【愛の◯◯】美術館帰りのメトロにて

 

ファッションセンスのないわたしだけど、きょうぐらい、オシャレして行かないとなー、と思った。だから、時間をかけて、念入りに身支度をした。

もっとも、アツマくんとデートするだとか、そういうわけではない。

 

「なんだ、出かけんのか?」

「――言ってなかったっけ」

「ああ」

「女の子とデートするのよ」

 

唖然とするアツマくん。

 

少し申し訳なく思い、

「ごめんごめん、デートってのは、言い過ぎたわね」

「……」

「サークルの同級生の娘(こ)といっしょに、美術館に行くのよ」

「……もしかして、大井町さんって娘か?」

「そうよ。よくわかったわね」

「――仲良くなったんだな」

「んーっ」

「違うんか?」

「距離は……あんまり、縮まってないんだけど。――でも、誘ったら、乗ってきてくれたから、『前進』してるのかな」

「ふぅん。……ま、友だち付き合いは、大事にな」

「ほんとね」

 

「ほんとね」と言ったあとで。

アツマくんの上半身にダイブするように――抱きつく。

 

「いきなりなんだよ!?!? 読者も驚くだろ」

胸のなかで、

「こら。読者とか言わないのっ♫」

「く……」

「……『行ってきます』のあいさつの、代わりよ」

「ハグが、かよ」

「そうよ!」

「言い切ったな……」

 

× × ×

 

わたしたちは、毎日のごとく、茶番を演じるのである。

 

――さて。

大井町さんの前では、ふざけていられない。

マジメに向き合ってあげよう。

わたし、マジメちゃんには程遠いけど……それでも。

 

国立美術館

現地集合である。

 

大井町さんの黒髪がツヤツヤして見える。

いいなー、映(は)えてる。

例によってジーパンスタイル。

わたしより若干、脚長。ほんの少しだけ、妬(や)ける、のは秘密。

 

「……なかなか、オシャレだね」

「……?」

「あなたをほめてるの」

「……そう」

「オシャレだと思うのは、本心よ。お世辞じゃない。負けちゃうわ――わたし、ファッション不細工だから」

「ファッション不細工って……」

 

あ、まずいかな??

大井町さん、わたしの顔を凝視するみたいに。

俗に言う、『ガン見(み)』?

 

「羽田さん」

「う、うん」

「……いい顔ね」

「えっ」

 

× × ×

 

そんなこんなで……入館。

日本の近代美術をメインに展示している美術館である。

ま、カンのいいひとなら、特定できるでしょう。

 

大井町さんは、わたしよりもゆっくりじっくり絵を鑑賞していた。

ひとつの作品に、長く立ち止まって、絵に吸い付くように、眼を凝(こ)らしていた。

……そっか。

絵本作家志望だもんね。

絵画を観ることに、本気になるのも当然。

わたしなんかとは、絵画の観かたも違うんだろうな。

彼女は……素人ではないんだから。

油彩画ひとつとっても、眼の配りかたがぜんぜん違うんだろう――細かなタッチに、敏感で。

 

やっぱ……こういう場だと、負ける。完敗する。

 

企画展も観た。

『あなたのぶんの観覧料も出してあげるから』と言おうかと思ったけど、自重した。

観覧料は、自腹じゃないと……プライドが、傷ついちゃうんだよね。でしょ? 大井町さん。

 

× × ×

 

「楽しかったわ。満喫した。大井町さんは、とっても勉強になったんじゃない?」

「ええ。なかなか来る機会もないし」

だよね。

……忙しいんだよね、諸々(もろもろ)。

 

 

わたしたちは東京メトロに乗り込んだ。

 

ドア上の液晶モニターを見ながら、

「――新田くんも、次は誘ってみようかな」

とわたしは言った。

言ったらば、

「……新田くん? どうして新田くんの名前が出てくるのよ」

と、攻撃性の混ざった口調で、大井町さんが、切り返してきた……。

ふ、不穏。

不穏だけど。

「ほ、ほら。あなたとわたしと新田くんの3人で、行ってみるとかさ?? きっと、新田くんも、『勉強になる』って言ってくれるよ。あなたと彼の目標は、割りと近いところにあるんだし――」

「絵本作家と漫画家は――そんなに近いかしら?」

「……遠くはないでしょ?」

「そもそも」

「そもそも……?」

「新田くんなんかに、美術作品の価値がわかるのかしら」

 

――メトロの車内が凍りつくような感覚を覚えた。

もちろん、冷房なんて作動してない。

これは、比喩。

……ただひたすら、背中が、寒々しくなる。

 

次は高田馬場、というアナウンス。

そのアナウンスに被せるように、

「彼はどうせ……なんにもわからないし、なんにもできない」

と冷えたことばを吐きつける大井町さん。

 

どういう……敵意なの。

 

× × ×

 

高田馬場駅

早足の大井町さんの背中を追いかける。

階段を早足で上(のぼ)っていく彼女、だったのだが、脚力なら負けないわたし。

あっという間に追いつく。

 

「あなたも……西武線なの?」

「違う。違う、けど」

「……なに」

大井町さん。……どうして、新田くんに、そんなに敵意を向けるの」

「――べつに」

「べつに、じゃ――わかんないっ」

 

追及したい欲求を……抑えきれず。

 

……ギスギスした眼つきで、大井町さんは、告げる。

 

「だって、どうせ失敗するから。彼は」

 

「そんな……!」

 

「ああいうタイプの創作家志望は、なにも生み出せずに、一般人で終わる。そう決まってるの」

 

「なんで……なんで、決まってるなんて、断言できるのよ!?」

 

「――そんなことも理解(わか)らないの? 羽田さんは」

 

 

ふたたび、わたしに、背中を向ける。

そして、西武新宿線の改札に……彼女は吸い込まれていく。

 

雑踏の音も、耳に響いてこない。

そのくらい、わたしは困惑している。