「羽田くん、羽田くん」
放課後。やっと今週の授業も終わった……と思っていたら、クラスメイトの野々村さんが席に近づいてきた。まさか。このパターンは。もしや。
「野々村さん、もしかして……」
彼女は軽くうなずき、
「入り口のほう、見て」と促す。
女子生徒が立っていた。
「放送部の、小路瑤子(こみち ようこ)さん。……面識があるんだよね? 羽田くんは」
「うん……知ってる」
「それにしても……」
痛いところを突かれるという予感が的中して、
「いろんな女子が、羽田くん目当てで、ここに来るよね」
と言われてしまった。
こころなしか、野々村さんが呆れた表情な気がする。
そして野々村さんは、若干ウンザリ目線で、入り口の小路さんを見て、
「早く、対応してきてほしいよ」
……ごめんなさい。
小路瑤子さん。2年。同学年。
放送部新体制で、猪熊亜弥さんに次ぐポジション――つまり、副部長的な存在になっているようだ。
「放送室に来てよ」
開口一番のことばがそれだった。
単に「放送室」と言う場合、KHKの【第2放送室】ではなく、放送部の部室も兼ねているお部屋のほうを指す。
またぼくは放送部の場所に連れこまれるのか。
「そうはいっても、ぼくにはKHKが……」
「いいじゃん」
「いいじゃん、って、小路さん」
「KHKの板東会長、スランプなんでしょ? スランプなときは、そっとしといたほうが」
「そう言われたって……」
「ぜったい放送部のほうに来たほうがいいって。おもてなしするし」
「……理由は?」
× × ×
理由を答えてくれることはなかった。
――けっきょく、小路さんの誘いをうまく断れず、惰性のままに放送部の放送室に来てしまった。
「小路さんは、ぼくを、放送部のほうに引き寄せたいの?」
「引き寄せたいって?」
「ほら……KHKから、引き抜くつもりだとか」
「そんなんじゃないよお。羽田くんがいたほうが、楽しいってだけ。放送部、極端に男子少ないし」
「ぼくがいれば楽しいから、って……。ずいぶん、適当な」
「そんなに真面目な顔になる必要ないよお。――ほら、とんがりコーン食べなよ。とんがりコーン食べないと、もったいないよ」
言うやいなや、コカ・コーラの飲みきりサイズペットボトルを、彼女はシャカシャカと振り始めた。
ぼくは慌てて、
「こ、コカ・コーラは、シェイクするものじゃないでしょっ。吹き出ちゃうよ」
「あ、そーだった」
言われてから気づかないでよ。
無残にも……フタが開けられたペットボトルから、どんどんコーラの泡が吹き出てくる。
「ごめんねえ。……羽田くん、ティッシュとか持ってない?」
「持ってるよ。ぼくが持ってて、よかったね」
「てへぺろ☆」
「『てへぺろ』って……なに?」
漏れ出したコーラを小路さんといっしょに拭き取っていると、猪熊亜弥さんが、急ぎ気味に入室してきた。
「すみません……部長なのに、部活に遅れてしまって」
小路さんに対して謝っているのである。小路さんとは同学年だけど、猪熊さんにとっては、敬語で接するのがデフォルトなようだ。
テーブルの上の惨状に視線を移した猪熊さんは、
「瑤子(ヨーコ)……なにをやっているんですか? 羽田くんと」
と小路さんに疑いを向ける。
敬語でも、小路さんのことは、呼び捨て。
「見ればわかるじゃん。お・も・て・な・し、だよ」
「羽田くんは本来KHKの所属なんです。気安くこっちに呼ぶのも、かえってありがた迷惑なんではないですか? 彼には」
「そんなことは思ってないと思うけど、彼」
『ねえ? 羽田くんなら、ありがた迷惑じゃない、って言ってくれるよねえ?』という小路さんの熱い視線が、刺さる。
ぼくは、こう答える。
「KHKの活動に支障が出ない範囲ならば……迷惑じゃないよ、べつに」
小路さんの顔がさらにパアアッと明るくなる。
「ほらほら、迷惑じゃないって言ってくれてるんじゃん!!」
「条件付きで言ったんだよ……ぼくは。小路さん」
お構いなしに、
「亜弥。亜弥だって、もっと彼と距離を詰めたいんでしょ!?」
……小路さんの爆弾発言に対し、猪熊さんは、
「なにを言ってるんですか……ヨーコ」
と、限りなく冷ややかに言い返す。
だんだん泥沼めいた空気になってきてしまった。
「亜弥だってさあー、羽田くんと放課後、学食でふたりっきりで『お茶』したりしてたんじゃん」
「誤解を招く表現はやめてください。『お茶』ではなく、あそこで真面目な話を、わたしは――」
「真面目な話? 告白??」
「ヨーコ!!!」
本気で怒ってるよ、猪熊さん。
小路さん、きみが、火に油を注いだせいだよ……。
しかし、火に油を注いだ張本人は、ふざけ倒すように、
「てへぺろ☆」
と猪熊さんを撹乱(かくらん)する。
だから「てへぺろ」って、なに!?
「ヨーコ。少し前の流行りことばで茶化すのは、やめてください」
……あ、流行りことばだったんだ。
流行りことば云々はいいとして……猪熊さんは小路さんをにらみつけ続けているし、まさしく殺伐とした空気だ。
ここは……ひょっとしたら、逃げるが勝ち、というやつでは?
「あの、ぼくは、そろそろKHKのほうに。板東さんに怒られるといけないので」
「とんがりコーン食べないで出ていっちゃうの!?」
「小路さん……そういう問題ではなくって」
「帰るんですか……? 羽田くん」
静かに猪熊さんが言った。
「帰るというより、KHKのほうに向かわなきゃだから――」
逃げ出すように、背を向ける。
そうしたらば、
「羽田くんが出ていくなら、わたしも出ます」
なんで、なんでそうなるんだっ。
「きょうはヨーコといっしょに部活をしたくありません」
職務放棄、かな!?
「い……猪熊さんっ、きみらしくないよ。子どもじみてる」
ぼくの忠告もむなしく、床を乱暴に踏みつけるように足音を鳴らして、ドアに進んでいき、ドアノブに手をかける。
「出るったって……ここを出て、どうするつもりなの?」
問いかけるぼく。
沈黙の猪熊さん。
衝動的に「出ます」って言ったのはいいが……なにも決めてなかったパターンらしい。
「KHKにお世話になればいいんじゃ~ん、いっそのことさあ」
明るく挑発する小路さん。
火に油を注ぎまくる小路さんのせいで、堪忍袋の緒が切れたのか……ものすごい勢いでドアを開け、猪熊さんは、廊下を駆けていった……。
「アチャー」
「こ、こんなことでいいの!? 小路さん」
「――廊下は走っちゃいけないよねえ」
「小路さんッ!!」
「――あんな勢いで走ると、パンツ見えちゃうよ、亜弥」
「小路さぁん……」