【愛の◯◯】素晴らしき戸部邸訪問

 

「アカちゃんとは会わないんですか?」

羽田さんに訊かれた。

「残念ながら、まだ会ってない」

わたしは答える。

「そうですかぁ……アカちゃん見かけたら、声をかけてあげてくださいね」

指定校推薦で、わたしの大学に入ったアカ子さん。

経済学部だよね。

まあ、お家柄を考えたら――そうなるよね。

きのうも、テレビで、自動車のCMを見た。

アカ子さんファミリーの会社である。

 

アカ子さん、典型的な「お嬢さま」……か。

眼の前の羽田さんはどうなんだろ。

ご両親は海外におられるというけど、いったいどんなお仕事を?

や、訊くだけヤボだな。

 

とりあえず、

「羽田さん、あなたの大学生活はどーよ」

とこちらから訊く。

「大学ですか? 楽しーですよー」

朗らかに微笑んで彼女は答えた。

「5月病とか、ない? GW明けると、キャンパスから人が減るものだけど」

「そんなのないです」

「そっかあー、疲れ知らずだねえ、羽田さんは」

長~~い髪を切ったから、スッキリとして、ルックスまで幾分オトナっぽくなった気がするけれど、

元気ハツラツなのは――高等部時代から、変わってない。

いいな。

「…サークルは?」

「『漫研ときどきソフトボールの会』ってのに入ってます」

「へえぇ…。正式名称、長いんだね」

「サークルも楽しいです」

「それはよかった」

「いろんな人間模様が見られて」

「まあ……サークル、だもんね」

 

そうやっておしゃべりしているところに、

戸部くんが、飲み物を持ってきてくれた。

 

そう、わたくし小泉小陽(こいずみ こはる)は、羽田さんが居候している戸部くんの邸(いえ)に、お邪魔しているのである。

おジャ魔女小泉だ。

 

お盆には、細長のグラスに入った、コカ・コーラとアイスコーヒー。

わたしのところにコカ・コーラ、羽田さんのところにはアイスコーヒーを、置いてくれる戸部くん。

 

「ありがとう戸部くん」

「どーいたしまして」

コカ・コーラのグラスを持つわたし。

戸部くんは、立ったまま、わたしと羽田さんが向かい合いに座っている様子を眺めている。

「これぐらいやってくれないとね、アツマくんには」

無邪気な眼で、戸部くんのほうを見て、

「本来『おつかい』に行くところを、利比古が代わってくれたんだから」

羽田さんの弟の利比古くんは、買い出しの『おつかい』に出ているらしい。

「アツマくんは小泉さんの『おもてなし役』よ」

「まーた、大げさな……」

「大げさじゃないっ」

ストローで、アイスコーヒーを一気に半分以上飲んで、

「だらしないんだから」

と不満を漏らす。

羽田さんには、戸部くんがそう見えるのかな。

やっぱり、一緒に暮らしていると、しかも長年一緒に暮らしていると、

彼のことが――ぜんぶ、見えてくるんだ。

とくに、ふたりは――。

おっと。

「戸部くん、座んないの」

わたしから言う。

「ん……。なんとなく、立ってる」

そのリアクションが、割りとわたしのツボにはまって、笑い出すのをこらえようとしてしまう。

「なんでそこで笑い出しそうになるか」

ごめんごめん、戸部くん。

「ごめんね、戸部くん」

「別にいいが……」

「――ねぇ。

 戸部くんの大学の話も、聞かせてほしいよ」

「おれの?」

「戸部くんの。」

「……、

 サークルに、新入生が入った」

「それだけ?」

「……それだけじゃねーけど、べつだん変わったことはねーよ。5月病も、出ていない」

「ねぇ、ねぇ」

ぶっきらぼうな戸部くんを、わたしは見据えながら、

「3年生でしょ? そろそろ、将来の進路のこととか――」

一瞬、『うげっ』という表情になった戸部くん。

しかし、持ち直して、

「――あんただってそうだろ。3年生なんだろ」

「そうだよ?」

「……どーすんの? 小泉さんこそ、シューショクとか」

 

シューショク、ねぇ。

 

「なんにも考えてないってことは……なかろうな」

わたしを見下ろしながら、長身の戸部くんが問いかけてくる。

「おれだって、キャリアセンターぐらい、のぞいてみてる」

そうなんだ。

意識高いな。

予想外に。

「いらん心配かもしれんけど、そろそろ、って時期だろっ?」

 

――戸部くんは、思いやりがあるんだな。

こんなわたしなんかの進路も、気にしてくれて……。

 

「こらっアツマくん、なに小泉さん問い詰めてんのよ」

「人聞きが悪い」

「悪くないでしょっ。きっと、小泉さんには小泉さんなりの進路設計が――」

わたしにまっすぐ向き直り、

「――ありますよね?」

 

けれど、わたしが黙っちゃうものだから、

羽田さん、あわてふためいたような顔に、なり始めちゃってる。

 

「こ、小泉さん……なにか、なにか言ってください」

 

『この先どうするか』、という問題に対するわたしの考えは、いまだ固まっていない。

あやふやで、はっきりと形作られてはいない。

 

そうでは、あるけど。

 

「羽田さん――」

「は、はい」

「教職の講義、とってる?」

「――とってますが」

「やっぱり」

「小泉さん――?」

「わたしもね。教職、とってるの」

 

言うの、初めてだっけ。

彼女が、意外そうな眼をしているのが、わかる。

 

西洋史専攻だから、社会科」

「わたしも、哲学科なんで、社会科ですけど……」

疑問いっぱいの表情になって、

「……それが、どうかしたんですか!?」

 

わたしは、わざとらしく、笑ってみる。

 

疑問が拭えない羽田さんに、戸部くんが、

「おまえにしては、鈍いな」

羽田さんは、

「鈍いって……どういう」

「わからない、か」

落ち着いた表情と口調で、

「ま、おまえもいずれ……小泉さんが言ったことの『意味』が、わかってくるだろ」

と諭(さと)して、羽田さんの空になったグラスを手に取る。

「愛。アイスコーヒーのおかわりが、ほしいか?」

「……もうちょっと、待って」

腑(ふ)に落ちるまで、思案したい、という顔つきの羽田さん。

そんな顔まで、かわいくって、ズルい、というよりも、単純に、スゴい……。

そう思っていたら、

スタスタと――利比古くんが、買い物バッグを持って、わたしたちの前に現れてきた。

おつかいからの、帰宅だ。

 

「ただいま帰りました、皆さん」

利比古くんは言う。

「おかえりなさい、利比古くん」

いの一番に、わたしが『おかえり』を言った。

「小泉さん、こんにちは」

「こんにちは。会いたかったよ」

アハハ……と利比古くんは微笑む。

「お姉さんの横に、座ったら?」

「そうします」

承諾した利比古くんは、戸部くんに向かって、申し訳なさそうに、

「アツマさん、悪いんですけど、このバッグを預けても、いいですか?」

彼のお願いに対し、戸部くんは、

「いいよ。――肉とか、野菜とか、冷蔵庫にしまってくる」

「ありがとうございます!」

「断れんよ、利比古の頼みは」

 

× × ×

 

「――これで、アツマくんが消えて、晴れて3人水入らずね」

「こらこら、羽田さん、そんなこと言っちゃダメだよ」

「たしかに……」

戸部くんが消えていった方角を、ちょっとだけ見やる。

それから、パッとわたしに向き直って、

「……では、ここから、小泉さんの趣味全開タイムで」

「なぁにそれ」

趣味全開タイム、ということばがダイレクトにツボにはまって、

吹き出しそうになるのを、こらえきれなくなる。

「も~、笑ってる場合ですか~、小泉さん」

笑ってる場合ですよ。

「利比古に、テレビ知識を、レクチャーしてあげてください」

「――それが、今回のわたしの訪問の、主要目的でもあったんだからね」

「そういうことです。――ちゃんと聴いてあげるのよ? 利比古」

「なにから、レクチャーすればいい?」

「利比古は、小泉さんの現在の『問題意識』が、気になるそうです」

「『問題意識』、って。大きく出たもんだ」

慌てるようにして、羽田さんのとなりの利比古くんが、

「あの、つまり、『小泉さんがテレビに関していま一番気になってることはなんですか?』ってことです」

と言い換えてくれる。

幾分、早口に。

「――そうねぇ」

彼とは対照的に、余裕をもたせたしゃべりかたで、

「『めざましテレビ』の歴史――とか、調べてるかな」

とわたしは応答する。

「『めざましテレビ』の、歴史」

おー、

食いついてる食いついてる、利比古くん。

「興味しんしんな顔だね」

「興味、あります」

「素晴らしい」

 

「『めざましテレビ』、ですかぁ」

利比古くんのお姉さんも、連動して、興味を示してくる。

「『めざましテレビ』って、いつから放送してるんですか?」

「1994年からだよ、羽田さん」

「すっすごい!! 即答だ、小泉さん」

そう言って、彼女は眼を見張る。

利比古くんにしても、眼を輝かせ始めて、『尊敬します、小泉さん!』みたいなオーラを、出し始めている。

 

ふたり揃って、わたしのどうしようもない趣味嗜好(しゅみしこう)に、食いついてきてくれている。

素晴らしい姉弟だ――ほんとうに。