【愛の◯◯】ふたりのセンパイの『呼び捨て』

 

グラウンドで、わたしたち『漫研ときどきソフトボールの会』の面々は、キャッチボールをしている。

 

今、わたしとキャッチボールしてくれているのは、2年の松浦裕友(まつうら ひろと)センパイだ。

松浦センパイは、広島県出身。

鳥取県出身の久保山幹事長、

岡山県出身の日暮さん、と、

中国地方出身者率が――高いサークルである。

『中国地方出身者同士でローカルトークとかするんですか?』

松浦センパイに訊いたことがあるのだが、

『いや、そんなに』

と素っ気ない答えが返ってきた。

『同じ中国地方出身だっていう連帯感は――あまりない』

それでもわたしは、

『だけど、日暮さん、言ってましたよ。自分の実家と久保山幹事長の実家は、電車1本でつながってるって』

『…ああ、伯備線(はくびせん)ね。たしかに彼女は、そういう点を強調したがる』

『松浦センパイの地元と日暮さんの地元こそ、新幹線1本でつながってるんでしょう?』

『そういうこと、あんま意識はしないのさ』

『ドライですね……』

『広島は広島、岡山は岡山』

『広島と、山陰地方って――』

『実は、おれの住んでたところから、久保山さんの地元へは、行きにくいんだ。電車1本でつながってるわけではないから』

『乗り換えが必要なんですね』

『そう。それこそ、岡山駅で』

中国地方の地理に、もっと詳しくなろう……とわたしは思ったのだった。

せっかく、中心メンバーに、これだけ中国地方が地元の人がいるんだから。

 

――で、現在に戻って、

キャッチボール相手の松浦センパイに、ボールを投げるわたし。

しっかりとキャッチしてセンパイは、

「羽田さん、いい球投げるねえ!」

やった~、ほめられた~~。

「ありがとうございます」

「ソフト部どころか、運動部経験がなかったっていうのが、信じられないぐらいだよ」

「――自分で鍛えてた、感じですね」

「自主練? すごいなあ、意志が強い」

「ちょうど身近に、練習相手もいて――」

そう言いつつ、わたしは再びセンパイへとボールを投げようとしたが、

「だれ? きょうだい?」

と興味しんしんな表情でセンパイが言ってくるから、動きが止まる。

「きょうだいじゃ……ないです、なくって…ですね、」

「じゃあ、彼氏か」

 

……どうしてそんなこと言うんですか、松浦センパイ!

完全に……当たり、だけど。

 

恥ずかしくて、思わず、松浦センパイがキャッチできないような球を投げてしまった。

転がっていくボールを拾いに、センパイが駆けていく。

 

はぁ、と溜め息つきながら、

『アツマくんとのことも、サークルのみんなに共有されていく運命なのかな』

と、ペシミスティックになる。

 

 

松浦センパイと同じく2年生である、

郡司健太郎(ぐんじ けんたろう)センパイと、高輪水菜(たかなわ みな)さん。

横で、このふたりが、キャッチボール中だ。

 

「高輪、少し速い球投げるけど、心の準備はいいか?」

心の準備、と大仰(おおぎょう)な言葉を使う郡司センパイ。

無言で、ゆっくりと、高輪さんは、うなずいた。

 

郡司センパイの速球を、高輪さんは、なんとかキャッチする。

 

ふたりは実は、神奈川県の某高校の同級生だったのだ。

 

高校も大学も同じ、さらには、入ったサークルも同じ。

 

郡司センパイが高輪さんを追いかけて入会したのか、

高輪さんが郡司センパイを追いかけて入会したのか、

よこしまによこしまな妄想が……生まれてきてしまう。

 

「――やっぱり高校の同級生同士なんだな。キャッチボールの息が合ってる」

いつの間にやら、わたしのほうに近づいてきた松浦センパイが、言う。

「高輪のほうは――イマイチ郡司に、踏み込めないでいる感じがするけど」

「踏み込めない、って?」

「なんかさ、郡司に遠慮してる感じがするんだよ」

「同級生なのに……」

「高校時代のこととか、高輪も郡司も、なかなか教えてくれないんよ」

「……案外、デリケートだってことなんでしょうか」

 

郡司センパイの送球が高かったのがいけなかったのか、高輪さんがボールを取り逃してしまった。

 

わたしの足もとに、ボールが転がってくる。

 

「はい、高輪さん」

拾ったボールを差し出すと、

「ありがとう羽田さん」

と言いつつも……受け取ったあと、なぜかわたしの眼の前を動かずに、

「……せっかくタイミングいいから、羽田さんに言っておきたいことがあって」

 

えっ。

なんですか。

 

「『高輪さん』じゃなくて……名前で、『水菜(ミナ)』って呼んでほしいかな」

 

あ、ああ。

そういうことでしたかー。

 

「承知しました、ミナさん」

「それでよろしくね、羽田さん」

「…あの~」

「羽田さん?」

「わたしのことも、『愛』でいいんですよ? なんなら、呼び捨てだって」

それは……できない、かな

「ええっ……なんで……」

「ワガママで、ごめんね……でも、『愛さん』って呼ぶの、どうしても照れくさくって」

「そう……ですか??」

 

「おーい高輪、キャッチボールに戻ってこいよ」

 

ミナさんの背後から――郡司センパイが、声をかけてくる。

 

「羽田も若干困り始めてるぞ」

郡司センパイ――なかなかの洞察力。

 

たしなめられたミナさんは、慌て気味に、郡司センパイとのキャッチボールに戻っていく。

小走りの途中でつまずきそうになって、見ているこっちがハラハラする。

 

ミナさんとのやり取りが、中途半端になってしまったけど、

「松浦センパイ――こっちも、再開しましょうか」

「そだな、羽田さん」

 

羽田『さん』……か。

郡司センパイは最初からわたしを呼び捨てだったのに、

松浦センパイは、いまだ『さん』付け。

 

「――呼び捨てでいいんですよ?」

思い切って、言ってみた。

「もしかして――『さん』付けじゃないほうが、よかった感じ?」

よかった感じです。

「郡司センパイも、同学年以下はみんな呼び捨てですけど、松浦センパイだって、基本そうじゃないですか」

「たしかに」

「上級生を除けば、『さん』付けは、わたしと大井町さんぐらい」

「たしかにな」

「気軽に、『羽田』、って呼び捨てにしてくださいよ」

「わかった。了解だ、羽田」

「はい、今後とも、呼び捨てで」

 

 

郡司センパイと、松浦センパイ――。

男のセンパイに、『羽田』って呼び捨てされる。

こんなの初めて。

生まれて初めて。

 

かつてない、体験――、

男女共学の、大学は、

いろんな『初めて』に満ちていて、

月並みな言葉ながら――、

毎日が、新鮮。