「センパイ、なにソワソワしてるんですか?」
羽田さんが、訊いてきた。
「枠順」
とだけ、わたしは言った。
「わくじゅん、??」
なんのことやら……と訝(いぶか)しむ羽田さん。
しょうがない。
「天皇賞」
とわたしは言ってみる。
「天皇賞――まさか、」
彼女が続きを言いかける前に、
「まーたお馬さんかよっ」
心から呆れたように、戸部くんが言ってくるのである。
「戸部くん、あったり~~~」
「ご名答、ってか……」
春の天皇賞の枠順(出馬表)が、もうすぐJRA公式サイトで発表されるから、わたしはソワソワし出した、というわけ。
「競馬のことしか頭にないんか、んったく」
「だってG1シーズンだもん」
週末が近づくと、とくに……ね。
呆れ通しながら、戸部くんは、
「…京都だっけ? 春の天皇賞は」
「残念不正解」
「…じゃあ、どこの競馬場で」
「いつもは京都だけど、今年は阪神なのよ」
「ふーん」
「京都だって阪神だってどうでもいい、って顔ね」
「馬券買わんから」
「頑固ね」
「頑固じゃねえ、前も言ったよな? ギャンブルに手は出さんって。それを忠実に守ってるだけだ」
「フフッ」
「なんだよその笑いは」
「誘惑には負けなさそうね、戸部くんは」
「負けねぇよ…」
『ガンコ』って競走馬も、いたなぁ。
ナカヤマフェスタ産駒だったっけ。
まあそれは、いいとして……。
「きょうは、4月29日よね」
「それがどうかしたんですか? センパイ」
今度は、羽田さんからの疑問。
「もしかして、4月29日と天皇賞に、なにか関係が――」
「するどいわね」
彼女に競馬知識をひけらかしても、あまり意味ないだろうけど、ま、言っちゃおう。
「あのね、ふつうG1レースって、日曜日にあるんだけど」
「はい」
「むかしは、春の天皇賞は、4月29日で固定だったのよ」
「どうしてですか?」
「天皇誕生日が、4月29日だったから。つまり、昭和の話なんだけどね、これ。4月29日が日曜日じゃなかろうと、天皇賞をやるって決まってたから、フジテレビは、さあ大変」
「平日に、競馬中継を……」
「羽田さん、正確にはね、競馬中継番組やるんじゃなくて、『3時のあなた』っていうワイドショーの中で、天皇賞のレース中継を放送してた、ってわけ」
「へぇ~、面白い話ですね。いかにも小泉さんが、食いつきそうな」
「小泉も知ってるんじゃないの? このこと」
昭和のワイドショーのこと語りだすと、絶対、止まらないもんな、小泉。
「いいこと聞きました。利比古にも、葉山先輩が教えてくれたこと、話してみます」
「――弟さんに?」
「弟は放送関係のクラブ活動やってるので――テレビ関連の知識を伝えたら、きっと喜びますから」
「そういうものかしら」
「テレビ好きなんです」
「小泉みたいな?」
「だんだん、小泉さんに近づいてる感じで」
そっかー。
弟さんに、そんな側面が。
「利比古くんは、いま、在宅じゃないの?」
「残念ながら、買い物で不在です。……会いたかったですか?」
「会う機会も、少ないからね」
「たしかに」
「一度、面と向かってお話してみたい」
「面と向かって、ですかー」
羽田さんは苦笑。
「利比古くん――モテ男なんでしょ?」
――言われた姉は、動じることなく、苦笑いのまま、
「本人に、訊いてみたらどうですか? 動揺して、なんにも答えてくれないかもしれないけど」
「かもねー。でも、とにかく話してみたいなー。そういう機会、近いうちにできないかなー」
「セッティングしてあげても、いいですよ」
「ホント?」
「利比古の顔を見たくなったら、いつでも連絡ください」
「気が利くー。さすが、わたしの見込んだ後輩」
「てへへ」
「なーにが『てへへ』だっ、愛」
すっかり戸部くんは、ふんぞり返っている。
「天皇賞から利比古への、見事な会話の脱線だったな……」
「ごめんね戸部くん、置いてけぼりにしちゃって」
「別にいい」
「寛容ね」
「葉山だって……久しぶりにおれたちの邸(いえ)に来たんだから、いっぱい愛と話がしたかったんだろ」
「流石ね。よくわかってる」
「天皇賞の予想を話し出すのはNGな」
「そこは不寛容なのね」
「際限なくなりそうだから」
「じゃ、自重してあげる☆」
「ヘンな口調で言わなくたって……」
『まったくどーしようもねーなぁ』
戸部くんの表情が、そんなふうに語りかけている。
わたしが競馬の話を持ち出してから、ずっと呆れ顔。
予想は……どうしよっかなあ。
有馬記念は、牝馬ボックスで大勝利したし、今回も、牝馬優先で行ってみようかしら。
となると、日経賞でワンツーフィニッシュした、ウインマリリンちゃんとカレンブーケドールちゃんが、浮かび上がってくる。
ウインマリリンちゃんとカレンブーケドールちゃんの2頭軸で、3連複総流し。
これだ。
これよ、これ。
場合によっては、すごい高配当になる。
一獲千金。
それとも、『とらぬ狸の皮算用』?
岡部さんの『馬・優先主義』じゃないけど、
わたくし葉山は、『牝馬・優先主義』――。
× × ×
羽田さんが、紅茶を持ってきてくれた。
わたし以外のふたりは、コーヒーである。
羽田さんはいつものようにブラックで、
戸部くんは砂糖・クリーム入り。
コーヒーの飲み方が、あべこべなカップルだ。
微笑ましいこと、この上ない。
ところでわたしはいま、お誕生日席的なポジションで、
左に羽田さんを、右に戸部くんを見ている。
「いつになったらアツマくんは甘いコーヒーを卒業するの」
「さあなぁ」
「とぼけてる」
「……一度でいいから見てみたい、おまえが砂糖を入れるとこ」
「わたしは入れないから」
「ブラックじゃないと、『違い』がわからないってか?」
「そうよ。ブラックで味わってこそよ。アツマくんは、コーヒーのなんたるかを全然知ってない」
「だって、こだわりとか無いし」
「あっけらかんと……。もう少し、こだわってくれてもいいでしょ」
「断る」
「――コラッ!! 一気にガブッと飲んだらダメでしょーがっ!!」
面白いなあ……。
飽きない。
このやり取りは……だれだって、飽きない。
思わず、
「なかよしさんだね」
と、言ってしまう。
「え……葉山先輩」
「いつも以上の、なかよしさんじゃないの」
「いつも以上!?」
「『愛情』が、深まってる。そんな、印象」
わたしが『愛情』とか持ち出すもんだから、
すっかり羽田さんが言葉を失ってしまわれた。
無言にさせて、ごめん。
「……祝日の昼下がりから、『愛情』がどうとか、こっ恥ずかしいことを言いやがって」
「戸部くんは動じないね」
「ひとつのパターンみたいになってるから」
「ああ~、戸部くんの言いたいこと、わかるよ、わかる」
「……葉山」
「え、なに」
「本日最大の疑問なんだが……、
おのれは、なにゆえ、ずっとエプロンを装着しているのか」
そう。
ここに来てからいまに至るまで、わたしはずっとエプロンをつけて、眼の前のふたりと渡り合っているのである。
「料理するわけでもないのに……」
「まぁファッションの一部ってところよ、戸部くん」
「おれには不可解だ」
「あら」
「不可解といったら不可解だっ」
戸部くんに見せびらかすように、
エプロンを両手で少し持ち上げて、
「――ステキでしょ。この色合い!」
「……」
あーら、黙っちゃってぇ。
「戸部くんは――この色合いを、どう評価する?」
「……評価して、どーすんだ」
「評価とまで行かなくてもいいわ。素直な印象を」
「んん……」
「言って。オ・ネ・ガ・イ」
たじろぎながらも――、
「なら、思ったこと、言うぞ」
「どうぞ?」
「――キョウくんが好きな色なんだろ」
「どうしてわかったのとべくんっっ」
「――あわてんな葉山。
幼なじみの好きな色は、幼なじみがいちばん知ってる。
そーゆーもんじゃねえかっ。
だろっ?
幼なじみのキョウくんにこそ、見せてあげるべきだ、そのエプロンは。
……見せてやれよ、キョウくんにも。
なんで、おれの前で、恥ずかしがるかなあ」
――ばかっ。