【愛の◯◯】引退宣言どこ吹く風の……

 

きょうから新学期。

始業式が終わり、放課後になった。

 

ぼくは旧校舎へ向かう。

始業式の日なので、ランチタイムメガミックス(仮)の放送は休止。

シーン、と静かな旧校舎近くの噴水。

その噴水のへりに座って、バッグから弁当を取り出す。

姉が作ってくれた弁当である。

袋から弁当箱を取り出し、ふたを開ける。

見るからに美味しそうなおかずがタップリと入っている。

弟の新学期初日だから、気合いを入れたんだろう。

 

…期待に違わぬクオリティの弁当を味わう。

食べ終えて、ふたをするとき、

『ごちそうさまでした、お姉ちゃん』

と、こころでつぶやく。

そして、腰を上げ、ほかにだれも居る気配のない旧校舎へと歩を進めていく。

 

× × ×

 

【第2放送室】のドアを開ける。

 

昨年末をもって、板東さんと黒柳さんが引退した。だから、しばしのあいだ、KHKの会員はぼくひとり、ということになる。

 

きょうから、ひとりで、やっていかなくちゃなあ……と思いながら、部屋の電気をつける。

すると、テーブルに、ノートが1冊、置かれていることに気づく。

 

『親愛なる羽田くんへの引き継ぎノート』という題のノートだった。

 

表紙の右下に、

『byなぎさ&巧』と書き込まれている。

板東さんの下の名前と、黒柳さんの下の名前だ。

 

× × ×

 

情報量が多かった。

企画から編集までの、番組を作るプロセスが、事細かに記述されていた。

 

ぼくが、ひとりぼっち会員でもやっていけるように、気づかってくれているんだ。

 

優しいな……。

 

『ランチタイムメガミックス(仮)は絶対に存続させるように!!』という板東さんからのメッセージもあって、なんだか、微笑ましい。

 

× × ×

 

ぼくはそのノートを3回通読した。

 

なにかやってみたい、動き出してみたい。そんなモチベーションが盛り上がってきて、ひとりぼっちのKHK活動に対して、前向きになる。

 

なにをやろうか?

――とりあえず、昨年の暮れから温めていた、ドキュメンタリー番組の企画を、前に進めてみよう。

『本校の歴史』ということで、テーマもある程度固まっていた。

次のステップは、およそ100年にも及ぶ本校の歴史から、なにをピックアップするのか、決めることだ。

手もとの引き継ぎノートに、

『テーマは、可能な限り小さく具体的にすること!』

と書かれていた。

絞れるだけ絞り込め、というメッセージだ。

 

よし。

バッグに入れてある番組制作用のマイ・ノートを出して、取り上げる事項を絞ってみよう。

部活動。イベント。名物教師。著名な出身者。あるいは、代々伝わる七不思議。

切り口は、ほとんど無数だけど――絞り込んでいかなきゃ。

 

「よーし、やる!」

 

モチベーションを声に出す。

開けたバッグに手を突っ込み、マイ・ノートを取り出そうとする。

 

――その瞬間だった。

 

ガチャリ、と、ドアノブが回される音。

 

 

不審者、であるはずもなかった。

 

入ってきたのは……紛れもなく、引退したはずの、板東さん&黒柳さんコンビだった。

 

 

「ハロー! 羽田くん」

「は、ハロー、じゃないですよっ、板東さん」

「え、なにそれ」

「……なんで来たんですか?」

「なに、羽田くん、わたしたちを出禁(できん)にでもする気だったの」

「そんな気はありませんけど、でも」

「でも??」

「引退宣言は、どこに行ったんですか……」

「あー、そんなのもあったねえ」

 

…カーッとなってぼくは、

「居座るつもりなら、30分以内にしてください!!」

と板東さんに釘を刺す。

 

「30分以内かー、きびしーなー」と板東さん。

黒柳さんを横目でチラリと見る板東さん。

彼女は言う、

「どうする? 巧くん

 

 

んんっ!?

 

 

 

「……板東さん。

 いま、なんとおっしゃいましたか」

 

恐る恐る訊くぼく。

彼女は余裕顔で、

「『どうする? 巧くん』って言っただけだよ」

「……」

「なにか、気になる点でも?」

「……その……呼びかたが……下の名前になったのは……どうして」

「それは、『黒柳くん』だと、呼ぶのに長すぎるから」

「ず、ずいぶんいきなりですね」

「――というのは、嘘で」

!?!?

「呼ぶのに長すぎる、とかじゃなくって。

 ホントの理由は、

 巧くんが、わたしの彼氏になったから」