日曜日だけど、学生会館に来ている。
サークルに、入り浸(びた)り加減。
「久保山くん、きょうも練習する? せっかく天気、いいんだし」
有楽(うらく)センパイが久保山幹事長に訊くが、
「えっ……2日連続で?」
幹事長は、ためらい気味。
「2日連続が、どうかしたの?」
「……」
「ためらってる理由が他にあるんじゃないの」
「う……」
「あっ――、わかった」
そう言って有楽センパイは、わたしのほうを見て、
「羽田さんの投げる球、受けるのコワいんでしょ~」
「どうしてわかるんだ、有楽……」
「だってさ昨日、羽田さんの投球、一度も取れてなかったもんね」
「それは……羽田さんのピッチングが、予想を遥かに上回っていたから」
「たしかに。――わたしだって、取れる自信はない」
ここで、昨日のことを説明。
グラウンドが使えるということで、わたしたち『漫研ときどきソフトボールの会』の一行は、ソフトボールの練習に出向いた。
『ピッチャーをやらせてください』と、幹事長にわたしはお願いした。
グラウンドで、わたしの投球を、幹事長が受けてくれることになった。
キャッチャーになった久保山幹事長が、どことなく『ドカベン』の山田太郎くんに似てるなぁ…と思ったのは、ここだけの秘密。
さしずめ、わたしは里中くんかしら。
マウンドに立ったわたしは、久々のウィンドミルで、全力投球でボールを放った。
そしたら――幹事長がのけぞって、投げたボールは後ろのフェンスに直撃し、転がっていった。
キャッチできなかった幹事長を咎(とが)める人は、だれもいなかった。
つまり、
わたしの投げたボールが――豪速球すぎた、ということ。
「……なんか、もったいないよね」
「もったいない?」
なんのことかと、わたしが有楽センパイに尋ねると、
「いや……羽田さん、日本代表になれそうな『逸材』だと思って」
「にほん…だいひょう…」
「ポスト上野由岐子になれそうじゃん?」
「お、大げさ過ぎませんか……?」
盛ってますよね。
話、盛ってますよね。
そう言ってください、センパイ。
「そんなに凄かったの……? 羽田さんの球」
昨日の練習に参加していなかった新田くんが、となりの脇本くんに訊く。
「凄かった、物凄かった」
脇本くんが答える。
「わっ、脇本くんも、盛りすぎだよ、物凄い、とか」
焦ってわたしは言うが、
「バッターボックスに立つのが……恐ろしいぐらいだった」
「だから! 盛りすぎだって! 脇本くん!」
――昨日の約束破って、『ワッキー』って呼んじゃうよ!?
「俺も、見てみたいな、羽田さんの豪速球」
新田くん……。
「漫画の構想を練ってるんだけど――題材として、女子ソフトボールもいいかな、と思い始めて」
そう言って、漫画家志望の新田くんは、どういうわけか作画用のペンを振りかざして、
「羽田さんの球を――参考にしてみたい」
「わ、わたしを主人公のモデルにするとか、考えてないよね」
「ダメ?」
「じ、自重してほしいかなー、って」
彼は、あっさりと、
「羽田さんがそう言うのなら、自重するよ」
「……モデルとかじゃなくって、オリジナルなキャラクターを考えようよ。漫画に限らず、創作って、オリジナリティをいかに表現するかじゃない?」
「おーっ」
と新田くんは感嘆して、
「プロっぽい意見だ、羽田さん」
「わたしは、一般論みたいなこと、言っただけ……」
「プロだ」
「プロね」
久保山幹事長と有楽センパイが、ほとんど同時に、わたしをプロ認定してきた。
そんなんじゃないです……と言い返そうと思った刹那(せつな)、
わたしの背後のドアから、控えめなノック音が聞こえてきた。
「わたし開けます」
バッ、とドアに振り向いて、歩み寄って、ドアノブを回す。
――出てきたのは、
先週の日曜日、サークル部屋手前の廊下で、わたしがビラを手渡した、あの女の子だった。
× × ×
凛々(りり)しい顔立ち。
いかにも、芯が強そうな女の子。
わたしと同じぐらいの長さの、黒髪。
先週のあの時と同様に、タイトなジーンズが、とても良く似合っている。
大井町侑(おおいまち ゆう)さん、というらしい。
面白い名字。
険しい表情に見えるのは、きっと、サークル初体験で、緊張してるからなんだろう。
紙コップにペットボトル緑茶を注(そそ)ぎ込んで、大井町さんの隣に行き、着席してから差し出す。
「お茶どうぞ」
「……どうも」
「お茶でも飲んで、リラックスして」
くいっ、と紙コップのお茶を飲む大井町さん。
「久保山くん、やったよ。女の子がまた増えるよ」
「心から嬉しそうだな……有楽」
「当たり前でしょ」
有楽センパイは、大井町さんに微笑みかけ、
「ようこそ、『漫研ときどきソフトボールの会』に。正式名称が長くて、ごめんなさいね」
「有楽、ひとこと多くないか」
「久保山くん黙ってて」
「……」
「――大井町さん。
漫画、お好き?」
単刀直入すぎる質問で、戸惑ったのか、モニョモニョゴニョゴニョと、何事(なにごと)かしばらく呟いていたが、
やがて、
「……嫌いじゃないです」
と答えてくれた。
「――だったら、漫画目当てで、ここに来てくれた感じかな。それとも、ソフトボールもイケるくちだったりする?」
「……運動も、苦手じゃないです」
「なら、ピッタリだね、わたしたちのサークル」
ずっと、大井町さんの様子を真横で観察していたわたしは、
「大井町さん――あなた、『目的意識』があって、このサークルに来たんじゃない?」
若干当てずっぽうな読みだったけれど、
ただ漫画を読むとか、ただソフトボールをするとか、
そういうのだけじゃなくって――、
夢、というか、なんというか、
この子は、自分の高い理想に向かって、がんばろうとしているんじゃないか、って。
なにかを努力しているような……そんなオーラ。
「……目指してるものでもあるの? 例えば、漫画家だとか」
久保山幹事長が、穏やかに尋ねた。
緊張が残る顔で、彼女は、
「漫画家じゃないです」
「じゃあ、なにを――」
「――絵本を。
絵本を、描(か)きたくって」
「ほほお! 絵本作家か」
それは凄いな……という表情になっている幹事長。
「ステキじゃない!!」
思わずわたしは、大井町さんに向かって、叫ぶように言う。
「ステキね」と有楽センパイ。
「ステキだなあ」と脇本くん。
「それは凄いよ。俺、漫画家志望だけど、絵本なんか絶対に描けっこないと思う」
新田くんが大井町さんに言う。
「あ、俺、新田。新田俊昭。俺も、新入生」
大井町さんに食らいつく、新田くんだったが……、
なぜか、大井町さん、リアクションに乏しい。
新田くんから、ビミョーに眼を逸(そ)らしてる感じだし。
ムスッとした顔になっている、ともいえる。
『児童文学系とか、そういうサークルを、なんで選ばなかったのかな……』という疑問は、隅に置いておこう。
「大井町さん! 趣味は?」
同学年女子として、積極的にわたしはアプローチしてみる。
流し目みたいな目つきで、
「……読書。」
と、ボソリと呟くのに似た感じで、大井町さんは答える。
「ほんとぉ!? わたしも読書、好きよ!」
……なぜか、反応が、薄い。
あれっ。
ど、どーやって、攻めていこーかな。
とりあえず、
「好きな本とか、良かったら教えてくれないかしら?」
「……どうしても、教えてほしい?」
依然として、手強(てごわ)いけれど、
「うん! すごく知りたい、ってのが本音」
「……1冊だけ。」
「なにかな? なにかな?」
「サマセット・モームの、『人間の絆』」
へえええ~っ!!
いい趣味、してんじゃないの!!
「気が合うね、大井町さん!! 名作だよね、あれは」
「……」
「『1冊』じゃなくて、文庫だと上下巻だけど」
……これは、余計なツッコミだったかしら。
彼女、『しまった!』という顔になってる。
だけど――ここは、積極的に行くしかないわよね。
「あのね、これ、凄い偶然なんだけど、」
わたしは自分のバッグに手を突っ込んで、
「今日、わたし――『人間の絆』の文庫本、持ってきてたんだ」
ほんとのほんとに、これ、偶然。
偶然を――チャンスにしなきゃ。
「ほら、新潮文庫、上下巻。あなたも、中野好夫訳で読んだんじゃない?」
「――どうだったかな」
「えっ」
「だれが訳したとか、おぼえてなかった」
「……そ、そういうこともあるよね。あるある、うん」
「新潮文庫だったのは、おぼえてる。いま、手元にないから……」
「手元にない、っていうと」
「図書館で、借りて読んだの」
「あ、ああ、なるほど、なるほど、ね」
「本が定価で買えるほど……わたしの家、裕福じゃなかったから」
ああっ……。
地雷……踏みかけてる。
というか、踏んでる、いま。
「高校時代は――図書館が、頼りだった」
「ま、まあねぇ……、そういうことだって、あるよね、う、うん」
しどろもどろに、しどろもどろを重ねてしまうわたし。
どうしていいか、わからなくなりかけ。
「図書館で借りて読んだだけの本を、ふつう『愛読書』なんて言わないよね」
黄昏れるような眼と声で、大井町さんが嘆く。
「羽田さん」
初めて、わたしの名を呼んだ大井町さん。
「は、はい、」
「ガッカリした?」
「しっ、してないしてない」
「――色々だね。」
「え? なにが??」
「わたしはわたしで、羽田さんは羽田さん」
「……?」
「見えてる風景が……まるで違っているみたいに」
なんだか、この子、言語センスが、『詩的』だ。
これが――絵本作家の、『素養』、なのかしら。
――それにつけても、
わたしの大井町さんの関係性、
いささか、不穏めいてる――かも。