生協近くのベンチでぼんやりしていたら、ロシア語の中里先生が向こうからやって来た。
わたしに気づいて、
「羽田さん、こんにちは!」
と快活に挨拶。
「あ…こんにちは」
中里先生の快活さに圧倒されて、微妙すぎる挨拶を返してしまう。
先生は、わたしを眺めて、
「――元気?」
と問いかけ。
元気なわけがない。
元気の反対。
だけど、『元気の反対です』なんて、言えず……わたしはうつむく。
「……だいじょうぶ? なにかあった??」
いろいろあるんだけど、
「……だいじょうぶです。自力で、なんとかできる問題なので」
と、顔を上げて、強がる。
「――そう」
オトナらしい微笑で、先生は、
「本は、読んでる? ――愚問かしら。文学好きの羽田さんのことだから、きっと読んでるわよね」
すごく痛いところを突かれた。
どう返事していいか、わからない。
「あらあら」
気をつかうように…先生は、
「困らせちゃうつもりはなかったんだけど……わたしが不用意だったみたいね。ごめんなさいね」
わたしは、申し訳なくて、
「いいえ……わたしのほうが、ごめんなさい。期待に応えるべきなのに」
「期待って、わたしの?」
「はい。……先生の」
オトナらしく、優しく、先生は、
「もっと気楽に行きましょうよ。先は長いのよ? 肩の力、抜いて、抜いて」
と言ってくれる。
言ってくれる……けれど。
× × ×
肩の力を抜くことができたら、苦労しない。
だけど、できない。
中里先生の優しさは、嬉しかった。
だけど、肩の重みは、増すばかり。
× × ×
行くあてもなかったから、学生会館に向かった。
もちろん、行き先は『漫研ときどきソフトボールの会』のお部屋。
大井町さんが、居るか、居ないか。
ちょっとしたギャンブルみたいなものだった。
大井町さんが居たなら、もっと気が休まらなくなる。
だから、ギャンブル。
× × ×
…黒髪ストレートの、キリッとした顔立ちの、わたしと同学年の女の子が…そこに居た。
無言で、入り口近くの席につく。
彼女は、入室してくるわたしをチラ見したけれど、すぐに視線を戻して、勉強らしきことに取りかかる。
無言には無言…というわけね。
ふたりきりの、殺伐空間。
…勉強中の大井町さんに対抗したくて、かばんのなかに偶然入っていた教職科目のテキストを出して、筆記用具も出す。
それから、教職科目テキストにジッと眼を凝らして、書かれていることを理解しようとする。
ところが、書かれていることが、なかなか頭に入ってこない。
案の定……かしら。
最近、文章を読もうとするときって、いつもこんな感じだから。
本なんて、スラスラ読めるわけもない。
教科書も、もちろん同じ。
張り合いたかったから。
張り合いたかったから……無謀にも、テキストを出しただけ。
「――怖い顔ね」
大井町さんが不意に言った。
怖いってなによ……とムキになって、
「あなたの見間違いじゃないの??」
とやり返す。
「見間違い? ――よくわからないわね」
なにが。
なにが、よくわからないってゆーの。
「わたし、怖い顔なんか、してないし…」
「――ずいぶんと攻撃的に言ってくれるじゃないの」
ハァ!?!?
「あなたがいけないのよ、大井町さん!? そっちが先にケンカ売ってきたんじゃないのっ」
「心外ね。とっても心外だわ」
「ひとにケンカを売っておいて……。なによ、その態度」
「あなただって」
「わたしの怒りには妥当性があるのよっ」
「奇妙な言い回しね。…驚きだわ、あなたの日本語が、そんなにぎこちないなんて」
こ……このっ。
テーブルをガンガン叩きたくなる衝動を、なんとか抑え込んで、
「面倒くさすぎよ……あなた」
すると即座に、
「あなたほどじゃないわよ」
というカウンターパンチ。
わたしの冷静さは底をつき、
「……買ってあげる。買ってあげるわ、売られたケンカを」
対する彼女も、ギスギスと、
「買ってどうするの!? どこまで行ってもコドモなのね、あなた!?」
コドモで……結構。
「大井町さん!!」
「なによっ」
「……勝負よ」