朝、あすかが、晴れやかな顔で、邸(いえ)を出ていった。
きのう、合宿に来ていた利比古の先輩の女の子と、なにやらお料理勝負のようなことをしていたみたいだが……。
親睦を深めた、ってことでいいんだろうか?
× × ×
ところで。
あすかの推薦入試が、いよいよ本格的に迫ってきていると思われる。
兄として、もちろん、気にしないわけにはいかない。
通学の電車で、考えた。
『あいつは、どの大学を受けるんだろうか?』
おれはまだ知らないのだ。
作文オリンピック銀メダルという実績をひっさげて、推薦入試に臨む妹。
もしかしたら――早稲田や慶応といった難関大学でも、銀メダルの実績は釣り合うのかもしれない。
あるいは――愛が通っている大学。早慶上智に匹敵する難関校だが、銀メダルの実績なら、挑戦してみる価値はある。なによりあいつは、愛を、じぶんの姉同然に慕っている。『おねーさんと同じ大学に行きたい……』という願望を持っているのかもしれない。
おれの大学は――どうか? ……ちょっと、考えられねぇかもしれねぇな。こんどは逆に、銀メダル実績と大学の格が釣り合わない。つまり、おれの大学が二流大学すぎて、推薦で受ける価値に乏しいのだ。費用対効果っていうんか……? それに、おれが通っているから、妹としては、敬遠したい大学かもしれんし。
……こういった考えをこねくり回していたら、あっという間に大学の最寄り駅だった。
キャンパスを歩いていたら、就職活動についての会話が耳に入ってくる。
おれにとっては、就活のほうが切実な問題なのかもしれない。いや、『かもしれない』なんて、留保する必要もないか……。
× × ×
それでも、あすかの進路希望は、きちんと聞き取っておくべきだと思った。
思ったから、帰宅後、あすかの部屋のドアをコンコンコン、と3回ノックした。
「どしたの? お兄ちゃん」
「いまちょっといいか?」
「大事な話?」
「それなりにな」
「――わかった。入っていいよ」
勉強机の椅子に座るあすか。おれはあぐらをかいて、真正面に向かい合っている。
「……えーと、だな」
「なに緊張してんの? おにーちゃん」
「し、してねーよ」
「おもしろい」
「おもしろがるなっ」
「――たぶん、わたしの進路絡みのこと、だよね?」
「――ああ、それを訊きにきたんだ」
少し姿勢を正しておれは、
「もう、おまえは、志望校を固める段階だと思うし。出願の手続きだって、もうすぐしないといかんのだろ?」
そう言うと、あすかは、不可解なくらいの明るい笑いで、
「出願、もうとっくに、してるんですけど」
!?
「あれ? お兄ちゃんに言ってなかったっけ」
「は、は、初耳じゃっ」
「そうだったか」
「おれの知らないあいだに……」
「テキパキしてるもん、わたし。じぶんで言うのもヘンだけど」
「もしかして……」
「うん。おねーさんは、知ってるよ」
「愛に伝えておいて、なぜ兄貴のおれに伝えんのだ」
「ごめんごめん、つい、後回しになって」
「……ちぇっ。おれに対する雑な扱いも、恒例だよな」
「わたしは、お兄ちゃんを、どうでもいいとか思ってないよ?」
「そういう問題じゃーない」
微笑みっぱなしのあすか。
出願した、ということ以上に、肝心なことがある。
志望校を、おれはまだ知らない。
「あすか。出願したのなら、『どの大学に出願したか』を、教えてくれるよな? この場で」
「――言ってなかった?」
「おれは、聞いとらん」
「――そうだったか」
ちょっぴりだけ申し訳無さそうに苦笑いしたあとで……おれの妹は、口を開き、大学名を告げた。
その大学名を聞いて――おれは、ビックリ仰天してしまった。
開いた口がふさがらない状態、といっても過言ではなかった。
なぜか。
それは――。
「お、お、おまえっ、藤村の大学受けるんかよ」
藤村杏(ふじむら あん)。
おれの高校時代の同級生。
いちばん腐れ縁の、女子。
今年の夏に、邸(いえ)にやってきて、おれと実況パワフルプロ野球に興じていたということがあって……憶えている読者のかたも、もしかしたらおられるのかもしれないですが。
腐れ縁ゆえか、おれと藤村の大学は、キャンパスが近い。
そして、藤村の大学のほうが、偏差値が高く、受験生の人気も高い。
「それにしたって――なんでまた、藤村の大学を? 藤村リスペクト、とかか?」
「違うよ。藤村さんがいるから、とかじゃない」
断言する妹。
「カリキュラムが魅力的だからに決まってるでしょ。施設も、お兄ちゃんのキャンパスより素敵だし」
さりげなくおれのキャンパスをdisるなよ。
「おねーさんが言ってたことの、受け売りなんだけど――あの大学だったら、わたしのやりたいことが、いちばんできそうだって、確信したから」
ニヤニヤしながら、
「イヤなの? わたしが、藤村さんの大学に入っちゃうのが」
「そ……そういうことは、思わない」
「じゃあ、動揺しっぱなし状態なのは、どうして」
「動揺?? そんなことはないぞ、冷静だぞ、兄貴は」
「――ウソ言ってる。」
「ぬなっ」
「だって――あぐらかいてるヒザが、小刻みに震えてるもん」
なんだよそれ……。
「妹よ……。おまえは、おれのどこを見てるんだ」
「いまは――下半身かな」
「す、スケベ!!」
「――慌てて正座になっちゃってぇ。よっぽど動揺があるんだね、テンパりおにーちゃん♫」