「よかったねぇ、お兄ちゃん」
「あすか」
「これで、妹のわたしもひと安心だ」
――『リュクサンブール』への就職が決まったことを、あすかは言っているのだ。
「お兄ちゃんは、星崎さんと八木さんに、100万回感謝しないとダメだよ??」
「――わかってるから」
「持つべきものは女友だち、だったね」
「……まーな」
ソファに座るおれの背後に立つあすか。
急に、
「お兄ちゃん。
肩たたき――してあげよっか」
「な、なぜにっ」
「ちょっとっ、オーバーに慌てふためかないでよっ」
「おまえが……おれに……肩たたき」
「なに!? 恥ずいの!?」
「だって……いきなり言われたし」
「あーのーねー。せっかくわたし、『ご苦労さま』の気持ちでいっぱいな状態なのに」
……マジかよ。
「あすかに……そんなに、いたわりのこころが、あったなんて」
あすかは不機嫌な声で、
「わたしをなんだと思ってんの」
「え…」
「きょうだいなんだよ? 妹なんだよ?」
「んん…」
「ビミョーな反応、しないでよ。
……優しくしたいの、お兄ちゃんに。
めでたいことがあったから、とくに……ね」
× × ×
あすかは、おれの肩を100回叩いてくれた。
思わぬ妹の愛情に、ソファで戸惑い通しでいると、今度は――どこからともなく、母さんが。
「どうしたのよアツマ。なんだか照れ顔よ?」
黙りこくっていると、
「あすかが、肩たたきでもしてくれた??」
う。
不可解なまでに、直感が鋭い母さん。
「…そんなんじゃねえよ」
「アツマがそんなふうに言うってことは、図星なのね」
…ちっ。
「つまり、肩たたきをしてくれたあすかにデレていると」
「で、デレてなんかいねーし」
「ふふ」
「また、母さんは、笑いっぱなしで……」
「あすかもお兄ちゃん大好きっ子ねえ~」
「…普段は兄に厳しいけどな、あいつ」
「厳しいのも、大好きの裏返しなんじゃないの??」
「…知るかよ。」
母さんが、ソファひとつぶん空けて、着席する。
「アツマ、」
「……なに?」
「あらためて言うけれど」
「……」
「おめでとう」
「……」
「ほんとうに、おめでとうだわ。あなたも……一人前の社会人に」
くすぐったい……。
母さんに言われちまうと、余計に。
「お赤飯でも炊こうかしら」
「ば、ばか、じょーだんにも程があるぞ」
「融通がきかないわねえ」
「……」
「それから、親に向かって『ばか』なんて言わないものよ?」
「……すまん」
「許すけど♫」
おれと母さんは同じ方角を向いて座っている。
テレビは点いていない。
なんとなく居心地悪めの……奇妙なシチュエーション。
「――もうすぐ、タモさんが歌う時間帯ね」
突拍子もなく言う母さん。
「はぁ!? その番組、とっくの昔に打ち切られてんだろうが」
「知ってるわよぉ」
「それに、タモさんが歌ってたのは、おれが生まれる遥か前で…」
「あ~ら、知ってたのねえ。意外~~」
……なんだよ、この会話。
「……なにが言いたいの? 母さん」
「わたしが言いたいのは、正午が近づいてるってこと。…正午が近づいてるってことは、お昼ごはん時(どき)ってこと」
「…そうだな」
「――作ってあげる。」
「へ?? 作る…って」
「鈍いわね」
「も…もしかして、母さんが、昼飯を作る気に…」
「それはなるでしょ~っ」
「ま、マジで、母さんが、昼飯担当!??!」
「アツマ就職決定記念」
「マジかよ」
「マジよ、マジ」
「母さん――」
「――あなた、いまにも、お腹がグーッ、って鳴っちゃいそう」
腹は……減っている。
× × ×
一汁三菜どころではなかった。
一汁五菜。
腕によりをかけた、母さんの、本気のお料理だ。
……美味かった。
ことばに表せないぐらい、美味かった。
就活の地獄の苦しみが、ぜんぶ吹っ飛んだ。
母さんの味は――偉大だ。