新年度も2週目が終わろうとしている。
ということは、新体制のスポーツ新聞部も2週目が終わろうとしているわけで、
わたしたちは、だいぶ打ち解けあった気がする。
たとえば、わたしは日高さんと水谷さんのことをそれぞれ「ヒナちゃん」「ソラちゃん」と呼ぶようになったし、
会津くんにしても、「日高」「水谷」と、同学年の女子ふたりを今では呼び捨てにしている。
うん。
いいぞ。
これは、打ち解けてるってことだ。
――さて、現在活動教室では、ヒナちゃんとソラちゃんが昨日のプロ野球についてトークしている。
甲子園で阪神が広島に勝った試合の話になって、
「佐藤輝明、昨日もホームラン打ったね」
うんうん、やっぱりその話題になるよね……ヒナちゃん。
「バックスクリーンだったよね?」とソラちゃん。
「100万円もらえるらしいよ」とヒナちゃん。
「凄いな。大学出たばっかりのルーキーが、いきなり100万……」
「夢あるよね、プロ野球」
「……じゃあ、バックスクリーン3連発とか起こったら、一気に300万出ていくわけか」
「出ていく、って? ソラちゃん」
訊くヒナちゃんに、
「や、300万円の支出、ってこと」
「出血大サービスだね。でも、支払うのは……あれ、どこだったっけ、スポンサーがいて……」
「DAZNだよ、ヒナちゃん」
助け船を出すわたし。
「そうでしたそうでした。DAZNでした」
こくりこくり、とうなずいたかと思うと、
「流石です、あすか先輩。詳しいですね。抜かりないですね」
「それほどでも」
内心うれしいが、それほどでも……と、とりあえずは言っておく。
それから1年生女子コンビは、大山がようやくホームランを打ったよね……ということに話題を移した。
そしたらば、野球トークにずっと聞き耳を立てていた会津くんが、
「日高と水谷に訊くけどさ」
と口を開いたのである。
彼は、
「阪神って――強いの?」
と、いくら野球を知っていても答えにくそうな問いを発してくる。
「今、セ・リーグ首位だから……強いって言えるんじゃないかな」
ヒナちゃんは答えるが、
「これまでも、ずっと強かったの?」
いちばん答えに困ってしまうような問いを、彼はぶつける。
うろたえ気味にヒナちゃんは、
「これまで……、っていっても、いろんな範囲があるから。で、でも、あたしが生まれる前は暗黒期が長かったっていうし、『ずっと』強かったとは、言えないんじゃないかなー、って」
「『暗黒期』?」
「そう。暗黒期」
「日高」
「な、なにかななにかな、会津くん…」
「『暗黒期』って……いったい?」
アチャー。
そこからかー。
プロ野球知らないと、そこからもう、わかんなくなっちゃうんだよねー。
「会津くん、ヒナちゃんを問い詰めないの」
「水谷」
「泥沼に入りかけてるよ、ふたりの会話」
「ん……難しい問題なのか、阪神が強いか弱いか、は」
「すぐ答えが出るような問題じゃないんだよ」
ソラちゃんの言うとおり、なんである。
ひょっとしたら、答えは出ないかもしれないくらい。
「阪神タイガースに関心があるのなら――勉強すればいいじゃない」
「勉強、?」
「阪神っていう球団のことなら、いくらでも調べられるよ。WEBでも、紙媒体でも」
そう言うと、ソラちゃんは会津くんに、まったくもう……という視線を送って、
「知的好奇心……あるんでしょ?」
「――1年生組、野球で盛り上がってるねぇ」
「……わざわざおれのところに来て言う理由はなんだ」
「加賀くんがなんにもしゃべんないから」
「おれがしゃべったところで、どうなる」
「曲がりなりにも、副部長なんだし……たまには、輪に入らないと」
「輪に入る?」
「コミュニケーション」
「……めんどくせ」
「将棋盤とコミュニケーションするばっかりじゃ、ダメ」
「どーいうたとえだ」
「新入生3人のこと、もっと知るべき」
「……」
「年下に対しても、人見知り?」
「……るせぇな」
「――せめてさ」
「せめて?」
「取材は、しようよ」
「取材って――いきなりな」
「新入生3人とは追い追いコミュニケーションしていくとして、わたしは加賀くんを、ひとりでも取材ができるようにさせたい」
「――あんたの取材をよく見とけ、ってことか?」
「物分かり早いね」
「これから取材行くんか」
「行くつもり。野球部に」
「で、ついてこい、と」
「ついてきてよ」
「……教室に、新入生だけ、取り残されるぞ」
「大丈夫でしょ」
「おれは……留守番がしたい」
「なんでよ。新入生とコミュニケーションするつもりにでもなったの? 心変わり、急じゃない?」
「いや、あいつら置き去りにするのも、なんだかなー、だし。
それに、なにより……」
「……?」
「『囲い』の研究をしてる最中なんだ」
「!?」
「この研究本が、面白くってさ……将棋盤の前から、離れたくないんだ」
× × ×
あーーーーーーーーーーーっきれた!!
あっさり、野球部の取材よりも、将棋の研究を選ぶんだから!!
なにしに部活に来てるのかな、って感じ。
…取材の同行を拒絶されたわたしは、頭に血がのぼっていた。
地面を踏みつけるようにしながら、野球部のグラウンドへと歩いていく。
独(ひと)りで。
野球部員のみんなが出迎えてくれると、少しホッとする。
加賀くんへの怒りが、少しずつおさまっていくのだ。
もう、カッカしない。
取材モード。
加賀くんのバカげた態度も、忘却の彼方。
今までの2年間で、野球部と良好な関係を築き上げてきた。
信頼関係が、できた。
白地(しろじ)のユニフォームに囲まれて、取材をする。
マネージャーの女の子も好意的で、
変なたとえかもしれないけど……ここは、オアシスみたいな場所。
「いつもひとりで取材来るけど、『助手』はいないの?」
主将に訊かれる。
「いるといえばいるんだけど、いてもいなくても同じな気がする」
わたしは答える。
「そんなにダメダメなのか? あすかの後輩」
「不良債権みたいな2年生が、ひとり……」
「なんだよ、そいつ」
「野球部に放り込んで鍛え直してもらいたいぐらいだよ」
「そこまで使えないのかー」
「使えない。無能」
「戦力外通告すれば?」
「いったん、それぐらい、突き放すべきなのかもね」
× × ×
不良債権、とか。
使えない、とか。
無能、とか。
言ったときは――本心で、言ったつもりだった。
× × ×
けれども。
野球部のもとを去って、活動教室に戻る道すがら、
得体のしれない罪悪感が、わたしの中に芽生えてきて、
針で刺されるみたいに、良心がチクチクと痛みだした。
言ったことの――後悔。
加賀くんのいないところで、加賀くんを悪く言い過ぎて。
卑怯だった、とも言えるし、
『不良債権』なんて、『使えない』なんて、『無能』なんて、
ヒドい言葉、軽はずみに、立て続けに――口に出してしまって。
加賀くんに対する不満が、そうさせたのは、否めない。
でも、度を越した罵詈雑言(ばりぞうごん)を言ってしまったのは、
加賀くんのせいじゃない。
わたしの落ち度。
× × ×
うなだれながら、教室に入る。
「どーした? なんかフラフラしてんぞ」
「そうだね、加賀くん。
フラフラしてて、ごめんね」
「…謝るのかよ」
「それから……。
これは、別の意味で、
……ごめんなさい」
「ちょ、調子狂うって」
「とにかく、ごめんなさい」
「……威勢の良さは、どこ行ったんだよ。なぁ」
くちびるを噛み締め、
うつむき続けているわたしに、
「顔、上げろよ。あすかさん」
「だって、だってね……加賀くん」
「ひとの顔見て話すのが、コミュニケーションってやつだろ?」
「……!」
「――そんなことも分かんないで、コミュニケーションがどうとか言ってたのかよ」
「……ほんとだね」
「しっかりしてくれよな」
「……うん」