行く。
まずは、絵の横の解説文をじっくりと読む。
解説文を2回読み返し、作品の知識をあたまに入れる。
…ところが、
『ムラサキくん、どうして絵を観ないんですか?』
と、横から言われてしまう。
振り向けば、蜜柑さん。
「…解説の文字を読みに、美術館に来たわけじゃないでしょう?」
ごもっともな意見で、たしなめられる。
「情報よりも、作品そのものに向かわないと」
……妥当な意見だ。
「……その通りですよね。すみません、蜜柑さん」
蜜柑さんは、しょーがないんだから、というふうな表情。
それから、
「――まぁ、わたしにしたって、絵画の観かたを知っているわけじゃないですけど」
と謙遜し、
「だけど――この絵、不思議と、どれだけ眺めていても、飽きが来ないんですよね」
と言い、絵に向き直る…。
× × ×
美術館を出て、ぶらぶら歩き。
ぼくと蜜柑さんが並んで歩き、少しだけ後方を茶々乃さんが歩いている。
「ムラサキくん」
ぼくの名前を呼んだのは蜜柑さんだった。
「なんでしょうか?」
尋ねたら、
「――読みましたか? もう」
と言われた。
「……読んだ、って、なにをですか?」
「――決まってるじゃないですか。
『グレート・ギャツビー』ですよ、『グレート・ギャツビー』。
ムラサキくんに文庫本を買ってあげてから、1ヶ月経ちましたが――」
あっ。
マズい。
「――さすがに、1ヶ月もあれば、読み切ってますかねぇ」
マズい、マズい。
「――どうなんです? そこのところは」
追及され、沈黙……。
「どうやら……読み切ってないような雰囲気ですねぇ」
蜜柑さんは、あからさまに不穏に、
「……何ページまで読んだのかしら?」
と問い詰めてくる。
口ごもるぼく。
問い詰めを緩めず、
「……あんまり読めてないっぽいわね。」
と、一気にタメ口になって、
「序盤で挫折したのかしら? それとも、書き出しでつまずいちゃった、とかなのかしら……」
と、トゲのある口調で言い、
「書き出しは書き出しで、読みにくいものね。――でも、ガッカリだわ。わたし」
と、冷たく冷たく、ぼくを突き放して、
「あなたの感想が……聴けると思ってたんだけどな」
と、悔しがりに、悔しがる……。
5月下旬という現実を覆す、寒気(さむけ)。
……おそるおそる、一部始終を耳にしていたと思われる茶々乃さんのほうを、見る。
すると。
なんだか、茶々乃さん……寂しそうな顔で、下目がち。
なんでなんだ……??