「大井町さんが言ってたラテンアメリカ文学の講義、もぐってみた」
「なに!? あなた、あの教室にいたってわけ!?」
そんなにオーバーなリアクションしなくても。
「なかなか面白い話が聴けて、よかった。先生、若いのね。第二文学部って、若手の先生が多いのかしら」
大井町さんは押し黙り、ノートになにやらカリカリと書きものをしている。
「講義の復習? 熱心ね」
黙々と書きものを続ける彼女。
そんな彼女に、わたしは――、
「――もぐった講義に感化されて、きょう、ラテンアメリカ小説をカバンに入れて持ってきたの」
そして、カバンから本を、スッと出して、
「ファン・ルルフォの『ペドロ・パラモ』なんだけど。読んじゃってるかな? 大井町さん」
「……作品の名前だけなら、知ってる」
「いずれ、あの講義でも出てくるでしょ。これは予習だと思って――」
「……?」
「――読んでみようよ、『ペドロ・パラモ』」
『ペドロ・パラモ』を、彼女のほうに差し出す。
ちなみに、岩波文庫版の『ペドロ・パラモ』ではない。
「貸すってこと……? わたしに」
「そ」
眼つきが、いくぶん険しくなって、
「あなたに、本を借りる筋合いは……」
まーた、「筋合い」とか言うんだから、大井町さんは。
「読んでおいたほうがいいよ。難解だけど」
難解な小説では、あるけれども、
「でも、大井町さんだったら、読めると思う」
「……」
「『ペドロ・パラモ』が読めたら、大井町さん、きっとAプラスだよ」
「Aプラス……?」
もちろん、Aプラスとは、成績のAプラス。
Aプラス、ほしいでしょ……? 大井町さん。
「返すのは、すぐじゃなくてもいいから。前期の試験が終わるまで、持っていても――」
しかし、わたしの熱意とは裏腹に、
「……ますます借りたくなくなった」
と、彼女は、拒んでしまう。
あやしい雲行きに……。
「借りるなら、図書館で借りるし」
そう言って彼女は、『ペドロ・パラモ』を突き返す。
『あなたの好意になんか、甘えたくない』
彼女のこころの声が――聞こえてきそうで、つらかった。
× × ×
「――Aプラスとか言っちゃったのが、まずかったのかな。
いや、たぶん、それがまずかったんだ」
「ひとりごとですかー、愛さーん」
だらしなく寝転んで雑誌を読みながら、アツマくんが言ってくる。
わたしの部屋にやってきたと思ったら、いきなりゴロ~ンと寝転んで、持ち込んだ雑誌を読み始めて……。
ダラダラしすぎなんじゃないの?
「ひとりごとといえば、ひとりごと。だけど、そうじゃないともいえる」
わたしは答える。
「…ねぇ、わたしの話、ちょっと聴いてくれない」
要求するわたし。
「聴くけど?」
そう言いつつも、彼は仰向けに寝転んで、雑誌に視線を注(そそ)いだまま。
「聴く体勢になってよ、少しは…」
「んー」
「『んー』言わないっ。水着グラビアも読まないっ」
「んんっ…」
彼はようやく身を起こす。
名残惜しそうに、雑誌をわきに置く。
水着グラビアがそんなに名残惜しいの。
写真見るんじゃなくて、わたし見なさいよ。
ここ、わたしの部屋なんですけど。
少しは、わたしの部屋に、眼を配ったら?
もちろん、いちばん眼を配ってほしいのは……。
「……わたしの眼を見て、わたしの話を聴いてね」
「なぜに」
「そんなこともわかんないかなぁ……」
ガックリきちゃうんですけど。
わたしの落胆を見て取ったのか、
「……わーったわーった、ちゃんとおまえの顔は、見ておく」
「見てよね。お願いよ」
「……」
「なによアツマくん、わたしのほう向いたと思ったら、ジーッと眼を凝(こ)らして」
「おまえのいまの心情を当ててやろう」
「……はい!?」
「『グラビアアイドルなんかに浮気するんじゃないわよ』」
「どうしてわかるの……どうしてわたしの気持ちを、見透かせるの」
「えへへー」
× × ×
「なるほど。同級生の大井町さんって娘(こ)と、うまくいっていない、と」
「どちらかというと――ギクシャク、って感じね」
「で、貸そうとした本も借りてくれなかったし、彼女との関わりで、おまえはくたびれてしまったというわけだな」
「そういうことよ」
「きょうは、金曜でもあるし」
「週の疲れが、ドーッと、ね」
「そんなにお疲れモードか?」
「見てわからないの?」
「すまん、元気に見えた」
「……ちゃんと見てないのね」
「すまんな。もっとちゃんと見てやる」
そう言うと、アツマくんはわたしを、じっくりと眺め始める。
柔らかい顔。
優しい顔。
見つめ合いになって、
わたしの体温は、コンマ3度だけ上昇。
「……見つめられるだけじゃ、やっぱダメっ」
「ツンデレ発動か」
「ばかっ」
「来てほしいのな。そっちに」
「……」
「素直に、『横にいてほしい』って言えばいいのに」
「言うつもり……だったわよ」
「じゃあ、ソッポ向きなさんな」
「……、
早く。」
促されて、彼はわたしの右横に。
もったいぶることなく、
彼の左肩に、からだを傾けて、密着。
「スキンシップその1」
「その1ってなんだ、その2もあんのか」
「ある」
甘えに甘えた声で、
「とりあえず、しばらく、ひっつかせてよ」
「それで、疲れ取れるなら、いいけど……。
『その2』はなんだよ、『その2』は」
「くたびれが、おさまってきたら――もう1段階」
「もう1段階??」
「それが、スキンシップ『その2』」
「なにがしたいか」
「好きにさせてよ、わたしの」
「ふしだらなっ……」
「ひどいわね」
「おまえこそなっ」
「わたしのベッドなのよ」
「そーゆーところだっ!」
「そーゆーところが、なんなのよっ」
「…のしかかってくんなや」
「聞き分けがないからよ」
「おまえのほうがだろ」
「このベッドの所有権はわたしだってこと、ちゃんと認めて。認めて、受け入れて」
「わかってるけどさぁ…」
「…さて、わかってくれてるのなら」
「タンマ」
「タンマなし」
「落ち着こう」
「このタイミングで!? ありえない」
「や……これを読んでるひとだって、落ち着かないだろ」
「……そんなにわたしにビンタされたいかしら」
「殴られるのは……慣れてる」
「そういう問題とは違うでしょっ」
「ああ。違うな」
「……」
「どしたか?」
「からだがあったまってきちゃった。もう、すでに」
「あーあー」
「だから!! そういう反応っっ!!」