『PADDLE』編集室。
いつものごとく、わたしに背を向けっぱなしでキーボードを叩いている結崎さん。
そんな結崎さんに向かって、
「結崎さーん、ちょっといいですかー」
と声をかける。
しかし、返事をしない彼。
「聴いてますかー? 返事ぐらい、してくださいよー」
「……」
返事してって言ってるでしょ。
どうしようもない結崎さんだが…構わずわたしは続ける。
「わたし、きょうはもう帰ります」
キーボードを叩く彼の手が止まる。
それから、
「いつもより……だいぶ早くないか? 帰るのが」
と、ようやく声を発してくれる。
「これから、大事なひとと会うんですよ」
「大事なひと……?」
「ハイ」
「……そうか」
「――どっちだと思いますか?」
「どっち、って」
「これからわたしが会う、大事なひとの性別」
「ん……」
「男子か女子か」
「……女子、だと思う」
「スゴい、正解です」
「きみはいったいなにが言いたいんだ」
「別に? なにも??」
困ったような顔で、結崎さんが振り向く。
やった~。
× × ×
結崎さんを翻弄できた嬉しさで、上機嫌だった。
上機嫌で、JR某駅の入り口付近に立って、改札から出てくるおねーさんを待った。
約束の時間ピッタリに、おねーさんが姿を見せた。
ゆっくりと、わたしのもとへ歩いてくる。
「待たせたわね、あすかちゃん」
「待たせてないですよ♫」
「……上機嫌なの? あすかちゃん」
「ですよ~」
なぜか、目線を下にして、
「……いいわね」
とつぶやく、おねーさん。
?
――慌てふためくようにして、目線を上げ、ぎこちなく笑う彼女。
「あ、あすかちゃん、ま、まずは、なにをしよっか」
「――街ブラ。」
「街ブラ?? ……あ、ああっ、街をブラブラ、ってことね」
「おねーさん」
「??」
「そんなに、慌てなくたっていいのに」
「――」
× × ×
街ブラをしながら、
「おねーさん。手をつなぐのって、恥ずかしいですか?」
「えっ……どういうこと……」
「手をつなぎながら、街を歩くってことですよ」
「……つなぎたいの? あすかちゃんは」
しょーがないなあ、と思いながら、
「恥ずかしいんですね」
「……正直」
「声に出てるんだもん」
「やっぱり、わかるんだ、声だけで」
「わかりますよー。おねーさんのことなら、なんだって」
おねーさんは、冴えない声で、
「ごめんね……なんか」
「なんで謝るんですか? わたしとおねーさんのデートは、まだ始まったばっかりなんですよっ」
「え!? デート!?」
「おねーさん!」
「な……なに」
「あんまり謝ってばっかりだったら、わたしがお説教! ですからねっ」
「えっ」
「そんなの、おねーさんらしくないし」
だから、
「わたしに遠慮しないでくださいよ……おねーさん」
優しく言ったんだけど、彼女は戸惑い加減。
押せ押せで、わたしは、
「いま、いちばん、なにがしたいですか!?」
と問う。
考えるおねーさん。
美人だけど、弱さの混じった顔で、
「コーヒーが、飲みたい」
と答えた。
× × ×
悩みごとでも、あるのかな。
きょうのおねーさんの振る舞い……なんだか、違和感。
コーヒーを飲ませれば、元気を出してくれるのでは……と期待した。
地下の某喫茶室。
ブレンドコーヒーを飲み干すおねーさん。
空になったカップを置いたとたん、
「はぁ……。」
と気怠そうに、ため息をついた。
コーヒーも効果なしなのか…と困り始めていたら、
「あすかちゃん、ブレンドコーヒー、おかわりしてもいい?」
と言ってきたおねーさん。
「え、おかわり?」
「おかわりしたら……ダメだった?」
わたしは慌てて、
「そっ、そんなわけないじゃないですか。どんどんしてくださいよ。お金なら、わたしがいくらでも――」
「――そっか」
「――遠慮しないで、おねーさん」
「じゃ、遠慮しないわ」
「……」
「ねえ、あすかちゃん」
「……なんでしょうか」
「最近ね」
「最近……?」
「カフェインだけが、友だちなの」
「ええっ……」
「カフェインだけが、わたしに寄り添ってくれるの」
「おねーさん……だいじょうぶですか」
彼女は……ふるふる、と小さく首を振ってから、
「あすかちゃんに――お説教してもらうべきなのかも、しれないわね」
と、あらぬことを口走りつつ、おしぼりを指でもてあそぶのだった。