「加賀くん、読書感想文出さなくって、椛島先生に怒られたんだって?」
「ゲッ、あ、あすかさんが、なぜそんなことを」
「狭い世界なんだよ。あっという間に伝わるよ」
「……にしたって、どういう情報網なんだよ」
いかにも不審げな顔つきの加賀くん。
――構わず、
「ねえねえ」
「な、なに」
「椛島先生、きょう、ここに来るよ」
ここ、とは、活動教室のこと。
「――なんといっても、2学期初日だからねぇ。部活の様子を見に来たくなるでしょ、顧問として」
「……いつ、来んの?」
「4時だって」
にわかにホッとした表情になる加賀くん。
『なんだー、まだ先じゃねえか……』と、顔が言っている。
よくないなー。
たしかに、時刻はまだ3時前だけど。
きょうは始業式、だけではなかった。
始業式に加え、何教科かの授業の、おまけ付きだった。
『始業式の日に授業なんてやるのか――?』
という疑問は、織り込み済み。
――とにかく、少し授業もあって、2時半から放課後だった、というわけ。
それはそうと。
「安心してる場合じゃないよ加賀くん、まだ椛島先生のご到着まで時間があるからって」
「ん……」
「先生、怒ってるよ。加賀くんの顔見たら、怒ると思うよ」
「んん……」
「説教、されたくないでしょ?」
「……」
「説教されないためには、どうしたらいいと思う?」
「……」
「誠意を見せなきゃね」
「誠意、って」
「かたちだけでも、がんばってるふうに見せるんだよ」
「それが、『誠意』に、なるか?」
「…読書感想文やってますオーラを、漂わせるんだよ」
「…おれのツッコミは無視か」
かくなる上は――。
「わたし、図書館行ってくる」
「あすかさんが!? なんで!?」
「キミが読書感想文書くための、本探しに決まってるじゃん」
× × ×
問答無用で、図書館におもむき、
そしてさっそうと、活動教室に帰ってきた。
「……早かったな」と加賀くん。
「早いよ」とわたし。
わたしは、
フランツ・カフカの『変身』を、借りてきた。
「なんだこりゃ」
「なんだこりゃ、じゃないよ。…これ、わたしが、高1のときに読んで、読書感想文書いた小説」
「カフカ、って――翻訳ものなのかよ、それ」
「翻訳はヤダ?」
「ヤダ、ってわけじゃ……」
ま、そもそも加賀くんの『読書力』なんて、たかが知れてるんだよね。
いまは、そんなことを云々してる場合じゃないんだけども。
「ホラ、読むの」
「いま!?」
「読んで、椛島先生を待つ。で、先生が来たとき、『感想文書くためにがんばって読書してるんです』アピールを、する!」
「アピール、ねぇ…」
「薄いでしょ? その文庫本。『変身』って、長くない小説だから、加賀くんでもがんばれば読めるよ。がんばって、読もうよ」
『変身』を、差し出すわたし。
受け取った加賀くんが、ページを開く。
しかし、
ページとにらめっこしたかと思えば、3分ともたずに……あっけなく、本を閉じてしまう。
「ちょっちょっとお!! あきらめるのが早すぎるよ!!」
「だるい。めんどい」
なんなの、この子。
ふだん、あんなに分厚い詰将棋の本を、読みふけっていて、
上級者向けの将棋戦術本だって、読みこなしてる、
そんな加賀くんなのに。
将棋以外の本になると、ものの3分で、あっさり、投げ出す――。
「――あきれた」
急速に、加賀くんを読書に向かわせる気力が萎えていって、
「本は持っといてよ。
どうせ、読まないにしても。
――わたし、キミが椛島先生になに言われたって、知らないんだからね」
と、加賀くんのテリトリーから、離れる。
勝手に詰将棋でも解いてればいいんだ。
で、勝手に、椛島先生にお説教されてればいいんだ……!
× × ×
気分転換、気分転換。
1年生3人の様子をウオッチングして――気分転換だ。
会津くんの席に、ヒナちゃんが近づく。
「あのね、えっとね、会津くん」
「――『アメちゃん』、か?」
「! そ、そうだよよくわかったねっ、きょうは、大盛りサービス」
ほんとうに、両手いっぱいに、キャンディを、持っていた。
「ありがたく受け取るが、こんなにいっぱいキャンディを舐めたら、糖分の過剰摂取になるような気が――」
「な、舐めきれなかったぶんは、お、お持ち帰りで…いいでしょ??」
「日高」
会津くんは、するどく、
「どうしてきょうの君は、そんなに歯切れが悪いんだ?」
ドッキリと眼を見開くヒナちゃん。
あーあー。
「…なぜそこで固まる」
「……。
あ、あ、あ、会津くんっ」
「どうした」
いっしゅん間を置いて、ヒナちゃんは、
「『エクレーるん』……ありがとうっ」
「『エクレーるん』? ――夏祭りのとき、ガラガラの抽選で当てた、キャラクターのことか?」
彼女はうなずく。
うなずいたあと、目線が、上がらない。
「よろこんでくれてるなら、良かったよ」
「……」
「もしや、こんなにたくさんキャンディをくれるのは、『エクレーるん』のお返しの気持ちを込めて――だったり?」
するどいなー、会津くん。
冴えてる冴えてる。
「……そんなところ」
受け答えのあとで、
ヒナちゃんは、会津くんと、反対向きに。
窓を、見つめているみたい。
なんとなく、黄昏(たそがれ)モード。
や、黄昏、とまでは――行かないか。
わたしの意識が過剰かな。
こんどは会津くんのそばに、ソラちゃんがやってきた。
「会津くん、キャンディちょっともらうね」
いきなり言う。
言って、すばやくキャンディを、つかみ取る。
「夏祭りのときわたし、イチゴのかき氷、おごったでしょ?」
へー、そうなんだあ。
「だから、会津くんのぶんのキャンディを、少しだけ分けてもらったって、いいよね?」
「構わないが……」
と会津くんが答えた、
のと、ほぼ同時に、
ソラちゃんのことばに敏感に反応したかのごとく、
クルリ、と、ヒナちゃんが、顔を振り向けた。
そしてその振り向けた視線は――ソラちゃんの顔に、注がれる。
「――ヒナちゃん?」
困り始めた顔つきのソラちゃん。
難儀なことになってしまうような、不穏さが――、
わたしのもとにも、やってくる。
「――も、もしかして、ヒナちゃん、
会津くんのキャンディ取っちゃうの……ダメだった?」
なぜか、悩ましげな眼つきで――ヒナちゃんは、
「そんなこと……思ってないし、言うつもりも、なかったよ」
「じゃ、じゃあ、どうして、どうして急にこっち見たの」
「……」
なおも、眼つきが悩ましげなまま、
ヒナちゃんは、ソラちゃんに、沈黙……。
……うろたえ半分、いらだたしさ半分に、
「なにか言ってくれないとわかんないよっ、しゃべってよ、ヒナちゃんっ」
と、ソラちゃんが……。
いま、いちばんつらいのは……間違いなく、会津くんだ。
部長のつとめ、果たさなきゃ、いけないか……と、思い始めた、
その刹那、
ガラーッと入り口扉が開き、
われらが顧問・椛島先生が……入室して来られたのである。
……1年生トライアングルの不穏さには眼もくれず、
手早く、加賀くんを発見した椛島先生は、
『おかんむり』な顔で、あたかも突進するかのように、将棋盤を前にした彼に、向かっていった……。