わたしの実家のカフェ「しゅとらうす」。
文学好きの集まるイベントが終わったあとで、
「ほのか。『おつかい』に行ってくれんか」
と父にいきなり言われた。
行ってきてほしいお店の名前を告げられる。
その途端、
「おれの帰り道にある店じゃないですか」
と、わたしの後ろに立っていたイベント参加者の男子学生が言った。
そしてその男子学生は、
「ほのかさん。せっかくなので、途中までお伴(とも)しますよ」
と思い切った発言を。
× × ×
彼の名前は丸田吉蔵(まるた よしぞう)さん。
都内某大学の学生で、わたしと同じ年の産まれ。
丸田さんは熱烈な「俳句派」で、高濱虚子を崇めているらしく、イベントでは虚子の句のどんなところが素晴らしいかを熱弁していた。
わたしには、虚子の言うところの「客観写生」「花鳥諷詠」の意味が、よく分からない。
そもそもわたしは「短歌派」である。「俳句派」の丸田さんとは、違う。
つまり……水と油、みたいなもの。
丸田さんと隣同士で歩く羽目になった。
おとーさん。あとで呪ってあげるんだからね!?
午前中降り続いていた雨もやみ、空から光が射してきていた。
上を向いて丸田さんが、
「五月晴(さつきばれ)だなあ」
と言う。
「夏の季語ですよね。仲夏(ちゅうか)でしたっけ。ちょうど今みたいな時期の」
わたしがそう言うと、振り向いて、
「よくご存知ですね。流石ほのかさんだ」
……なんですか、「流石」って。
× × ×
しばらく歩を進めていたら、丸田さんが突然シャドーボクシングを始めた。
「なんなんですか!? ビックリしちゃうじゃないですか」
思わず出る声。
「すみませんすみません、弾みで」
「よく分からないんですけど」
「習慣なもので」
「習慣って。丸田さん……もしかして、大学でボクシング部に」
「『さん』付けじゃなくて『くん』付けでもいいんですよ?」
「……」
「大学のボクシング部じゃないんです。とあるボクシングジムの所属で」
へぇ……。
「それで、TPOにかかわらず、思わず手が出てしまうこともある、と」
「手を出してるわけじゃないです。シャドーボクシングなんですから」
彼の苦笑い。
わたしより前を歩いている丸田くんだったのだが、いきなりシャドーボクシングの手を止めた。
いきなり手を止めないでよ。
ビビるでしょ。
丸田くんは立ち止まり、感慨の籠もった声で、
「おれ……憧れてるヒトがいて。それで、そのヒトの通っていたジムの門を叩いたんです」
だれ。
憧れてるヒトって、だれ。
「そのヒトの名前は、戸部アツマさんっていうんですけど」
……!?!?
「あれ~~?? ほのかさん、どーしましたか? 棒立ち状態じゃないですかぁ」
「棒立ちにも……なりますよ……!」
「なぜ??」
「戸部アツマさんは……わたしの親友の女の子の……お兄さんです」