『漫研ときどきソフトボールの会』のサークル部屋で、脇本くんにドイツ語を教えていると、
「――羽田さんって、教えるの、上手だね」
向かいの席から、有楽(うらく)センパイが言ってきた。
えっ。
ほんとですか。
「語学の先生みたい」
「や……やだなぁ。有楽センパイ、大げさに言い過ぎですよぉ」
「学ぶだけじゃなくて、教えるのも得意なのね」
「それほどでも…」
「案外、そういうタイプは少ないよ。名選手が名監督になれるとは限らない、ってよく言うでしょ」
その喩(たと)えは……果たして適切か。
有楽センパイのべた褒(ぼ)めに若干戸惑っていると、
「わたしも碧衣(あおい)と同じこと思ったな」
いつの間にやらお昼寝から目覚めていた日暮(ひぐらし)さんが、横から有楽センパイに同調してきた。
有楽センパイのみならず、日暮さんまで。
「寝ながら羽田さんが教えるの聞いてたんだけど、言ってることがするする理解できた。なかなか、羽田さんみたいにわかりやすく教えられるものでもないよ」
「わたしは……普通に、文法を説明しただけです」
「あー」
その反応はなんですか、日暮さん。
「自分じゃ、わかんないか」
……?
「だよね。教え上手だって、だれかに言われて、気づくものだよね」
「そんなに教え上手ですか……? わたし」
「教えられた当事者のワッキーが、いちばんよくわかってると思うよ」
でしょっ? と、もはや『ワッキー』呼びをされても動じなくなった脇本くんに、日暮さんは目配せする。
「わ、脇本くん……普通、だったよね、わたしの、教え方」
しどろもどろに、隣に座っている彼に、問いかけてみると、
「確実に――普通『じゃなかった』」
「えっ」
「普通より、凄かった」
「えっ」
「講義で習ってる教授より――わかりやすかったと思う」
どうしてそんなにわたしを過大評価するの――脇本くん。
「羽田さん、家庭教師とかやってたの?」
「なに言うの脇本くん。ちょっと前まで高校生だったのよ。家庭教師なんかやってるわけ――」
「――やってなくても、身近なだれかに教える機会が多かったんじゃないの」
言われてみれば……!
利比古、
あすかちゃん、
そして、アツマくん。
心当たりが……どんどんと。
「きっと、そういう機会に恵まれていたんだね」
そう言って、脇本くんが、笑いかけてくる。
× × ×
昨日はアツマくんがわたしの部屋に来たので、今日はわたしがアツマくんの部屋に来た。
大きめのテーブルに頬杖をついて、今日サークル部屋で言われたことを、思い返してみる。
「なんだ、ムスッとして」
あのねー。
「ムスッとなんかしてないわよ、別に」
「考えごとってだけか」
「そう。なんにもイヤなことはなくて、純粋に、考えごとってだけ」
「ふうん…。ま、考え続けるのもほどほどにな」
――訊いてみるか、彼に。
「――ちょっといいかしら? アツマくん」
「なんだ? 相談ごとか?」
「相談ごとじゃなくて、わたしからあなたへの、質問」
「ほーっ」
「『ほーっ』じゃないわよ」
「あ、すいません」
「……忌憚(きたん)なき意見を、聞かせてほしいんだけど。
アツマくんは、わたしのこと……『教え上手』だとか、思うこと、ある?」
さして考えることなく彼は、
「そりゃあるよ」
と言い切る。
「……どんな場面で?」
「おまえに勉強教えてもらうこと、しばしばあるだろ?
そのたびに、
『あー、こいつ、学校の先生に向いてんじゃないかなー』
って、思っちまう」
「……そんな認識だったの。」
「ほんとのことしか、言わんよ」
「……」
「それにほら、あすかや利比古に勉強を教えてるところだって、おれは何度も見てきてるからさ」
勉強机の前の椅子から、わたしを見下ろして、彼は言い続ける。
「教職の講義だって、とってるんだろ?」
「とってるけど……」
「だったら、続けろ。教員免許、取れ」
「命令形、なのね」
「あえて」
「もちろん、続けるし、取るつもり」
「よっしゃよっしゃ」
「……あなたが、喜ぶところ?」
「でもなんでいきなりそんなこと訊いてきたんだ。きっかけがあったんだろ」
「うん。あった」
サークル部屋での出来事を、ひとしきり説明。
納得して、うんうん、と何回もうなずく、アツマくん。
「やっぱり、他のみんなにも、おまえの教え上手は『見えてる』みたいだな」
「どうかしら……。みんながみんな、見えてるのかしら」
「見えてる。あえて断言する」
「断言、しちゃうの」
「でも。
あんまり教え上手教え上手言いまくると、かえっておまえのプレッシャーになっちまうと思うから、おれは言い過ぎないでおく」
そっか――。
「――アツマくんは、優しいんだね」
「んっ」
「わたしにかかるプレッシャーのこととか、考えてくれてるし」
「愛は――どちらかというと、デリケートだから」
「――よくわかってるじゃないの」
「ずっと、見てきてるからな」
「その言葉――頼もしいし、うれしくなる」
「だろっ?」
「もっともっと、わたしをうれしくさせてほしい」
「そっちから、プレッシャーかけてくるってか」
「そんなつもりない」
ハハッ……と彼は苦笑い。
「苦笑いでごまかさないで」
「ごまかしなんか、しない」
「せめて……椅子から下りてきてよ」
「――同じ目線でいたい、と?」
図星……。
「まあ、上から目線よりは、な」
すんなりと、彼は椅子から下りて、わたしと同じ目線になってくれる。
「…で、どうしたら、おまえはもっとうれしくなるんだ?
定番の、スキンシップか?」
「それもある」
そして、真正面から、彼に身体(からだ)を委(ゆだ)ねていくわたし。
昨日と違うのは、
アツマくんからじゃなくて、わたしから抱きついていったこと。
昨日はアツマくんが背中から抱きしめてくれたけど、
今日はわたしのほうが、彼の胸に飛び込んでいった。
「……しょーがねーな」
「実は少し、疲れてるの」
「ホントかいな!?」
「ウソなんて言わない」
「抱きつくのが……癒やしになるのか」
「あなたにしては、かしこいわね」
「?」
「――あなたの胸の中だと、安心できるもの」
「安心……」
「居心地いいのよ」
「居心地……」
「元気になれる」
「元気に……」
「アツマくん。」
「……なにかな」
「このままひっついてるのも、それはそれで悪くないんだけども」
まだ、甘え足りないと、思ったから、
「もっと――うれしくなるようなこと、しようよ」
「んなっ――」
「――すぐ、うろたえちゃうんだから」
「エロいぞ……愛」
「ごめんね、エロくて」
「認めんのかよ……」
「グイグイ来(き)すぎ? わたし」
「そーゆー言いかたが、すでにエロいっ」
「ひどいなあ」
全然、アツマくんはひどくないけど、
わざと、反対のことを言ってみる。
最大限に、甘えたくて。
のめり込むように……彼の世界に、入っていって、
包み込まれるうれしさを……味わい続けていく。