あたらしい朝が来た。
土曜の朝だ。
「あーっ、もう……お外がまだ、暗いんじゃん」
カーテンを少し開けて、ひとりごと。
目覚まし時計を確認する。
まだ、5時台。
両親は眠っていることだろう。
どうするか。
おかーさんを無理やり起こして、朝ごはんを作ってもらうわけにもいかない。
……某Z会の参考書が読みかけのまま、寝てしまったのを思い出した。
よし。参考書の続き、やろう。
グズグズしてたら、あっという間に、来年の2月になっちゃう。
利比古くん経由で、わたしの早稲田志望が、羽田センパイに伝わってしまったようで、先日、激励のお電話が来た。
『文学部が第一志望なら、現代文をがんばらないとね。早稲田の文だし。もっとも、川又さんは現代文得意だから、あんまり心配はしてないけど』というようなことを言われた。
『わたしの通ってる大学より、早稲田は偏差値高いんだから、気を抜かないことよ』とも。
高等部時代の偏差値は、羽田センパイのほうが、はるかに高かったと思うんですけどね。
そこが、ややこしい。
……そんな、ややこしいことよりも。
あすかちゃんが、もうすぐ自己推薦入試らしい。
まず間違いなく、彼女は大丈夫だろう。
なんてったって、作文の銀メダリスト。
日本全国の高校生のなかで、あすかちゃんより文章が上手いのは、ひとりしかいないんだから。
――決して、わたしはやっかんだりはしない。
あすかちゃんはあすかちゃん。わたしはわたし。わたしは、わたしの受験をがんばり抜くだけ。
……いろいろに思いを巡らせながら、参考書を読んでいたら、読み進めるのに時間がかかり、やがて小鳥の鳴き声が聞こえてきた。
× × ×
『しゅとらうす』の朝は遅い。
土曜の朝が遅い喫茶店って……というツッコミはもっとも。
モーニングサービス無しで、稼ぎは上々なのだから、不思議な珈琲専門店だ。
朝が遅いということは、両親が起きてくるのも遅めだということであって。
きょうは土曜であり、よりいっそう、川又家の朝食が、遅くなる。
娘のわたしはそれを把握しているから、少しぐらいの空腹はガマンして、じぶんなりの朝の活動をやる。
テレビを見て時間を潰したりはしない。
かといって、ウォーキングやランニングといった運動をするでもなく。
だったら、なにをするのかというと――。
だれもいない、がらんとしてひんやりとした喫茶店フロアに、足を踏み入れる。
娘の特権で、客席に着席。
窓の眺めのいい席だ。
テーブルに、ノートと筆記用具、そして、『歳時記』を置く。
『歳時記』、でピンとくるひとにはピンとくるだろうけど――わたしはこれから、俳句を作ろうとしているのである。
――受験勉強にも劣らず、大事なこと。
わたしが部長を務める文芸部の内部サークル、『シイカの会』。
『シイカの会』は、名前のとおり、詩歌(しいか)の創作力を磨くことを目指す内部サークルだ。
最終目標は、卒業までに、詩歌の同人誌を作り上げること。
いままで、短歌を詠むことを中心に活動してきたのだが、短歌ばかりでなく、句作(くさく)の機運も高まってきていた。
女子高生だって俳句に興味があったりするんである。
するんです。ハイ。
と、いうわけで――早起きのあたまを働かせて、句をひねり出そうとしているわたし。
俳句は……難しい。
いちばん難しいのは、季語だ。
無季俳句という考えもあるが、ひとまずわたしは、季語を出発点にして句を作ろうとしている。
だけど、季語というのは、かなりやっかいで。
『そんなことばも季語になるの!?』という発見が頻繁にあって、季語にがんじがらめになってしまいそうな錯覚すらもある。
たとえば、『ぶらんこ』。『ぶらんこ』は春の季語なのである。歳時記にちゃんと載っている。春の季語だと知らなければ、季語だと思わずに句のなかで使ってしまう。
季語が重なる、という問題も出てくる。
以前、句会(くかい)を開かれているかたに、文芸部に来ていただいて、指導を受けたことがあった。そのとき、季語とは知らずに季語を使っていて、季語の重なりを指摘されたということがあった。
季語の重複(ちょうふく)は、デリケートな問題でもあるらしいけれど……。
とにもかくにも、季語以外もひっくるめて、俳句は一筋縄ではいかない。
『どんな創作文芸も一筋縄じゃいかないよ』って言われたら、それまでなんだけど、ね……。
案の定というか――句作に行き詰まって、窓の外をぼんやりと見る。
眺めていれば――この景色から、インスピレーションを得ることも、ありうるのかなぁ……と、おぼろげに思っていた、ときだった。
おとーさんが……フロアに、侵入してきた……。
「なーんだほのか。不機嫌そうに見なくったって。寝不足かぁ?」
「寝不足じゃないよ。おとーさんこそ……足りてるの? 睡眠時間。いつもより、かなり早起き……」
「そんな土曜日もあるんだ、これが」
おとーさんの、言い回し……なんだか、キモい。
わたしが座っている席にまっすぐに近づいてくるのも、拒否感をあおり立てる……。
「どんな朝活(あさかつ)してるんだ~? ほのかは」
まずい。まずいまずい、まずいっっ。
俳句ノート、見られる。
窮地におちいったわたしは、
「お、おとーさん、それ以上近づいてこないでっ」
と声を上げる。
「オイオイ反抗期かよ」
「反抗期だよ!!」
「はげしいなあ」
「……」
「カルシウム不足ってところか」
ばか。
「ばか」
「ほのかぁ~、ばかって言ったやつがばかなんだぞ」
「あ、あと1メートル、1メートル近づいたら、このノートでビンタするよ!??!」
「……『俳句』って書いてあるじゃんか、表紙に」
――乾いた破裂音がフロアに響いた。