こどもの日。
髪をひたすら梳(と)かしていたら、ノックの音。
…利比古ね、きっと。
× × ×
「ようこそ、わたしのお部屋に」
「…なにそれお姉ちゃん」
「歓迎するわ」
「…ありがとう」
きのうあすかちゃんが腰を下ろしていたところに、利比古も腰を落ち着ける。
わたしは、椅子から、じぶんの弟を見下ろす格好。
「さっきまで、わたしが、なにしてたと思う?」
「……身繕(づくろ)い?」
「さすがわたしの弟ね。いい線行ってるわ」
「いや、いい線行ってる、って」
「髪を梳かしていたのよ。鏡を見ながら」
「……ふうん」
「リアクション、薄くない?」
「ご、ごめん」
まあ、ぜんぜんいいんだけど。
「鏡見ながらブラシで梳かすわけだから、とうぜん、わたし自身の顔がずっと見えるわけね」
「…それで?」
「――例えば、美人な女のひとが、じぶんの美人な顔を、鏡で見続けるとして」
「…うん」
「そんなとき――鏡の前の彼女自身は、どんなことを思ってると思う?」
「えっ…」
「――難しかったか、利比古には」
「む、難しいもなにも、お姉ちゃんの意図がよくわかんないよ」
わたしはただ、微笑むのみ。
スマイルスマイル。
わたしのスマイルの一方で、弟が、わたしの頭頂部あたりに、じーっと眼を凝らしているような気配。
なにゆえ??
「……お姉ちゃん、髪にブラシかけてたんだよね」
ゆっくりと弟が口を開く。
「ええ。ずーっと」
わたしは答える。
「ずーっと、ブラシしてた割りには……」
……え?
「寝グセが、残ってるよね」
「あ~っ。ショックで、固まっちゃったか~」
言語喪失のわたしに対して、弟は続けざまに、
「アホ毛、って言ったりするんだっけ? ピーンと1本、伸び上がってる」
と……苦笑しながら、容赦のない指摘。
わたしの努力が……足りなかったっていうの。
アホ毛対策には気を配っているのに。
あっけなく、弟に発見されて、どうしようもなくなってしまう。
「利比古……」
「?」
「……ちょっとだけ、眼をつぶってて」
「どうして?」
「はずかしいのよっ」
「どんな理由で?」
「い…いじわるっ、わかってるでしょ!?」
× × ×
「…姉のわたしから、お願い」
「うん」
「もう一度、わたしの美人顔を、よーーく観察して。それから、どこにもおかしいところが無いか、チェックして」
「さりげない自己PRがあったね」
う…うるさいわね。
「――大丈夫だよ。ちゃんとなってる」
「よかった。ホッとした」
「ようやく?」
「ようやく…」
「……」
「どっどうしたの利比古? わたしの美人顔を正面から見るのが、そんなに面白いの!?」
「……また、美人顔PRしてる」
「わ……わたしの疑問に答えなさいよ」
「わかってるから。
…あのね。
こんなふうに、思って。
――お姉ちゃんと、こうやってやり取りするのって、やっぱり、楽しいなあ…ってさ」
……利比古。
「お邸(やしき)に、お姉ちゃんが久々に戻ってきてくれて、こういう姉弟のやり取りができて、嬉しいのさ」
……。
「しんみりしなくたって、いいでしょ? 嬉しさしかないんだから、ぼくは」
「……なんというか、ごめんなさい。」
「謝られてもなーっ」
「もっと、考えるわ……あんたの気持ちを」
「考えてほしいよ」
「……了解」
「それとね」
「……?」
「どうしてぼくが、じぶんから、お姉ちゃんの部屋に来たと思う?」
「えっ――」
「目的がなければ、来ないよね、普通」
「――どうかしら」
「あるんだよ、目的」
いささか、マジメを帯びた表情に。
不安がよぎってくる。
「お姉ちゃん。…考えてほしいのは、ぼくの気持ちだけじゃない」
利比古の言いたいことが……見えてきた。
「アツマさんの気持ちも、だよ」
反射的に、うつむく。
「説教っぽく言うのは、好きじゃない。
だけど、弟として、言うべきことを言わなきゃいけないときだって、ある。
結果的に、お説教と受け取られるにしても……しょうがないんだって、あえて、割り切る」
顔を上げられず、視線はひたすら、カーペットに。
「あまり長々とは言わないよ。
心に留めてくれれば、それでよし」
「……うん。
してたのよ……覚悟は。邸(ここ)に帰ってきたら、いまみたいに言われちゃうのかな……って」
「覚悟があっただけ、偉い」
テーブル越しに……アホ毛が発生していた箇所に、手のひらを乗せてきて、そっとナデナデしてくれる、わたしの弟。
「辛気臭いのは、ここまで。
お姉ちゃん――コーヒーでも、飲もう?」