向かい側のテーブルの前に、椅子をひとつぶんあけて、2年生の郡司健太郎(ぐんじ けんたろう)センパイと高輪(たかなわ)ミナさんが座っている。
……わたしは、某H泉社から出ている某月刊少女漫画雑誌を読むフリをして、郡司センパイとミナさんのやり取りを、観察しようとしている……。
罪だな、わたし。
「郡司くん。いまから、演習の課題、やってもいい?」
「許可取る必要……あるか? この部屋でなにやったって、べつに自由だろ」
「ほんとうにいいの?」
「念押しする必要もないと思うんだが」
「迷惑じゃない?」
「課題をやってこないほうが、演習に迷惑だろ」
「――面白いこと言うね」
右腕で頬杖をついて、押し黙る郡司センパイ。
「郡司くんも、なにかしたら? さっきまで、スマホいじってただけじゃん」
ミナさんは演習の課題に取りかかり始めている。
ミナさん、郡司センパイに、なかなか厳しい。
「……高輪のその課題は、なんなの?」
訊く郡司センパイ。
「見ればわかるでしょ。英文を読むんだよ」
そっけなく答えるミナさん。
「そういや……高輪は、英語英文学科だったな」
「教育学部の、ね」
「あ、はい……」
ちなみに、郡司センパイは、社会学部。
電子辞書をポチポチしながら、ミナさんは、
「ジョン・アーヴィングっていう小説家の文章を読んでるんだけど、かなり面倒くさいの」
「ふーん」
「知ってる? 郡司くん。ジョン・アーヴィング」
「まったく知らん。初耳だ」
「じゃ、羽田さんに教えてもらったらいいよ」
うわっ。
ミナさんの無茶振りだっ。
「羽田は、ジョン・アーヴィング、知ってるのか?」
「はい。知ってます」
「……即答だな」
「ウフフ」
「そ、その『ウフフ』は、なんじゃいな」
「ミナさんの代わりに、わたしが、ジョン・アーヴィングについて、手短にレクチャーしてあげますよ」
「お、おう」
代表作『ガープの世界』を中心に、手短に説明してあげたわたし。
「……羽田、おまえ、ほんとうに1年生なんか?」
「1年生ですが」
「……」
「ほかのひとより、ちょっとだけ文学に詳しいだけですよ」
「な……なるほど」
「なるほど」って。
郡司センパイ、なにをどういうふうに納得したのやら。
× × ×
ここで、郡司センパイとミナさんの関係性について、少し解説。
ふたりは、神奈川県の高校で、同級生だった。
どちらかが浪人することもなく、足並みをそろえて、ふたりして――この大学に進学したというわけで。
高校の3年間と、大学の4年間。合わせて7年間、おんなじ教育機関で学ぶことになる。
こういうパターンが、珍しいのかどうかは、わかんない。
ふたりの関係性について、高校と大学がおんなじということよりも、もっと肝心なことがある。
ミナさんだけが、わたしに向かって打ち明けてくれた、過去の秘密。
高校時代……郡司センパイとミナさんは、2週間だけ、交際していた。
2週間だけのおつきあい。それって、どんな感じなんだろう……とわたしは思う。思うけど、見当もつかない。
2週間だけの恋人関係。
その関係が、どういうキッカケで始まったのか。彼と彼女、どっちから告白したのか。
その関係が、どういうキッカケで終わってしまったのか。どっちから『別れよう』と言い出したのか……。
そこまでは、ミナさんは、教えてくれなかった。
ベールに包まれてる、というか。あるいは、ミナさんが、オブラートに包んだ――といったほうがいいのか。
いずれにせよ、微妙な関係性なわけだ。
× × ×
いまだって、距離感、微妙。椅子ひとつぶん、距離をあけている、っていうのが……。
ふたりを隔てている椅子を指し示して、
「郡司くん、課題プリント、この椅子に置いていい?」
と言うミナさん。
「なぜに? テーブルがあるだろ」
「なんとなく」
「高輪……」
「なんとなく、なんだけど。――ほら、テーブルにこのプリント置いたら、郡司くんの『ゾーン』が、狭くなっちゃうじゃん」
「や、『ゾーン』ってなんだよ、『ゾーン』って」
「だからー、なんか狭苦しいでしょ? わたしのプリントが、郡司くんの席の近くまでやってきたら」
「『ゾーン』って、おまえ、作業領域のこと言ってんのか?」
「だよ。郡司くんが使えるスペースが、わたしのせいで狭くなるのは、悪いから」
「おれはべつに構わんぞ、スペース、小さくたって」
「ほんとお??」
「……なんだその眼は」
「そんなに譲るんだったら、どんどん郡司くんの前にモノを置いていって、わたしのモノ置き場にしちゃうよ!?」
「……モノ置き場を作りたいぐらい、おまえがモノを持ってきてるとは思えんのだが」
「女子は持ち物が多いの!!」
「……」
「そーゆーとこ、高校時代からニブかったよねー。郡司くん、ニブニブ」
……。
交際期間2週間の、微妙さ。
椅子ひとつ隔てた距離感の、微妙さ。
そして、こんなふうな、微妙すぎるほど微妙な、やり取り……。
いろいろと、煮え切らない……。